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2018年8月12日 / 旅の紹介 第74回 信州へ いわさきちひろと北アルプスを感じる旅

今年はいわさきちひろ生誕100年。いわさきちひろは東京を中心に活動しましたが、両親の郷里であった長野・松本は小さいときからたびたび訪れ、ゆかりの深い土地でした。終戦もこの地で迎えました。また戦後、松川村に越した両親に、生まれたばかりの息子を預けて、東京からひんぱんに通いました。今回は、ちひろにとっての心のふるさと、長野・信州に旅します。

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「国破れて山河有り」。終戦の翌日にあたる8月16日、いわさきちひろは山のスケッチに、こう言葉を添えた。当時の心境に思いをはせる。

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第二次世界大戦の中、東京・中野の家を空襲で失ったいわさきちひろは信州へ疎開、終戦を松本で迎えます。そして終戦の翌日から書きつづった「草穂」という名の日記が今も残っています。そこには敗戦を機にこれからどう生きていくのか、絵に対する気持ちとともに思い悩む26歳のちひろがいました。

「私の娘時代はずっと戦争の中でした」「戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います」後年そのように語り、また「平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます」という言葉も残したいわさきちひろ。ちひろの絵の根底にあるものを信州の風景から感じたい。そんな気持ちで訪れました。

松本・城山公園

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駅前には山登りの装備をした人がいっぱい。

朝、松本に降り立ちました。駅の周りには山登りの人々をたくさん見かけ、また見渡すと、東にも西にも山並みが広がっています。まず、ちひろの母方の実家があった場所に近く、幼い頃から裏山感覚で行っていたという「城山(じょうやま)公園」に行ってみます。

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城山公園。もともと山城があった場所で見晴らしが素晴らしい。

公園自体が高台にありますが、中でも展望台からの眺望は素晴らしく、西に北アルプス連峰、東に美ヶ原高原を望むことができます。前述の、終戦直後にちひろが書いた日記「草穂」の8月28日分でも「城山より美ヶ原高原を望む」というスケッチが出てきます。

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展望台からは全方位に山岳の大パノラマが展開。こちらは東向き、美ヶ原の山々を眺めたところ。

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城山を下った辺り、奈良井川沿いに立つ「新橋記念碑」。記念碑の数軒隣りにちひろが戦時中疎開した母方の実家があった。 

次に車を西に走らせ、ちひろが8月16日に「国破れて山河有り」の言葉を添えて金松寺山(きんしょうじやま)をスケッチした辺りにも行ってみました。現在の松本市立梓川小学校の近くではないかとされています。

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松本市立梓川小学校の近くから望む金松寺山。

「草々の色、山のあおさ、日本の大空よ!」(「草穂」8月16日の日記より)。戦後70年以上が経っていますが、この場所の景色は変わっていないのでは。そんなことを思ってしまうような、ちひろの言葉そのままの景色が広がっていました。

白骨温泉

山道に入り、西へ西へドライブすること1時間弱、白骨(しらほね)温泉に着きました。ここはいわさきちひろが新婚旅行代わりにご主人と訪れたというエピソードも残る温泉です。白骨温泉とあわせて上高地も家族でたびたび訪れ、くつろいだりスケッチなどもしたようです。

実際に温泉に浸かってみました。空気に触れると白濁になる乳白色の湯で肌触りが最高です。またお風呂の近くには白樺の林などもあります。白骨温泉には日帰り入浴ができるところもありますが、松本の中心地から結構な時間を要するのと、早めに受付が終わってしまうところもあるので、電話などで事前に確認されることをおすすめします。

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白骨温泉の近くの白樺林。

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薄い乳白色をしたお湯で、療養などにも良いとされている白骨温泉。

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白骨温泉は鎌倉時代から800年以上にわたって続いていると言われている。

安曇野ちひろ美術館

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JR大糸線。窓からの景色はこの電車に乗る醍醐味。 

いわさきちひろを感じる信州の旅、1日目は松本で2日目は安曇野に移動します。松本駅からJR大糸線に乗り、信濃松川駅で下車。大糸線は車窓からの眺めも魅力のひとつ。西側の窓から北アルプスの山々を満喫できます。

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北アルプスと田園の風景がずっと続く。

駅を降りたらレンタサイクルを使うのをおすすめします。北アルプスに向かって自転車を15分ほど走らせると、安曇野ちひろ美術館に到着します。

安曇野ちひろ美術館は東京のちひろ美術館が20周年を迎えたのを記念につくられました。初代館長はちひろの息子の松本猛(たけし)さんが務めました。現館長は黒柳徹子さんです。

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信濃松川駅から安曇野いわさきちひろ美術館に向かう。道すがら、ちひろの絵に出てきそうな子どもたちとすれ違う。

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安曇野ちひろ美術館。家族連れが多く憩う。

いわさきちひろの作品や資料の展示のほか、収蔵する世界の絵本画家207名のコレクションからの企画展示、さらには絵本の歴史についての展示室などがあります。

また今年は生誕100年を記念し、年間を通してさまざまな分野のアーティストがいわさきちひろの作品とコラボレーションする企画展が開催されています。訪れたときは、トラフ建築設計事務所が、ちひろの絵の中にたびたび帽子が登場することに着目、「帽子は子どもにとって、一番身近な家、あるいはへやのように安心できる小さな空間なのかもしれません」として企画した展覧会「子どものへや」が行われているところでした。

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赤いつばの帽子をかぶった子どもを描いたいわさきちひろ作品。

