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2019年3月10日 / 旅の紹介 第88回 三重へ 曽我蕭白の「奇想」を追う旅

番組では、辻惟雄『奇想の系譜』が光を当てた、前衛的で自由奔放な表現を志した江戸時代の画家たちを紹介しました。
「出かけよう、日美旅」では、その代表格と言える曽我蕭白(しょうはく)が数多くの作品と逸話を残した伊勢地方を訪ねました。

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安養寺(三重県鈴鹿市)に伝わる蕭白の「達磨図衝立」。圧巻の筆の勢い。

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岩佐又兵衛、伊藤若冲、長沢芦雪(ろせつ)……、美術史家・辻惟雄が著書『奇想の系譜』で「奇矯(エキセントリック)で幻想的(ファンタスティック)なイメージの表出を特色とする画家」に挙げた中でも、曽我蕭白(しょうはく)は、そのアクの強さでひときわ強い存在感を放っています。
蕭白の生涯には謎めいた部分がありますが、1967年の辻惟雄による調査の結果、その出自が明らかになります。京都の商家の出身であること。11歳のときに家族全員が他界し、天涯孤独の身になったこと――。そこから、一気に蕭白研究は加速しました。
かつて蕭白は、伊勢地方(現在の三重県)の生まれだと信じられてきました。蕭白が少なくとも生涯2度訪れたこの地には、数多くの作品とともに、破天荒な画家自身のエピソードが点在しているのです。

松阪・朝田寺

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松阪市中心部から約4.5キロ東南に位置する朝田寺(ちょうでんじ)。

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1652年に建てられた朝田寺本堂(左)。蕭白の「唐獅子図」はここに描かれた。

松阪駅から旅を始めました。まずは中心部を離れ、車で10分ほど東南にある朝田寺(ちょうでんじ)を目指します。
「唐獅子図」をはじめ蕭白の作品11点が伝来する朝田寺は、県道37号線をしばらく走ると現われる田園地帯の一角にあります。

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本尊の地蔵菩薩像(重文)。地蔵信仰が広まる前の平安前期に造られた。

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「唐獅子図」が描かれていた内陣脇の壁(奥)を示す住職の榎本義譲さん。

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「唐獅子図」(重文) 1764年頃 朝田寺所蔵

現在、朝田寺所蔵の「唐獅子図」は「奇想の系譜」展(東京都美術館、4月7日まで)で展示されています(「唐獅子図」展示は3月10日まで)。
住職の榎本義譲さんに、「唐獅子図」が本来描かれていた本堂の場所を教えていただきました。示されたのは、内陣(堂内の仏をまつる中心部)脇の両壁面です。おごそかに飾られて光を放つ内陣の、やや暗くなった場所です。
「手前に獅子、奥に背景の滝や岩山がくるように描いています。そう描くことで、より絵に奥行きが生まれています。見る人のことをちゃんと考えている蕭白は、意外とサービス精神が旺盛なんですよ。よく見ると、獅子の顔にも愛嬌があるでしょう?」

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故人の衣類を奉納し冥福を祈る掛衣(かけえ)という独特の風習。

朝田寺は、地元ではむしろ「朝田(あさだ)の地蔵さん」として親しまれています。
日本で地蔵信仰が盛んになったのは平安時代後期のこと。しかし、朝田寺の地蔵菩薩像は全国的にも数少ない平安前期の像です。確かに、錫杖(つえ)や宝珠を持たない姿や力強く結ばれた口元などの特徴は、一般的な「お地蔵さん」と異なります。
堂内でもう一つ目を引くのが、天井から下がる衣類です。それらは、亡くなられ、今年初盆を迎える方たちが生前身に着けていたものだそうです。
「お地蔵さんに極楽へと導いてもらうための掛衣(かけえ)という風習です。『わしが死んだら掛けておくれよ 朝田の地蔵へ振袖を』と元禄の頃にもうたわれていますから、蕭白が来たときも同じように服が掛かっていたはずです。僕は、お地蔵さんを守るために蕭白は唐獅子を描いたんだと思います」と榎本さん。
荒々しい「唐獅子図」。温かい作品にも思えてきました。

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蕭白による鳳凰と獏の杉戸絵がはめ込まれていた書院の廊下。

朝田寺は、他にもユーモラスな「布袋図」や華麗な杉戸絵など、全11点の蕭白作品を所蔵しています。
通常は展示されていませんが、年に1回、4月20日から5月5日までの期間のみ、全点を鑑賞することができます。
境内にボタンが咲き乱れる季節に、蕭白の足跡を感じながら作品を眺めることは、格別の体験に違いありません。

松阪・継松寺

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蕭白の「雪山童子図」を所蔵する継松寺(けいしょうじ)。

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大師堂に掲げられた「弘法大師」の文字は池大雅(いけのたいが)による。

