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2016年10月23日 / 旅の紹介 第25回 イタリア・フィレンツェへ ミケランジェロを訪ねる旅

彫刻、絵画、建築、文学など、あらゆる分野で空前絶後の作品を残し、「神のごとき」とたたえられたルネサンスの巨人ミケランジェロ。
彫刻家としての出発の地であるフィレンツェで、激動の人生とともに変わり続けた作品を追います。

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「ダヴィデ」などを所蔵するアカデミア美術館。連日、入館を待つ長蛇の列が見られる。

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ミケランジェロは、フィレンツェから約120キロ南のアレッツォ県カプレーゼという村で生まれました。
13歳の頃。ギルランダイオの工房への弟子入りをきっかけにフィレンツェにやってきます。
並外れた才能を、フィレンツェの統治者であるロレンツォ・デ・メディチにすぐに見いだされます。
彫刻家としての最初の足跡である16歳の頃の作品を旅の初めに訪ねてみることにしました。

カーサ・ブォナローティ

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カーサ・ブォナローティ入り口。周囲は、かつての貴族の大邸宅が点在する閑静な雰囲気。

カーサ・ブオナローティは、かつてミケランジェロの甥レオナルドとその家族の邸宅でした。

19世紀半ばにフィレンツェ市に譲渡されるまで、ミケランジェロの子孫ブオナローティ家が代々暮らしてきました。現在は美術館として公開されています。

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「階段の聖母」(左)と「ケンタウルスの戦い」(右)。

小ぢんまりとした3階建の美術館の2階の一室に、ミケランジェロ最初期の作品2点が展示されています。

ドナテッロの浅浮き彫りから影響を受けた「階段の聖母」と古代の石棺彫刻からの影響が見られる「ケンタウロスの戦い」です。
聖母の清らかさと群像の力強さ、どちらの彫刻からも、表現の早熟さに驚かされるばかりです。

バルジェッロ国立美術館

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バルジェッロ国立美術館。高い塔が目印。

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左/美術館中庭を囲む回廊。壁には数多くの紋章が。 右/ミケランジェロ作「バッコス」。左後ろの壁面は、円形浮き彫り「ピッティの聖母子」

ミケランジェロの激動の人生には、常にイタリアの政治的混とんが影を落としていました。

19歳の時には、フランス王シャルル8世がイタリアに侵入。ミケランジェロは、一年間ボローニャに逃れます。
再びフィレンツェに現れたミケランジェロ。
ここではその時代、22歳のときのミケランジェロの作品、「バッコス」を見ることができます。

この「バッコス」には、古代彫刻からの影響がうかがえると言われます。
しかし、まるで酔っぱらって視線が定まらなくなったような様子は、古代に作られた神々のりりしさとは違う雰囲気も感じられます。

「バッコス」の2年前、20歳のミケランジェロは、スキャンダラスな事件でその名を世に知られることになります。
自分の彫刻を地中に埋めて古びたように見せ、古代ローマの作品と偽って高く売りつけるという悪だくみに乗せられ、「偽物」を実際にローマの枢機卿に売ってしまったのです。
すぐに偽造はばれますが、ミケランジェロの力量にかえって注目が集まる結果になりました。

ヴェッキオ宮殿

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シニョーリア広場にそびえるヴェッキオ宮殿(左)とランツィのロッジャ(右)。

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ヴェッキオ宮殿。正面入り口の「ダヴィデ」(左、複製)。隣にはバンディネッリの彫刻が並ぶ。

次にフィレンツェの象徴とも言うべきあの名作ゆかりの場所を目指します。

観光客でにぎわうシニョーリア広場に立つヴェッキオ宮殿。その入り口に立つ「ダヴィデ」です。
26歳のときに制作を開始し、3年の歳月を費やしました。

ところで、本来この像が立っていたヴェッキオ宮殿前に現在ある像は複製です。オリジナルはここから歩いて10分ほどのアカデミア美術館に収蔵されています。
そのアカデミア美術館、入館までの待ち時間で有名です。この日も入り口には長蛇の列ができており、今回の旅で紹介するのは断念しました。
行かれる場合は、必ず予約を入れることをおすすめします。

この像が立った頃、フランス軍の脅威やメディチ家主導の政治をはねのけたフィレンツェは共和制を勝ち取りました。
若々しい「ダヴィデ」に、人々は新興国フィレンツェの勢いを重ねて仰ぎ見たことでしょう。

現在の場所に設置されるまで、実はひと騒動ありました。
設置場所を検討する委員に名を連ねていたレオナルド・ダ・ヴィンチらが、宮殿隣のランツィのロッジャ(回廊)の中に納めることを主張したのです。
絵画を至高の芸術とするレオナルドと彫刻家としての自負が強いミケランジェロ――芸術観がある意味対照的な二人の天才が対立関係にあったことは、いくつかの資料に語られています。

この、ヴェッキオ宮殿の中に、彼らの対決のエピソードで知られる広間があります。

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ヴェッキオ宮殿の五百人広間。天井と壁を覆っているのはヴァザーリ作の壁画。

