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2018年7月29日 / 旅の紹介 第73回 奄美大島へ 田中一村と奄美を感じる旅

今年は日本画家・田中一村の生誕110周年にあたる年。現在、佐川美術館(滋賀)での個展が開催中です。またパリで行われている「ジャポニスム2018 深みへ−日本の美意識を求めて−」展にも出品されています。今回は田中一村が暮らし、描いた奄美大島に旅します。

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奄美大島に渡って間もない昭和30年代の頃の田中一村。精かんな顔立ちが印象的。田中一村記念美術館にて。

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日本画家・田中一村(いっそん)は1908年栃木県生まれ。現在の東京藝術大学の前身、東京美術学校で東山魁夷などと同期です。しかし中央画壇でスポットがあたることはなく、1958年に50歳で奄美大島に渡ります。そして1977年に没するまで、この地の自然を観察した絵を描き続けました。その後1980年代半ばから新聞やテレビ番組で取り上げられたことで、全国的に注目されるようになりました。現在、各地で展覧会が開催されていますが、作品の大半は奄美大島で見ることができます。
というわけで、早速飛行機に乗り、奄美空港へと降り立ちました。

田中一村記念美術館

空港からすぐ、車で約5分のところに田中一村記念美術館があります。ここでは奄美時代の作品はもちろんのこと、東京や千葉に住んでいた頃の作品まで充実しています。生誕110周年を記念し、現在も特別企画展が開催中ですが、9月29日からの特別企画展では田中一村記念美術館が所蔵している奄美時代の作品の大規模展示がされる予定です。

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奄美に渡ってからの作品群。右の絵にはサクラツツジとオオタニワタリ、左の絵にはビロウやパパイヤといった現地の植物が描かれる。

作品を見ると惜しみなく顔料が用いられ、絵に華やかさがあります。しかし、奄美時代は大島紬(つむぎ)の職工として働きながら生活費を切り詰め、画材費を貯めたと言われています。いかに一村が絵のことを第一に考え、真剣勝負をしていたかが伝わってきました。

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「奄美の海に蘇鐵(そてつ)とアダン」。ソテツ、ダチュラ、アダンがモチーフになっている。

また、本土とは違う、独特の姿かたちをした奄美の植物や生き物がモチーフになっているのも鑑賞の楽しみのひとつ。田中一村の絵からはモチーフに対する観察力のすごさが伝わってきますが、そのおかげで鑑賞者は奄美の自然についても深く触れることができます。

「この美術館を奄美につくった動機のひとつはそこにあります。一村さんの絵を見て奄美の自然を楽しむ、あるいは奄美の自然を見てから絵を楽しむ。そのどちらでも良いですが、田中一村の作品と奄美の自然を往還しながら楽しんでいただけたらと思います」(田中一村記念美術館学芸員 前野耕一さん)

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ガジュマルの木に止まるトラフズク。一村の絵に描かれた鳥たちはみな表情がみずみずしい。

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こちらは東京に住んでいた頃の作品。当館では奄美以前の作品の収蔵も充実している。

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田中一村記念美術館の周囲では絵に登場する植物が見られる。こちらはアダン。

ちなみに田中一村記念美術館の周辺には、アダン、ソテツ、ビロウ、サクラツツジ、ハマユウ、ガジュマルなど、絵に登場する植物がさまざま植えられています。作品を鑑賞後はぜひ散歩してみてください。

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ビロウ。一村の絵の中では墨で描かれることが多い。

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田中一村記念美術館は、奄美の自然と暮らしを紹介する奄美パーク内に2001年につくられた。

大島紬村で大島紬の工程を見学

田中一村は大島紬の職工として働いていたということで、龍郷町にある大島紬村を訪問、作業の見学をさせてもらいました。どなたでも見学ができ、また希望すれば染めや織りの体験をすることも可能です。

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大島紬の染めの工程を説明してもらっているところ。大島紬特有の渋い黒い糸にするためには85回も染めを繰り返さなければいけないという。

