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2017年5月21日

第43回 北海道・小樽へ 一原有徳をたどる旅

40歳を過ぎて本格的に絵を始め、その数年後には異彩を放つ抽象版画で一躍注目を集める存在となった一原有徳。
精力的に制作を続け、2010年、100歳でこの世を去りました。
作家の面影を追って、一原が暮らした北海道・小樽を訪ねます。

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JR小樽駅から徒歩約10分のところにある市立小樽美術館/市立小樽文学館。建物の前には鉄道遺産「手宮線」のレールが。

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版画家・一原有徳が全国で知られるようになったきっかけは、1960年、美術評論家・土方定一から世界巡回版画展の出品作家に選ばれたことでした。
無機的で、異次元の空間を描いたような、モノクロームの抽象版画たち。
生涯、唯一無二のイメージを生み出し続けました。

一方で、北海道内の山に精通し、詳細なガイドブックを著すなど著名な山岳人でもありました。加えて、俳句作家であり、スキーの達人であり。山岳小説で新人小説家の登竜門「太宰治賞」の候補になったこともあります。 

市立小樽美術館/市立小樽文学館(旧・郵政省小樽地方貯金局)

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建物を設計したのは、小坂秀雄。日本の名だたる郵政建築を手掛けたことで知られている。

一原とは一体何者なのか。そんな思いを胸に、まず訪れたのは市立小樽美術館/小樽文学館。この建物は、かつて郵政省小樽地方貯金局でした。小樽ゆかりの作家を紹介するこのミュージアムの3階は現在、一原有徳記念ホールになっています。収蔵は1200点以上で常設展示されています。

実はこの建物、一原有徳のかつての「職場」でもあるのです。
一原は16歳で貯金局に就職し、1970年に定年を迎えるまでこの場所に勤めました。   

建物の面する通りは、昔「北のウォール街」と呼ばれていました。道を挟んで向かいにある、かつての日銀小樽支店の建物(辰野金吾設計)などもその名残りです。

現在、市の管理でミュージアムとして使われている旧貯金局の建物は、ホテルオークラ東京の設計に携わったことでも知られる小坂秀雄による建築です。当時の世界の潮流であるインターナショナル・スタイルの影響を感じさせるモダンなデザインです。

小樽の全盛期にあって、一原はさまざまな文化の薫陶を得ていったと推測されます。一原はこの建物のことを「第一級の現代建築」として評価し、そのことを文章にも記しています。  

一原有徳記念ホール(小樽美術館 3階)

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一原作品が常時見られる一原有徳記念ホール。

興味深いことに、一原有徳を一躍有名にした初期の抽象版画は、一原にとって職場だったこの建物内で制作されていました。
ちょうど職場で配るプリントがガリ版刷りに切り替わった頃で、地下にはそれ以前社内の印刷物用に使われた石版の石が放置されていました。一原は、建物の一室を職場公認で、アトリエとして使わせてもらっていたそうです。当初、石版石を油絵のパレット代わりに絵を描いていましたが、ある時、そこに残った絵具の痕跡を面白く感じて紙に転写したところ、見たことのないイメージができ上がった、との逸話が残っています。

「一原有徳記念ホール」は、一原が亡くなった翌年の2011年に設けられ、初期から晩年に至るまでの作品が並んでいます。
自宅にあったアトリエが忠実に再現されているのも、見どころです。中に入ると画家のアトリエというより、どこか鉄工所を思わせる工房です。

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再現されたアトリエの真ん中には、実際に一原が使っていたプレス機が。

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鉄の廃材?がアトリエ内に多く置かれている。

生前の一原有徳とも親交があった、小樽文学館館長の玉川薫さんに話を聞きました。

—— 一原さんとはどんな人だったのですか?

玉川さん:一原さんは、非常にフランクで誰とでも分け隔てなく話す人でしたが、情緒的な物言いはしない、常に理詰めで物事を考える人でした。

—— 作品の前に行くと思わず息を飲むような、ピンと張り詰めた感じがありますね。

玉川さん:一原さんは登山、とりわけ岩登りに精通した人としても知られていました。崖を登るときの指先の感触とか、ひとつ間違えば命を落としかねないぎりぎりのところでの生を知っている。もちろん作品と登山は別ですが、高い次元での張り詰めた感触という点では通ずるものがあるかもしれません。

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初期モノタイプ技法で制作した作品。息をゴクッと飲んでしまうような緊張感。

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80歳を超えてからの作品。柔軟な表現にむしろ若々しさを感じる。

小樽文学館2階 かつての一原の仕事場

同じ建物の2階は、市立小樽文学館。ここには美術作品以外の一原有徳の資料が保管されています。
一原が俳句を詠んだ色紙、小説『乙部岳』の原稿、登山記録がびっしりと書き込まれた帳面類、手書きの山岳ルート図、果ては登山のときに実際に使用されたハーケン(岩壁の割れ目に打ち込む金属製のくさび)など。
普段は収蔵庫に保管されており、企画展の際に展示されます。。

