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2019年4月 7日

第89回 神戸へ スズキコージ「コーベッコー」の旅

絵本作家のスズキコージさんは8年前、神戸の街に越してきました。コージさんの目からは神戸の街はどんなふうに見えているのでしょうか。お気に入りの神戸を教えてもらいました。

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公開制作の様子を番組で紹介した巨大絵画。(会場協力=神戸北野美術館)

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スズキコージさんが東京から神戸に移り住んだのは2011年。その後2017年に発表した絵本に、その名の通り神戸を題材にした『コーベッコー』があります。そこに描かれているのはどこにもない不思議なまちのようでありながら、実はそれらは神戸の街の古い歴史の史実にもとづいています。また、お話をお聞きすると、「ボクは人に興味がある。この街に生きた魅力的な先人から刺激を受け、彼らに対する敬意を抱きながら絵を描いているんです」とおっしゃっていました。
スズキコージさんの絵本『コーベッコー』と、ご本人から聞いたコメントをもとに、街を散歩してみることにしました。

布引の滝と三美女

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新幹線の新神戸駅の背後は六甲山。駅を降りたらすぐ登山に出かけられる。

旅の出発地点は新幹線の新神戸駅。駅のすぐ裏が登山ルートになっているのをご存じでしょうか。
神戸の人たちは明治の頃より裏山感覚で山登りをすることを生活習慣として楽しんできました。新神戸駅の背後に見える布引山(ぬのびきやま *六甲山の一部)の中にある布引の滝が絵本『コーベッコー』の中に登場しますが、そこでは滝の脇に天女のような三人の美女が描かれています。この美女たち、実在したそうで神戸出身の作家・陳 舜臣の『神戸ものがたり』にも昔がたりとして登場します。
「明治30年ごろ、外人たちは散歩のほかに、別のほほえましい目的をもって、ここまでやってきたようだ。というのは、布引の茶店に、三人の美人の姉妹がいたのである。」(『神戸ものがたり』より)

3人の美人姉妹のうち長女がお松、次女がお福といい(三女の名は不明)、長女は彼女目当てで山に通ってきていたイギリス人の海岸大佐に射止められました。そして次女のお福に心を奪われたのがポルトガル海軍の元士官、ヴェンセスラウ・デ・モラエスでした。足繁く通うもある日お福が婚約指輪をはめているのを見て失恋……。その後1年ほどして山を訪れると茶屋は閉じ、お福は病気で亡くなっていたということです。モラエスさんはその後も母国に帰らずポルトガル総領事館副領事となり、神戸に長く住んだそうです。

神戸の人たちは今日も布引への山登りを楽しんでいます。新神戸駅から滝までは歩きで約15分。布引の美女にまつわる物語を読み、コージさんの絵を見てから布引の山を上ると、なんだか三美女の姿をした滝の精霊がいるような気がしてきます。

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神戸の人たちは散歩感覚で街から山に入っていく。

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布引の滝。新神戸駅からここまで0.4km。

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雄滝の脇には今も茶屋があって食事ができる。(三美女がいたとされる茶屋はここではありません)

風見鶏の館とゲオルグ・デ・ラランデ

絵本『コーベッコー』の表紙になっているのはコケコッコーならぬコーベッコーと鳴くニワトリ。言うまでもなく神戸の北野町にある異人館街のシンボル・風見鶏の館がモチーフです。絵本の冒頭カットでは船がたくさん浮かぶ大海原を、屋根の上の鶏が見下ろしているさまが描かれていますが、実際に明治・大正の頃には風見鶏の館の屋根の尖塔が神戸港に入ってくる船舶からよく見え、目印となっていたそうです。

異人館と呼ばれ観光スポットになっている建物はもともと外国人の住宅だった場所で、風見鶏の館はドイツ人貿易商の自宅として建てられました。設計者はドイツ人建築家、ゲオルグ・デ・ラランデ。なお、以前の日美旅で紹介した、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム)を設計した建築家ヤン・レツルはラランデの日本事務所にいた人です。今は建て替わってしまいましたが、1907年頃に神戸の居留地に建てられたオリエンタルホテル(当時の日本で最高のホテルのひとつと賞賛されました)はラランデとレツルの共作によるものです。コージさんは異国から見知らぬ土地にやってきて偉業をなしとげた2人の外国人建築家に尊敬の念を抱いていると言います。

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神戸の異人館街のトレードマークといえば、風見鶏の館。そのてっぺんに立つ風見鶏の飾り。

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ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデの設計。原爆ドームの設計者として知られるヤン・レツルはラランデ事務所の出身。

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木造建築だが、れんがを表面に貼り付けている。 

競馬場跡と長谷川小信

丘の上にある北野の異人館街から三宮駅へと向かって坂を下る途中に東門街という繁華街があり、そのメインストリートを歩くとゆるく蛇行しているのがわかります。これは1869年(明治2年)、開港と同時に神戸に住み始めた外国人によってこの場所に競馬場がつくられた名残りです。レーストラックのカーブが今の道に残っているのです。『コーベッコー』にはエキゾチックな競馬場の風景が描かれていますが、それはこの史実に基づいています。当時の競馬場の様子は長谷川小信という明治期の浮世絵師が描いて残しています。小信は数々の開化絵を描いたのに加え、神戸港からの輸出品として当時人気の高かった日本茶の出荷用の木箱に貼るラベルなども手がけていたそうです。また小信は大阪在住だったということで、神戸の絵を描くときには出来たばかりの大阪↔神戸間の蒸気機関車(1874年開通)に乗ってやってきていたのではないか?とコージさんは話をしてくれました。 

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三宮駅北側に広がる繁華街・東門街。道がゆるやかにカーブしているのがわかる。 