かって大島紬は島民のうち何千という人が携わっている奄美大島の主要な産業で、細かく分業化がされていました。田中一村が工場で担当していたのは「摺(す)り込み」というパートだったそうです。 

大島紬の基本色となる黒を泥染めによって行った後、染めずに白く残しておいた部分に、ヘラを使いながら顔料を摺り込んでいきます。これが「摺り込み」で、一村は日々この作業をして働き、お金がたまったら仕事を辞めて、絵の制作に集中したのだそうです。

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伝統的な泥染めの実演。

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田中一村が担当した「摺り込み」の作業の実演。のりを入れた色の顔料をヘラで糸に摺り込んで行く。

田中一村への興味がきっかけでしたが、結果的に奄美の伝統工芸である大島紬がいかに手間のかかる工程を経てでき上がるかを知る良い機会になりました。
ちなみに大島紬村のある敷地は亜熱帯植物庭園でもあり、一村の絵に登場するルリカケスの巣も敷地にあるとのこと。日常的に見かけることができるそうです。

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複雑な工程を重ねて最終的に織りに進む。織り機を使っても仕上げられるのは1時間で20センチくらいだという。

国立療養所奄美和光園と田中一村終焉の家

奄美大島に渡った田中一村が千葉医大の知人からの紹介状を手に身を寄せた先は、ハンセン病療養所である国立療養所奄美和光園でした。以後、田中一村は和光園の官舎で暮らし、そこを出た後も和光園の職員が持っていた家を借りて生活しました。和光園はその四方を山と原生林に囲まれていましたが、そこは一村にとっての大事な写生場所でした。 

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国立療養所奄美和光園。ハンセン病の療養所として1943年に開設された。現在は皮膚科を中心とした外来診療も行う。

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特別に和光園の敷地内に入れていただいた。奥へ奥へと進むと今も深い森が。ここより更に進んだところで田中一村は写生をしたという。

和光園の職員として働いた松原千里さんに、当時の思い出を聞きました。田中一村が居た当時、父親が和光園の庶務課長をされていて、また自身も幼いときから園に出入りしていたそうです。

「一村さんは和光園の奥に進んだ山の中、園の人間でも行かないような場所に、毎日のように早朝から出かけていかれました。うちの父をはじめ、施設の人はみな『ハブも出ますし危険ですからどうぞお止めになってください』と心配したものです。しかし一村さんは『自然の営みの中に私ごとき人間が踏み込んでしまうこと自体が恐れ多いこと。自分としては謙虚な気持ちで入らせてもらっている。だからハブを怖がったりするのは自然に対して失礼なのです』。以来、園の人たちは『自分たちの尺度で測れるような方ではない』と言わなくなったのです」

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和光園から数百メートルのところに「田中一村終焉の家」が移築保存されている。この建物が現在ある場所の近所に田中一村が16年近く暮らした家があった。

写真家・濱田康作さんの話

奄美在住の写真家で、文化人類学者の今福龍太さんなどと共に奄美自由大学を運営している濱田康作さんにも話を聞きました。 
「ひとつお伝えしておきたいのは、今日みたいな白い雲と青い空に恵まれた晴天が奄美の典型的な天候と思わない方が良いということです。奄美は国内有数の多雨地帯。むしろ黒々とした空を奄美の人たちは見慣れている。一村さんの絵も、そういう奄美の色を深く捉えている」

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田中一村の絵においては、人里と自然の境界や、夜と朝の中間の時間が見事に描かれていると語る写真家・濱田さん。

「また夜から朝へ、あるいは夕方から夜へと移りゆく、はざまの時間を描いているという印象もあります。和光園の奥の自然もそうだったかもしれませんが、人里から山の中へと、そのような時間に入っていき、息をこらし神経を集中させ、そこの一部になりきるくらいの自然との深い一体化が一村さんの絵にはあるように感じます」