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現在の小樽文学館企画展示室。下の写真と比較してほしい。

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ここはかつて郵政省小樽地方貯金局のオフィスだった。上の写真と同じ方向から撮影されている。(写真提供=市立小樽文学館)

この2階部分は貯金局職員時代、一原有徳がデスクを構えていた場所でもあります。3階の一原有徳記念ホールに展示されている、当時の職場風景の写真。現在の文学館の空間と比較してご覧ください。

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一原有徳著『北海道の山 アルパイン・ガイド11』より。文中イラストも一原が描いている。

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カフェスペースは当時の天井高のままだ。

偶然立ち寄った市内のアウトドアショップで

美術館を出た後、小樽駅前のアウトドアショップに喫茶コーナーがあるのを見つけて立ち寄りました。と、壁に山の写真や絵がたくさん飾ってあるのを見て、コーヒーを飲みながらオーナーさんに何とはなしに尋ねました。
「一原有徳さんって、ご存知ですか…?」。
するとオーナーさん、「お客さんの目の前に飾ってある山の絵、一原さんの作品なんですよ」。

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偶然入ったお店の版画が、一原さんの作品と知って驚く。

「これらの版画は、うちの宝物なんです。一原さんの息子さんがやはり登山をする方でお店に来られていて、特別に下さったんです」。よく見ると、壁には何枚も一原有徳の版画が掛けられていました。抽象画とはまた違う、山のシルエットが描かれた版画たち。ご主人いわく、「一原さんは道内の山の開拓者。とりわけ小樽の『赤岩山』の登山を一般に広めた人物として、山登りをする人の間では有名ですよ」。

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「一原さんの本流は抽象版画ですが、山がモチーフの作品もつくっていたんですね」とオーナー。

赤岩山を登る

翌日、実際に赤岩山に登ってみることにしました。標高は371mと低いですが、ロッククライミングスポットとして全国的にも有名とのこと。

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「おたる水族館」の横から登っていく。向こうに見えるのは祝津港。

それにしても、5月半ばの北海道は爽快で気持ちいい。ハイキングロードも整備されているので、軽装で大丈夫。ただしウィンドブレーカー、帽子、足元のしっかりした靴、水などはもちろん装備することをおすすめします。

ルートはいくつかあるようですが、今回は、おたる水族館のバス停まで行き、水族館の横を抜けて下赤岩山に入る道から登ります。 

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途中の展望台にて。向こうの方に岩場がいくつも見える。

ハイキングロードは一般用の山道で岩登りはありませんが、道中の眺望の開けた場所からは海と見事な岩場が眺められます。海に面してそそりたつ断崖絶壁。一原はこれらの岩壁を登っていたのでしょうか。

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真ん中に見える岩の頂上に、小さなお地蔵様が置かれていた。

と、よく見ると人が立つことすら難しいと思われる、細長い岩山のてっぺんに小さなお地蔵様が! 「こ、こんなところに登るの??」思わずつばを飲みました。

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(左)実際にロッククライミングしている方たちも発見。(右)岩肌のアップ。

印象的だったのは岩肌に触れたときの感触です。そのヒヤリと冷たい岩の感触を手で味わいながら、一原有徳の作品から感じた、ピンと張り詰めた緊張感を思い出しました。

「下赤岩山」を超えると赤岩峠があり、そこから南に進路を取り下山。だいたい40分程度の登山でした。

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赤岩山から下山して、「赤岩二丁目」のバス停に向かう。

一原有徳のかつての職場であり、小樽の歴史的建造物、現在は作品が見られるミュージアムとなっている小樽美術館/文学館。街中での偶然の一原作品との出会い。そして一原が登った山。小樽で、たくさんの“一原有徳体験”ができました。

文学館の玉川さんの言葉を思い出しつつ帰途に着きました。
「一原さんはいわゆる破天荒とか情熱家とは違う。常に冷静。でも一番すごいのは生み出したものの総量と思う。作った版画の数、書いた文字の量、登った山の数、距離、その克明なデータ。クールだけど、同時にすごいエネルギーの噴出力を持った方」  

皆さんも小樽を楽しみ一原有徳を感じる旅、いかがでしょうか。

住所/アクセスなど

◎市立小樽美術館(1階、3階)・市立小樽文学館(2階)
北海道小樽市色内1-9-5
JR小樽駅より徒歩10分
開館時間 9:30~17:00 休館日:月曜(祝日除く)

◎赤岩山
今回は、JR小樽駅前バスロータリーから中央バスで「おたる水族館」バス停下車。「赤岩オタモイ線歩道」に入り、「下赤岩山」を越え、「赤岩峠」まで行き、そこから下山、「赤岩2丁目」バス停で駅に戻るというルートで行いました。天候を事前に確認してから登るようにしてください。