松阪駅の駅前通りを進むと、かつて伊勢神宮参拝を目指した旅人たちが往還した伊勢参宮街道に出ます。
その近くの路地に、蕭白の「雪山童子図」を所蔵する継松寺(けいしょうじ)があります。
地元では、岡寺(おかでら)の名で呼ばれるこの寺院は、厄よけ霊場として知られ、蕭白がライバルと目した円山応挙や、親交が深かった池大雅などの画家もとう留した記録が残っています。

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「雪山童子図」 1764年頃 継松寺所蔵

雪山で修行にいそしむ前生の釈迦を彩る赤と、悪鬼に変化した帝釈天の青――
激しい色彩のぶつかり合いが目に焼きつくこの作品は、朝田寺の「唐獅子図」同様、35歳頃に蕭白が伊勢を訪れたときに描かれたと考えられています。
大作「群仙図屏風」(1764年)へとつながる彩色画の最高峰と言われる名作です。
ところで、そもそもこの作品、継松寺で制作されたわけではありませんでした。
箱書きから、蕭白を逗留させた菓子店を営む町人から寄進を受けたことがわかっているそうです。
「蕭白と言う画師来る是も柳屋に入り込みしが」と当時の記録にも残るその菓子店、柳屋奉善は現在も継松寺山門からすぐの場所で営業していると聞き、訪ねてみました。

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天正年間の1575年創業の菓子店・柳屋奉善。17代目当主の岡久司さん。

「雪山童子図』が継松寺に収められた経緯について、17代目の現当主である岡久司さんに聞きました。
「4代前の当主・村田彦左衛門祇昌(ぎしょう)が蕭白を逗留させたようです。でも、あの作品をあまり気に入らずに寄進したみたいなんですよ(笑)」
自ら窯を築き茶碗を焼くなど、趣味人でもあった祇昌のもとに逗留した芸術家は数多かった、と岡さんは推測します。
江戸時代、柳屋奉善が面している伊勢参宮街道は往来する旅人でたいへんなにぎわいを見せました。
「おかげまいり」という伊勢参り熱が爆発的に高まった時期には、数百万人の老若男女が街道を通過したことも記録に残っています。
そんな巡礼者に、道筋に暮らす松阪の人々は食べ物や寝る場所を提供しました。
来訪者に寛容な伊勢地方の風土は、アーティストにとっても心地よいものだったのでは、と岡さんは語ります。

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参詣の土産物としてさまざまなお菓子が発展した伊勢地方。まずは一休み。

「雪山童子図」もまた、現在は「奇想の系譜」展に展示されています。その後、継松寺で展示予定は特にありません。

松阪の町~松阪商人の館と松阪城跡

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紙や木綿を商い富を築いた小津清左衛門の家が公開されている。

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紙や木綿を商い富を築いた小津清左衛門の家が公開されている。

伊勢参宮街道を北へと進むと、「三井家発祥地」という屋敷跡が目に止まります。この界わいには、江戸に店を出し成功した商人たちの豪邸が目立ちます。
江戸・大伝馬町に紙店を出し、松阪の豪商の中でも筆頭格に挙げられた小津清左衛門の館が「松阪商人の館」として公開されています。4棟からなる邸宅内部に入ると、その広さに驚かされます。
小判を貯蔵する千両箱はよく見ることができますが、ここにあるのは巨大な万両箱。
パトロンとして江戸時代の芸術家が頼りにした伊勢・松阪の町人の繁栄を知ることができました。

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現在は松阪公園になっている松阪城跡。眼下に松阪の町が広がる。

松阪は戦国武将の蒲生氏郷(がもううじさと)が開いた城下町です。
天正年間の1588年、氏郷によって築かれた壮大な城は、現在では石垣のみが残りますが、松阪の長い歴史に思いを馳せる格好の散策コースになっています。

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著書や遺品などを収蔵する本居宣長記念館。

城跡の南側には、本居宣長記念館があり、重要文化財467点を含む大量の資料を、年5回の展示替えで公開しています。
記念館のすぐ近くには、宣長が『古事記伝』などの執筆をした旧宅「鈴屋(すずのや)」が松阪市内から移築され、見学も可能です。
蕭白と同じ1730年に生まれた宣長は、もしかしたら松阪を訪れた奇矯な画家の噂を耳にしていたかもしれません。

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松阪城跡の石垣下に広がる御城番屋敷(ごじょうばんやしき)と呼ばれる武家屋敷。

本居宣長記念館の石垣を降りて少し歩くと、整然とした槙の垣根の奥に、瓦屋根が二棟伸びているのが目に止まります。
城の警護にあたった紀州藩士たちが暮らした武家屋敷、御城番屋敷です。
現在もその子孫の方々によって維持され、集合住宅としても活用されています。公開されている一棟では、武士らしい簡素な室内を見学することができます。

