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2019年2月17日 / 旅の紹介 第86回 深川・両国・九段へ 北斎と馬琴の面影を探す旅

70代を迎えてから、「冨嶽三十六景」などの名作を世に送った葛飾北斎(1760-1849)。
その画力は、40代の頃に取り組んだ挿絵の仕事で培われたと言われています。
北斎が最も多くコンビを組んだ作家が曲亭(滝沢)馬琴(1767-1848)でした。二人の巨匠ゆかりの場所を訪ねました。

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『南総里見八犬伝』で名高い曲亭(滝沢)馬琴。深川江戸資料館にて。

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江戸後期にブームとなった伝奇ロマン「読本」(よみほん)。
庶民のために大量に出版された、いわゆるエンターテインメント小説です。
読本をはじめとする通俗的な小説の作者は、戯作者(げさくしゃ)と呼ばれました。『南総里見八犬伝』で知られる曲亭(滝沢)馬琴も、その戯作者の一人です。
馬琴と挿絵画家・北斎のコンビは、源為朝の活躍を描いた波乱万丈の物語『椿説弓張月』(ちんせつゆみはりづき)というヒット作をはじめ、13もの作品を生み出します。
しかし、コンビが続いたのは約10年。関係解消については様々な理由が推測されていますが、豪放な北斎に対してきちょうめんで気位が高い馬琴、という二人の両極端な性格もそのひとつだったようです。
松平家に仕える下級武士の家に生まれた馬琴。侍として育った誇りが、その気難しい性格の背景にあったのかもしれません。
まずは、馬琴が生まれた深川(現・東京都江東区平野)を訪ねてみました。

深川、馬琴生誕の地周辺

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清澄通りに面した馬琴生誕の地周辺(左)。本と版をかたどった馬琴生誕のモニュメント(右)。

父が急死し、兄たちも次々と屋敷を出たため、少年時代の馬琴の暮らしは楽なものではありませんでした。
すでに武士の中にも困窮する者が現われ、商人が台頭する時代が始まっていました。
松平家への奉公でかこった不遇にも耐えられず、馬琴は14歳のとき、「木がらしに思ひたちけり神の旅」と障子に走り書きを残し、屋敷を飛び出しました。
江戸時代の深川界隈の雰囲気を感じようと、馬琴生誕の地から歩いて約7分の深川江戸資料館を訪ねました。

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深川江戸資料館に続く通り。総菜店やお寺など昔懐かしい町並みが続く。

江東区深川江戸資料館

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細部までこだわりが楽しい再現展示。油堀に停泊する先がとがった猪牙船(ちょきぶね)。遊客を乗せた。

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中からも楽しめる再現展示。八百屋から表通りの眺め。お向かいは大店の肥料問屋。

館内には、馬琴の晩年にあたる天保年間(1831-1845)の深川佐賀町の町が、原寸大で再現されています。
地方から移ってきたばかりで家具も乏しい長屋住まいから立派な店構えの肥料問屋まで、さまざまな暮らしぶりが細部まで表現されているのが見所です。
何気なく横丁を巡るだけでも楽しいのですが、ボランティアガイドの方の案内に従って見学するのもおすすめです。それぞれの建物に暮らしたはずの個性豊かな「住人」たちの物語を聞くと、江戸深川の町並みがいきいきとしたものに見えてきます。

清澄庭園

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池の向こうに見えるのは数寄屋造りの涼亭。園内にはさまざまな産地の石が集められている。

もう少し深川界わいを堪能しましょう。
深川江戸資料館から歩いて約5分のところに、園内に集められた奇石で名高い清澄庭園があります。
もとは、豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡だったこの場所に、江戸時代中期には下総国関宿藩主の下屋敷が建てられましたが、明治期に入ると荒廃が進みます。
実業家・岩崎弥太郎によって買い取られ、現在のように整備されました。
関東大震災で大きな被害を受けた江東区の避難場所として活用されたことでも知られています。

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深川の名物といえば文字通り「深川めし」。アサリの香りゆたかなご飯は、元は漁師の日常食だったとか。

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萬年橋を渡って両国方面へ。北斎ほか絵師たちが隅田川に上がる花火を描いた場所。