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さまざまな帽子をかぶった子どもたち。

赤、黄、紫、緑……、いろんな色をした帽子。おおきいつばの帽子、麦ワラ帽子、白い毛糸帽。言われてみると確かにちひろ作品には帽子と一緒の子どもが数多く登場します。また、ちひろ美術館に来館している中にも、帽子をかぶった子どもが多く、館内や庭で見かけるその子たちが絵の中の人物と重なって見えてきます。

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トラフ建築設計事務所が今回の展覧会に合わせてデザインしたオブジェ「空気の器」。浮遊感があり宙を舞うシャボン玉のよう。よく見ると、ちひろの帽子の子どもの絵がプリントされている。 

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いわさきちひろ自身の帽子や服の展示もされていた。

「いわさきちひろの人生」のコーナーには、ちひろの手がけた絵本が一堂に会して陳列されている棚がありました。どれも一見サラッと描いているように見えて、その実、作品ごとにそのテーマにもっとも合った描き方が模索されているのが伝わってきました。

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ちひろが手がけた絵本の表紙が並ぶ。伝える内容によって描き方が異なる。その多様な表現に驚く。

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いわさきちひろが幼年期好きで見ていた雑誌「コドモノクニ」も展示されていた。

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絵本の部屋。3000冊の蔵書の中から自由に選んで読むことが可能。

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地元・松川村の中学生が講師役になって来館者にちひろの水彩技法の手ほどきをする、夏休みのワークショップも開催されていた。

安曇野ちひろ美術館は展示を見る以外に、ベンチに座ったり絵本を読んだり、カフェに立ち寄ったりと、「時間を過ごす」ことへの気配りをされている美術館という印象でした。さらに、北アルプスに抱かれるようにして館の周りを囲む安曇野ちひろ公園とも行き来することができます。公園の一角にある「トットちゃん広場」では『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子・著/いわさきちひろ・絵)に登場する電車の教室の再現などもあります。また、ちひろが1966年に長野県北部の黒姫高原に建て、以降ここからたくさんの作品を生み出すこととなった黒姫山荘を復元した建物もあります(現存する黒姫山荘は長野県上水内郡信濃町にある黒姫童話館敷地内に移築、公開されています)。

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紫色のブルーサルビアが一面に咲き誇る中、散歩するファミリー。

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安曇野ちひろ公園の中にある、黒姫山荘を復元した建物。

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黒姫山荘の室内も忠実に再現。こちらはリビング兼ダイニング。この横に四畳半の和室のアトリエがついている。

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「トットちゃん広場」に置かれた古い車両。その後ろに北アルプス連峰がそびえる。 

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長野電鉄の古い車両を再活用して『窓ぎわのトットちゃん』に出てくる「電車の教室」を再現。机や椅子は、地元の工業高校の生徒が木工で再現した。

桜沢いせき公園

安曇野ちひろ美術館がここ、松川村につくられた理由のひとつとして、ちひろの両親が戦後に暮らした場所であったことがあります。ちひろは、生活のため生まれて間もない乳飲み子の長男・猛さん(ちひろ美術館の初代館長)を、1歳になるまで両親に預けざるを得ませんでした。そこにちひろは東京から10時間もかけて会いに通ったといいます。家があったのは、ちひろ美術館より少し上った、現在縄文時代の史跡公園となっている「桜沢いせき公園」の周辺と言われています。

桜沢いせき公園の駐車場には「いわさきちひろスケッチポイント」の看板が立っています。いわさきちひろは、高台になったこの場所から田園を見下ろした水彩画を描いています。夕焼けを思わせる赤いにじみが印象的な作品です。実際ここからの夕暮れの景色は大変美しいそうです。

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戦後いわさきちひろの両親が暮らした松川村神戸原(ごうどはら)。その場所からの眺め。

終戦とともに生きる自由を思い出した26歳のいわさきちひろ。また生まれたばかりの幼子との時間を安曇野松川村で過ごしたいわさきちひろ。草々の色、山の青、日本の大空。信州で、ちひろの作品と大自然に触れ、守っていかなければいけないものについて考えました。信州の山々といわさきちひろを満喫する旅、いかがでしょうか。

インフォメーション

◎城山公園
長野県松本市大字蟻ヶ崎1219番
松本駅前の松本バスターミナルから松電バス北市内線西回りで6分、城山公園口下車徒歩10分

◎白骨温泉
長野県松本市安曇4197-16(観光案内所)
(公共交通)松本駅より松本電鉄線で30分の「新島々」駅よりバスで70分/タクシーで50分
(車の場合)松本I.C.より50分 湯川渡から10分

◎安曇野ちひろ美術館
長野県北安曇郡松川村西原3358-24
開館時間 午前9時〜午後5時(GW・お盆は午後6時まで)
休館日 第2・第4水曜(祝休日は開館、翌平日休館) 展示替のための臨時休館あり GW・8月は無休
交通 JR大糸線信濃松川駅から約2.5キロ(タクシー5分、レンタサイクル15分、徒歩30分)/長野自動車道「安曇野」I.C.より約30分

・現在、いわさきちひろ生誕100年を記念して、さまざまな分野で活躍するアーティストといわさきちひろがコラボレートする展覧会「Life展」が、ちひろ美術館・東京(東京都練馬区下石神井4-7-2)と安曇野ちひろ美術館の2館で開催中です。詳しくは施設ホームページをご覧ください。

◎桜沢いせき公園
長野県北安曇郡松川村4328番地の69

その他展覧会情報

東京ステーションギャラリーで展覧会「生誕一〇〇年 いわさきちひろ、絵描きです。」が開催中です。9月9日まで。
開館時間 午前10時〜午後6時(金曜日は午後8時まで開館/入館は閉館の30分前まえ)
休館 月曜(7/16、8/13、9/3は開館)、7/17
交通:JR東京駅丸の内北口改札前