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2017年3月12日 / 旅の紹介 第39回 浅草、上野へ 長谷川利行を訪ねる旅

大正末から昭和はじめの東京を描いた画家・長谷川利行。
“日本のゴッホ”とも呼ばれ、鮮やかな色彩と激しいタッチで時代の息吹を捉えたその絵には、今も熱狂的な愛好者がいます。
彼が描いたかつての東京の面影を求めて、隅田川沿い・浅草・上野を歩きました。    

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東京スカイツリーをのぞむ隅田川沿いの風景。春の気配が感じられ、川の土手を歩くだけでも気持ちがいい。

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長谷川利行(はせかわとしゆき)は生きているときも周囲から一目置かれる画家でした。
画布に向かうと“嵐のような”勢いで作品を描き上げるのが常で、一瞬のうちにエッセンスを封じ込めるかのようなその画力をして、天才と呼ぶ人も少なくありませんでした。一方で、酒浸りで、また簡易宿泊所を渡り歩き、お金がなければ押し売りまがいに描いた絵を知人に売って暮らしをつないでいました。そんなところから、高く評価はしつつも敬遠する向きもあったようです。

しかし当時も今も、その作品を愛好する人々は親しみを込めて彼のことを利行と下の名前で呼びます。また本名は「としゆき」ですが「リコー」と呼ぶ人も多いです。この文中でも身近に感じたいとあえてその呼び方で記すこととします。

1. 白鬚橋・ガスタンク

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かつて利行が描いた東京ガスのタンク、絵の中では円筒形の形状。球状で形は変わったが今も同じ場所にある。

さて最初にやってきたのは「白鬚橋(しらひげばし)」。浅草駅からバスで北に15分ほど行ったバス停「泪橋(なみだばし)」で下車して徒歩5分程度のところ、隅田川に架かる橋です。ここから、利行がかつて描いたガスタンクの風景が見られます。利行が描いた昭和初期には円筒形のタンクでしたが、現在は球状のものに変わっています。

利行と20年来の友人、故・矢野文夫が著した伝記には、利行と荒川沿いをたびたび歩いた思い出が出てきます。また利行は隅田川ほとりに住んでいたこともあり、荒川・隅田川沿いの景色は、なじみ深いもののひとつであったようです。

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隅田川沿いの掲示板に、昭和41年頃の空撮写真が載っていた。そこには、円筒状のガスタンクが! 

それにしても、なぜガスタンクを描いたのでしょう。
関東大震災の前後、東京の町には鉄やコンクリートの巨大な建造物が次々と姿を現しました。
利行の絵にはそうした時代の活力をよく表している場所の風景がたくさん登場します。ガスタンクもそのひとつだったのではないでしょうか。
一方、自然や生き物といったモチーフの印象は利行の絵にはあまりありません。
そのためか、隅田川沿いを歩いていても、水鳥などよりもクレーンや高架などのほうが近しく感じました。 

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昔はどこでも見かけたガスタンクだが現在は東京都内でも残っているのは10に満たないそう。

2. アサヒビールタワー

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アサヒグループの建物と東京スカイツリーの取り合わせがなんだか未来的。この場所にはかつて、利行も描いた吾妻橋工場があった。 

隅田川沿いをてくてく歩いて南下すると、対岸に見えてきたのは吾妻橋脇にある、浅草のランドマーク「アサヒビールタワー/スーパードライホール」。フランス人デザイナー、フィリップ・スタルクが手がけたことでも話題になった金色の雲の建物は平成元年に完成、もう29年目になります。

現代の私たちにとってもなじみのある景色ですが、実はこの場所、明治の半ばから長らくビール工場とビアホールでした。昭和初期の利行もよく通い、威風堂々とした近代建築の工場やビアホールを描いています。1927年の二科展で樗牛賞を受賞した3作品のうちのひとつ「麦酒室」もここを描いたものです。 

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アサヒビールの歴史を記したパネル展示の中に昔の麦酒工場の様子がわかる写真を発見。利行が描いたのもこの頃の姿です。

今では当時のビール工場やビアホールの面影はありませんが、アサヒビールタワーの1階や上階のレストランフロアは誰でも入ることができ、1階にはアサヒビールの歴史のパネル展示もあります。利行が描いた当時の吾妻橋工場の写真なども見つけることができます。

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暖かくなってきたし隅田川の水辺クルーズなどもおすすめ。

3. 浅草の大衆演芸場「木馬館」

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100年近い歴史を持つ劇場「木馬館」。かつて安来節の常時公演で知られた。

利行が描いた東京の風景の中でもとりわけ多いのが浅草の様子です。中でも好んで足を向けた場所のひとつが劇場でした。「酒祭り・花島喜世子」(1930年頃)「大和屋かほる」(1935年)など浅草の劇場に出演していた女性を描いた作品がいくつもあります。ちなみに花島喜世子は、「日本の喜劇王」で知られるエノケンこと榎本健一と長年連れ添ったことで知られる人です。エノケンが参加していた劇団「カジノ・フォーリー」の公演に利行は1930年頃、足しげく通っていました。絵は、レビューを見ながらその場で描いたとも言われています。(※レビューとは歌や踊りを交えた短い演劇のこと)