東京都江戸東京博物館

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東京都江戸東京博物館外観(写真提供:東京都江戸東京博物館)。

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実物大の日本橋を渡って常設展示室へ。左手に見えるのは中村座の模型。

浪人の身となった馬琴は、生計をたてるために医術ほか、さまざまなことを学びますが身に付きません。一方、文学への関心ばかりが増していきます。やがて、当時の人気戯作者にして浮世絵師でもある山東京伝(さんとうきょうでん)に才能を見込まれた馬琴は、そのつてで蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)に出会います。
通称・蔦重(つたじゅう)と呼ばれたこの人物、歌麿や写楽の版元として知られるヒットメーカーであり、日本橋に錦絵や黄表紙と呼ばれる風刺小説を販売する書店を開いていました。
馬琴は一介の町人として、蔦重の店で働くことになったのです。

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「東海道名所図会」をもとに復元された江戸の絵草紙屋の店先。錦絵とともに本も売られている。

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北斎の弟子である葛飾戴斗(かつしかたいと)が挿絵を手掛けた『絵本通俗三国志』(展示替えあり)。

江戸時代中期に、出版の中心は上方から江戸に移ってきます。
庶民の要望に応えた娯楽としての書物が、幕府による度重なる禁令を乗り越えつつ、大量に出版されるようになりました。
江戸東京博物館では、本や浮世絵がどのように作られ、どう販売されていたかを多彩な資料から知ることができます。

すみだ北斎美術館

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北斎生誕の地に建つすみだ北斎美術館。建築家・妹島和世による設計。

江戸東京博物館から歩いて約5分の場所に2016年に開館したすみだ北斎美術館があります。
今から約250年前に本所割下水付近で生まれたと言われる北斎。その場所は、江戸東京博物館から、すみだ北斎美術館の北を西に走る通り(通称北斎通り)にあたります。

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常設展示室(AURORA)(左)と84歳の北斎が娘の阿栄と制作していた画室の再現(右)。

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「読本挿絵の時代」のコーナーに展示された石川雅望『飛騨匠物語』(複製)。

生涯、何度も自ら改名し、新たなジャンルに挑戦し続けた北斎。
常設展示では、20歳の頃に勝川春朗の名前で浮世絵界に打って出た頃から、70歳代半ばに画狂老人卍として迫力に満ちた肉筆画を描き始めるまでの画業を、時系列に展示しています。
「読本挿絵の時代」のコーナーでは、馬琴との仕事ではありませんが、北斎が挿画を描いた石川雅望作の読本『飛騨匠物語』を見ることができました。

九段~神保町

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読本挿絵に打ち込む少し前に描かれた「くだんうしがふち」。遠近法など、西洋の銅版画からの影響が見受けられる。

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作家として身を立てるようになってから馬琴が暮らした飯田町中坂(現・千代田区九段北)。

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馬琴住居跡にあったという井戸のモニュメント。

さて、あらためて馬琴。
1793年、蔦重の元を離れた馬琴は、飯田町中坂(現在の千代田区九段北)にあった履物商・伊勢屋のお百と結婚し、寺小屋などを営みつつ執筆中心の生活を送るようになりました。
北斎との共作が始まったのは、1806年、馬琴が40歳を迎えようとする頃です。北斎は47歳になっていました。
「この年の春、北斎が馬琴の家に居候して読本の挿絵を制作した」というエピソードは有名ですが、北斎が来訪したという記録を馬琴が残しているものの、北斎居候説の真偽のほどは実はよくわかっていません。
生涯93回もの引っ越しをはじめ、破天荒な逸話が尽きない北斎。そんなエピソードも真実のように思えてしまいます。

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馬琴が筆を注文したという記録が残る九段下玉川堂。墨・筆・紙・硯の文具四宝を扱う。

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壁面の棚全面に筆が並ぶ店内。与謝野晶子や永井荷風など、文人たちの特注品を作ってきた。