奄美自然観察の森/金作原原生林

田中一村の絵を見て、さらに奄美の自然との深い関わりについて聞くと、直接に自然を感じたい気持ちが高まります。向かった先は「奄美自然観察の森」。奄美大島の貴重な動植物を観察することができる場所です。自然観察員の方の話によると、一村の絵にたびたび登場する鳥・アカショウビンは、「夏の時期の朝早い時間、早朝5時半から7時くらい、もしくは日没前後に見られます。ただし鳴き声が聞こえても、非常に臆病なため人間の姿が見えるとすぐに逃げてしまいます」とのこと。

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奄美自然観察の森にて。木の穴にアマミイシカワガエルを発見。

実はこの後、森の中でアカショウビンの姿を発見したのですが、シャッターを押す間もなく飛び去ってしまいました……。
同じく一村の絵によく登場するルリカケスも水飲み場で遭遇できたのですが、撮影する前に逃げられてしまいました。

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キツツキ科のオーストンオオアカゲラを発見。木をつつく音が森に響き渡る。

アカヒゲとオーストンオオアカゲラは撮影することができました。慣れてくると鳴き声の違いを聞き分け、その方向を確認して近づいて観察することができるようになりました。それにしても、アカショウビンのように注意深い鳥をあのように克明に描画できた一村はすごいのひと言です。

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ソプラノトーンの鳴き声が美しいアカヒゲ。低いところに止まっていることも多い。

金作原原生林(きんさくばるげんせいりん)には天然の亜熱帯植物が多数残っています。こちらではクワズイモやオオタニワタリなどを見ました。奄美は梅雨の季節に咲く花が充実しているのですが、その頃に来ればイジュ、コンロンカの花なども見られるそうです。

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金作原原生林にて、クワズイモの葉。

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オオワタリが他の種類の木に着生するさま。

町の魚屋さん

朝早く、町中の魚屋さんに立ち寄ってみました。取材の趣旨をお伝えしたところご主人はその日とれたばかりのカラフルな熱帯魚をいくつも見せてくれました。どの魚も、色も形も非常にユニーク。一村が夢中になって奄美の魚をデッサンしたのがわかる気がしました。

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魚屋さんで田中一村の画集を発見。

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上の図版の中に見えている田中一村の作品『熱帯魚三種』の1番下に描かれている魚がスジブダイとのことで実物を見せてもらった。

立神

他に、田中一村が描いたモチーフに「立神(たちがみ)」があります。奄美大島には立神という岩がいくつもあり、神々が住む海の向こうの豊穣の国ネリヤカナヤから神様が渡ってくるときに降り立つ場所と考えられているそうです。宿泊していたホテルからも海に浮かぶ立神がよく見えました。

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名瀬湾に浮かぶ立神岩。ホテルの屋上から撮影。

対象とするものを、その深い部分まで捉えて絵にした田中一村。それだけに、奄美で田中一村の作品を鑑賞した後で自然に触れると、一層充実した奄美体験ができると思います。一村を楽しみ、奄美を楽しむ旅に、ぜひお出かけください。

インフォメーション

◎田中一村記念美術館(鹿児島県奄美パーク内)
鹿児島県奄美市笠利町節田1834
開館時間 午前9時~午後7時(9月以降は〜午後6時)
9月の休館日は5日(水)、19日(水)、27日(木)、28日(金)

現在「生誕110年 奄美への路II 田中一村展」が開催中。9月26日まで。
9月29日からは「生誕110年 奄美に魅せられた日本画家  田中一村展」を開催予定。

◎大島紬村
鹿児島県大島郡龍郷町赤尾木1945
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 なし

◎田中一村終焉の家
鹿児島県奄美市名瀬有屋38番地3、4
休館日 なし

◎奄美自然観察の森
鹿児島県大島郡龍郷町円1193
開園時間 午前9時~午後4時
休園日 不定

◎金作原原生林
鹿児島県奄美市名瀬朝戸金作原

原生林を体験するツアーがあります。前日までに要予約。

その他の展覧会情報

◎佐川美術館(滋賀)では「生誕110年 田中一村展」が開催中です。9月17日まで。

◎岡田美術館(神奈川県)では「初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家―」が開催中です。9月24日まで。