鈴鹿・安養寺

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蕭白「達磨図衝立」を所蔵する真宗大谷派の安養寺(あんにょうじ)。

伊勢地方における蕭白の作品と足跡を初めて調査したのは、明治期の日本画家・桃沢如水(にょすい)でした。
情熱的にこの地を探索した成果を雑誌『日本美術』に発表します。
その中には、蕭白の「奇行」もいくつかが収録されていました。
「伊勢の大名宅で、一向に仕事をせずに酒と美食にあけくれる蕭白を家老が催促したところ、墨と高価な絵の具をシュロのほうきでかき混ぜ、金屏風に湾曲した太い線を描き、勢い余ってその場の家老の顔にも墨を塗り、立ち去った。家老は激怒したが、乾いた墨からは七色の虹が現れた」
「大谷派の寺の本堂に怪しい者が来て寝ているので、和尚が叱責すると、絵師だと信じてくれないなら衝立(ついたて)に何かを描かせてくれと言い、与えられた酒を一升あおり、衣部分を一筆で達磨を描いた。その顔があまりに恐ろしいため、子供が指で突き抜いてしまった」など……。

逸話に登場する「達磨」の作品が存在する鈴鹿市の安養寺を、旅の終わりに訪ねてみました。

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安養寺内陣。前住職の檉(かわやぎ)豊さんは80年代初めに荒れ果てていた寺を修復した。

近鉄名古屋線箕田駅から7分ほど歩くと、安養寺の伽藍が姿を現わします。
現在では、木造の本堂や鐘楼はきれいに整えられていますが、前住職の檉(かわやぎ)豊さんがこの寺に入寺した1980年、天正期にさかのぼる縁起をもつこの寺は、台風で雨漏りがひどく、畳が腐り、本堂に手を加える必要がある時期でした。
危機的だったのは、建物だけではありませんでした。薄暗い後ろ堂に置かれていた蕭白の「達磨図衝立」は衝立部分もガタガタで壊れる一歩手前だったそうです。

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子どもが目を突き破ったという伝承がある「達磨図衝立」。

本堂で「達磨図衝立」を見せていただきました。
如水の論文の通り、一気に引かれた衣部分の線は、息をのむ迫力にあふれています。
目の部分は、修復が施されたのか、明らかに墨色が異なっています。
「達磨図屏風」は、作品にまつわる逸話と特徴が細部まで一致する奇跡的な作例です。
また、蕭白が親交を深めた池大雅を通じて、奇想の画家の一人である白隠慧鶴(はくいんえかく)から受けた影響もうかがえる点でも貴重な作品です。
伽藍(がらん)同様、「達磨図衝立」も修復を施され、現在ではガラスケースに収められています。檉さんは「これで二度と子どもに目を突かれることもなくなった」と微笑みます。

伊勢地方に残る奇矯(エキセントリック)な蕭白の作品とエピソードの数々。
現地でそれらを見聞きして感じたのは、伝説が生まれるのもなるほどと思える蕭白の超人的な画力と「奇想」、
そして、そんな画家のふるまいを楽しんでしまうような、伊勢地方の人々の懐の深さでした。
この地に点在する蕭白の作品を、ぜひ訪ねてみてください。

インフォメーション

◎朝田寺
三重県松阪市朝田町427
アクセス JR紀伊本線または近鉄山田線松阪駅より車で約10分
(蕭白作品の観覧は4月20日~5月5日のみ可能)

◎岡寺山継松寺
三重県松阪市中町1952
アクセス JR紀伊本線または近鉄山田線松阪駅下車徒歩5分
(蕭白作品の展覧は予定されていない)

◎松阪商人の館(※4月4日より旧小津清左衛門家と名称変更)
三重県松阪市本町2195
開館時間 午前9時~午後4時30分(4月4日以降午後5時まで)。
アクセス JR紀伊本線または近鉄山田線松阪駅下車徒歩5分。

◎松阪公園(松阪城跡)
松阪市殿町
アクセス JR紀伊本線または近鉄山田線松阪駅下車徒歩15分または鈴の音バス「市役所前」下車すぐ。

◎本居宣長記念館
三重県松阪市殿町1536-7
アクセス JR紀伊本線または近鉄山田線松阪駅下車徒歩15分または鈴の音バス「市役所前」下車徒歩5分。開館時間 午前9時~午後4時30分
休館日 月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始

◎安養寺
三重県鈴鹿市中箕田1-10-7
近鉄山田線箕田駅徒歩7分
(蕭白作品の観覧には事前予約が必要)

展覧会情報

◎東京都美術館にて、「奇想の系譜展」が4月7日まで開催されています。

◎松阪市文化財センターはにわ館第2展示室では、「曾我蕭白特別展(仮称)」が10月19日から12月1日まで開催されます。