几帳面な馬琴は、日々の出来事をこまごました事柄まで日記に記していたことで知られています。
しばしば筆を注文に出かけ、日記に「玉川堂立寄、細字書筆注文申付」と記した筆店が今も営業を続けています。
創業200年の九段下玉川堂は明治維新をきっかけに少し離れた靖国通り沿いに移りましたが、江戸時代には中坂に店を構えていたそうです。

神田神保町

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和本や書道関連の本を扱う神田神保町の誠心堂書店。創業1935年。

馬琴の日記から浮かび上がるのは、成功してからも初がつおの片身を家族で分け合うほど質素な暮らしぶりです。
「宵越しの金は持たない」を美学とする江戸の町人気質とは対照的ですが、ひとつだけ散財を重ねたものがありました。
それは和漢の書物です。
九段下からすぐ、本の町・神保町に足を伸ばしました。

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誠心堂書店。奥の棚には整然と和本が並ぶ。

馬琴が集めたのは、歴史書、伝記書から医学書に至る約5千巻と言われています。
過去に馬琴が所蔵していたことを示す「瀧澤」の蔵書印がある本は、現在でも市場に出回ることがあるそうです。

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馬琴と北斎のコンピによる読本『そののゆき』第1巻。登場人物紹介のページ。

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『そののゆき』第1巻冒頭。貸本屋の営業印(上部の丸い印)が押されている。

取り扱う和本の中から、馬琴と北斎コンビによる読本を見せていただきました。
伝奇小説『そののゆき』は、彫り師の仕事が遅れたために馬琴が版元から訴えられたいわくつきの作品です。
読本のページをめくり、文字が並んだページの間から挿絵が現われる瞬間にはドラマチックな感動があります。
錦絵のような華やかな色彩こそありませんが、見開きページに展開する凝った構図と、力強い墨色からは、読者をあっと驚かせようとする北斎の心意気が感じられました。

最初のページには、貸本屋の丸い営業印が押されています。
北斎が読本挿絵に打ち込んだ文化年間(1804-1818)、江戸の貸本屋は650軒を超えていたそうです。
風呂敷に包んだ本を背負い、貸本屋は得意先を回りました。馬琴は、そのネットワークから広まっていった戯作者です。
ページ左下角の部分には、うっすらと汚れが付いています。
はやる気持ちを抑えつつページをめくった、江戸の人々の熱狂の証を見たようで胸が高鳴りました。

約10年間のコンビが解消される前年の1814年、北斎は『北斎漫画』を、馬琴は『南総里見八犬伝』を出版します。ともに、ライフワークとなる作品の制作や執筆へとまい進していきました。
今回は、共作の時代に焦点をあてましたが、長い生涯を送った二人にはさまざまな切り口があると思います。
江戸文化の巨星をしのぶ旅、いかがでしょうか。

展覧会情報

◎「新・北斎展」3月24日まで 森アーツセンターギャラリー

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「弘法大師修法図」(奥、西新井大師總持寺所蔵)他、大作は圧巻ですが、読本の代表作『椿説弓張月』ほか挿絵の仕事も見ごたえがあります。

インフォメーション

◎江東区深川江戸資料館
東京都江東区白河1-3-28
開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜(祝日の場合は翌日) 年末年始
アクセス 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩3分

◎清澄庭園
東京都江東区清澄2, 3
開園時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休園日 年末年始
アクセス 都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅徒歩3分

◎東京都江戸東京博物館 
東京都墨田区横網1-4-1
開館時間 午前9時30分~午後5時30分、土曜日は午後7時30分(入館は閉館の30分前まで)
JR総武線「両国」駅徒歩3分、都営地下鉄大江戸線「両国」駅徒歩1分

◎すみだ北斎美術館 
東京都墨田区亀沢2-7-2
開館時間 午前9時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)
都営地下鉄大江戸線「両国」駅徒歩5分

◎九段下玉川堂(馬琴が筆を買った店)
東京都神田神保町3-3
東京メトロ半蔵門線・東京メトロ東西線・都営地下鉄新宿線「九段下」駅徒歩3分
東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線・都営地下鉄三田線「神保町」駅徒歩3分

◎誠心堂書店(和本の店)
東京都千代田区神田神保町2-24
東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線・都営地下鉄三田線「神保町」駅徒歩3分