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カジノ・フォーリーがあったのは「浅草花やしき」のすぐそば。花屋敷は1853年開園、日本最古の遊園地で、利行の画題にもなっている。

今やカジノ・フォーリーはその痕跡すら残っていませんが、同じ頃にそのお隣りで開業した大衆劇場の木馬館は今も営業を続けています。利行が好んで絵に描いた「安来節」の常時公演で知られた劇場で、今でもときどき安来節の公演が行われているようです。(※安来節……島根県安来市の民謡。どじょうすくいの踊りがよく知られる。)

4. 神谷バー

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浅草雷門のすぐ近く、吾妻橋交差点にある老舗の神谷バー。

隅田川沿いを散歩し浅草の演芸場で演芸を見……、日も暮れてきたので伝説のバー「神谷バー」で電気ブランをいただくとしましょう。日本で最初のバーと言われる「神谷バー」が浅草でバー営業を始めたのは明治45年(1912年)。番組でもご紹介しましたが、利行の作品「酒売場」に描かれているのが神谷バーの店内風景です。
「彼と歩くと必ずと云っていい程雷門にある『カミヤ』の電気ブランを飲みに連れて行かれた。」という友人画家の回想も残っています。

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「電気ブラン」、琥珀色が美しい。店内では利行が描いた「酒売場」の絵のように、今もたくさんの人でにぎわっている。

さて電気ブラン、一杯飲むと「火を吹く」とのことですが……。
ウマい! ブランデーベースのカクテルですが、ほどよく甘く、飲みやすい。“電気”のたとえにふさわしく少しピリッとするのもユニーク。一緒に頼んだカニクリームコロッケとよく合ってびっくりしました。
電気ブランという名前で現在販売されているものはアルコール度数30度ですが、昔はもっと強く、メニューにある電気ブランオールドが40度でオリジナルに近いとのこと。普段から泡盛や焼酎といった強い酒を好んで飲んだ利行にならい、より当時の雰囲気を味わいたい方はそちらをどうぞ。

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神谷バーの看板の横には演芸のポスターが。浅草文化の雰囲気がこんなところにも。

5. 上野・不忍池辯天堂 利行碑

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上野不忍池の辯天堂に向かう石畳の参道の右手に碑がある。

神谷バーで1日目を締めくくり、翌朝上野を散歩、というのが今回のコースです。上野・不忍池辺りも利行がたびたび訪れた場所。現在は利行の碑が立っています。場所は不忍池中之島にある寛永寺辯天堂の敷地内。利行は画家であると同時に歌人でもありましたが、生前に詠んだ短歌を刻んだ歌碑も建っています。

しかし誰がどうしてこの場所に利行の碑をこしらえたのでしょう?
この碑を建てたのは「羽黒洞」という、湯島にある画廊の初代オーナー・木村東介さんです。木村さんは利行が亡くなる前年の昭和14年(1939年)に作品と出会い傾倒、その後奮闘して利行が世に知られるきっかけをつくりました。

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左が利行碑。右には利行の短歌が書きつけられた歌碑がある。

そして利行碑ができたのが昭和44年。いろいろな方の支えがあって実現したそうで、この石は何と山形の企業から寄贈されて、蔵王からわざわざ運んでこられたもの。碑の字は生前利行と交流のあった画家の熊谷守一さんによるものです。  
今も命日10月12日にはここで供養が行われているそうです。

なお羽黒洞の木村東介さんは利行以外にも中村正義や木村荘八など、それまで知られていなかった、優れた画家を何人も世に出しました。そんな木村さんの回想録の中の、長谷川利行の章は次のように締めくくられています。
「私が今日、あらゆる美の根元を決定する基盤は、長谷川利行の絵によって培われたと言っても過言ではない」。

昭和の鬼才、利行の面影をたどる旅。あなたもぜひどうぞ。

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利行もよく行った上野公園の精養軒にて昼食。ちょうどここから辯天堂の石碑がある辺りが見える。

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湯島にある羽黒洞に立ち寄る。左は木村東介著『ランカイ屋 東介の眼』。右は長谷川利行命日供養の写真。

住所

1.白鬚橋(しらひげばし)/ 東京都荒川区南千住3-38付近

2.アサヒビールタワー / 東京都墨田区吾妻橋1-23-1

3.木馬館 / 東京都台東区浅草2-7-5

4.神谷バー / 東京都台東区浅草1-1-1-1

5.不忍池辯天堂(寛永寺) / 東京都台東区上野公園2-1

6.羽黒洞 / 東京都文京区湯島4-6-11湯島ハイタウン2F

展覧会情報

東京国立近代美術館で現在開催中の所蔵作品展「MOMATコレクション」では長谷川利行の作品が出品されています。5月21日まで。

出品作:「岸田国士(くにお)像」、「新宿風景」、「鉄工場の裏」、「カフェ・パウリスタ」、「前田夕暮像」(寄託)、「タンク街道」(寄託)、「ノアノアの女」(寄託)、「ガイコツと瓶のある静物(頭蓋骨のある静物)」(寄託)