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長谷川小信が描いた明治時代、三宮にあった競馬場の風景(レプリカ。本物は神戸市立博物館所蔵) 

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東門街のすぐ西側は生田神社と生田の森。こちらも絵本の中に描かれている。 

東遊園地とヴェンセスラウ・デ・モラエス

三宮駅を過ぎて南へ下っていくと東遊園地という公園の中に先程話に登場したポルトガル副領事・モラエス氏の胸像があります。ヴェンセスラウ・デ・モラエスは日本に残った後、日本の古い伝統や習慣についてポルトガル語で著しました。小泉八雲と共に、日本古来の美意識を愛し紹介した人物として知られています。神戸と徳島に住みましたが、碑によれば神戸に暮らした年月は16年にも及んだとのことです。

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三宮駅の南側、市役所の横にある公園・東遊園地。明治の始め、外国人たちのプレイグラウンドだった。 

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東遊園地の中にあるヴェンセスラウ・デ・モラエス像。ポルトガル語で日本を紹介する著作を多く残した。

トアロードと西東三鬼

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海側から山手に向けて縦に抜けるトアロード。交差点の右手に見えるのはNHK神戸放送局。

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NHKのすぐ下あたり、トアロード沿いに、俳人・西東三鬼が暮らしたホテルがあったとされる。

1872年(明治5年)、港近くの外国人居留地から山手の雑居地(※)を結ぶ主要な通りとしてつくられた道、それがトアロードです。トアロードはかつて、他にはないエキゾチックな雰囲気で満ちていたと言われています。第二次大戦の前後、1942年から1948年まで、トアロードの辺りに俳人・西東三鬼(さいとうさんき)が住んでいました。三鬼は最初トアロード・アパートメント・ホテルというホテルで住みましたが、そこの滞在者は白系ロシア人、トルコタタール人、エジプト人、朝鮮人、台湾人など国籍も多種多様。職業もバーのマダムから何の仕事をしているかわからない人も多く、風変わりな人物の巣だったと、私小説『神戸』『続神戸』につづられています。ホテルは空襲で跡形もなくなってしまいましたが、現在NHK神戸放送局がある場所を少し下った辺りにあったと言われています。

※雑居地……外国人と日本人が一緒に暮らした地域。外国人だけの専有居住地域は居留地と言われた。

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山本通4丁目。この辺りに西東三鬼がホテル住まいの後に借りた洋館があった。戦前はこの辺りも今で言う異人館が軒を連ねていた。

「そもそも私が神戸という街を好むのはここの市民が開放的であると同時に、他人の事に干渉しないからである。誰がどんな生活をしていようと、どんな趣味を持っていようと、それはその人の自由であるとする考え方が、私の気性にあうのである」。(『神戸』より)

スズキコージさんは移住する以前、東京にいた頃から西東三鬼の私小説『神戸』のことを知っていたといい、神戸の街に心ひかれた部分も、三鬼の語るこの街の気質に共感を覚えたからかもしれません。

金星台と稲垣足穂

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諏訪山公園の中にある金星観測記念碑の説明板。

旅の終着点は、諏訪山公園の展望台です。トアロードより西に歩いて10分の諏訪山公園の中に、金星台とビーナスブリッジという2つの展望台があります。諏訪山の中腹の展望台広場が金星台と呼ばれるようになったのは、1874年(明治7年)12月、フランスの天体観測隊がこの場所で、金星の太陽面通過の観測に成功したという史実からです。また諏訪山は作家・稲垣足穂の小説『星を造る人』のクライマックスで、主人公“スターメーカー”が星空を操る場所として登場します(稲垣足穂は明石市に住み神戸の大学に通った経験から、小説の中で神戸をたびたび取り上げている)。コージさんの『コーベッコー』でも金星(ビーナス)というモチーフが幻想的な姿で活躍しますが、そこでは諏訪山を巡る天体観測隊や稲垣足穂のイメージが溶け合いながら昇華されているようです。

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金星観測記念碑の円柱。江戸時代の地震で折れた神社の鳥居の柱が使われている。 

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金星台からさらにハイキングコースを上がっていくと着くビーナスブリッジ。

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眼の前に広がる神戸の街の大パノラマを前に、空想を豊かに膨らませてはいかが。

金星台からさらに登ったところにあるビーナスブリッジから神戸の街を眺めてみましょう。『コーベッコー』の絵本さながら、大きな金星が目の前に落っこちてくるところを夢想しながら……。 

神戸に住んでいる人は、「こんな街だったと知らなかった」と再発見し、神戸に住んだことのない人は「なんてエキゾチックな街だろう」と新たに発見する。 『コーベッコー』はそんなきっかけになってくれるかもしれません。スズキコージさんは「ボクみたいなヨソモノの方が意外とその魅力を発見できるということもあるかもしれない」と話してくれました。

インフォメーション

◎布引の滝
兵庫県神戸市中央区葺合町
新幹線・市営地下鉄「新神戸」駅から徒歩15分

◎風見鶏の館
兵庫県神戸市中央区北野町3-13-3
開館時間 午前9時〜午後6時(入管は午後5時45分まで)
休館日 6月・2月の第1火曜日(祝日の場合翌日)
各線「三宮(三ノ宮)」駅から徒歩15分、シティーループバス「北野異人館」停留所から徒歩5分

◎東遊園地
兵庫県神戸市中央区加納町6-4-1
各線「三宮(三ノ宮)」駅から徒歩10分

◎諏訪山公園
兵庫県神戸市中央区山本通5/諏訪山町
市営地下鉄「県庁前」駅から徒歩10分(入口まで)、市バス6・7系統「諏訪山公園下」下車すぐ(入口まで)