五百人広間と呼ばれる大広間に足を踏み入れると、金のフレームに縁どられた華麗な壁画に目を奪われます。

これらは、ミケランジェロの弟子にあたるヴァザーリが、ミケランジェロ晩年の時期に描いたものです。

当初、フィレンツェ共和国政府は、レオナルドとミケランジェロに両側の壁画をそれぞれ依頼しました。
しかし、レオナルドが描いた作品は、実験的な技法を試みすぎたゆえに壁に定着せずに流れ落ち、対するミケランジェロも、下絵を描いた段階でローマ法王から召喚され、完成を待たずにこの町を発つことになってしまいました。
世紀の競作は想像するしかありません。

大広間そのものと壁画のスケールに圧倒され、通り過ぎてしまいそうですが、この五百人広間には必見のミケランジェロ彫刻があります。

精かんな若者が老人を踏みつけている像、「勝利」。
「ダヴィデ」から約30年後、ミケランジェロ57歳のときの作品です。
らせん状に激しくねじれた身体の表現が、ルネサンスの後に盛んになるマニエリスムの様式を先取りしていると言われています。

なお「若者」のモデルには、この彫刻を作った年に知り合った、教養豊かな青年貴族カヴァリエーリが投影されているとも言われています。そして、踏みつけられた老人はミケランジェロ自身だとか。

サン・ロレンツォ教会

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サン・ロレンツォ教会の未完に終わったファサード。以前は屋台が立ち並んでいたが、近年全貌が見渡せるようになった。

30代の大半を、法王ユリウス2世に命ぜられたローマ・ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画制作に費やしたミケランジェロ。

ユリウス2世の死後、後継のレオ10世は40代はじめのミケランジェロをフィレンツェに派遣します。
目的は、サン・ロレンツォ教会のファサードを制作させるためでした。

フィレンツェのランドマーク、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂から西に細い道を歩いていくと、サン・ロレンツォ教会が姿を現します。
しかし、そのファサードは現在もレンガを露出させたままです。

ミケランジェロはファサード装飾のプランを完成させ、大理石採取のために奔走し、4年近くの歳月を費やしたにもかかわらず、法王は財政難を理由に突如契約を解除したのです。
(ミケランジェロが設計したファサード模型はカーサ・ブォナローティに収蔵されています)

ミケランジェロが万能の天才とたたえられる理由のひとつに、建築家としての偉大さがあります。
ファサードは未完に終わりましたが、この教会には、建築家ミケランジェロの魅力が凝縮された2つの空間があるのです。

ラウレンツィアーナ図書館

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ラウレンツィアーナ図書館中庭。正面奥に階段室と閲覧室が続く。

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ラウレンツィアーナ図書館、階段の間。だ円をずらして重ねたような階段が特徴的。

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左/閲覧室。三分割の天井格子。  右/書見台と椅子のデザイン。すべての設計をミケランジェロが手がけた。

その華麗さから、図書館というよりも宮殿の入り口にいるような気分になります。

ほぼ正方形の空間の中央にあるだ円形の重厚な階段を一段ずつ上ると、閲覧室が続いています。

ずらりと並ぶ書見台と椅子、天井格子もミケランジェロによるデザインです。
開館した当時、88台の書見台には革装丁の写本が鎖でつながれていたと言われます。
貴重な写本を共有するためにミケランジェロが作り出した空間、その華麗さにただ圧倒されました。

ミケランジェロ49歳のときに計画がはじまったラウレンツィアーナ図書館ですが、最終的なプランには四半世紀以上の時間を要し、公開されたのはミケランジェロの死の7年後でした。

メディチ家礼拝堂

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メディチ家礼拝堂、新聖具室。祭壇(左)とジュリアーノ・デ・メディチの墓碑(右)。

ラウレンツィアーナ図書館の少し前から設計がはじめられ、並行して建設が進められたメディチ家礼拝堂、新聖具室。

足を踏み入れ、その荘厳さに言葉を失いました。
ジュリアーノ・デ・メディチとロレンツォ・デ・メディチの2基の墓碑が、時のぐう意を意味する人物像に装飾され、向かい合って配置されています。
人物像のまなざしはどこか陰鬱で、人生のはかなさを達観しているようです。
彫刻は、思わず天を見上げたくなるような上昇感のある壁面に一体化しています。

かつてはフィレンツェ共和国を代表する芸術家だったミケランジェロ。その共和国を倒し、復権したメディチ家に命じられてこの礼拝堂を設計することになります。
ミケランジェロのかつての仲間の多くが追放され、ある者は処刑されました。

空間に満ちている陰鬱な空気には、ミケランジェロ自身の複雑な思いが込められている気がしてきました。

この仕事を最後に、59歳のミケランジェロはフィレンツェを後にします。
88歳で亡くなり、遺骨となってサンタ・クローチェ教会に安置されるまで、生きてこの町の土を踏むことは二度とありませんでした。

フィレンツェの街

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左/ランプレドットのパニーノ。トスカーナ州の赤ワイン、キャンティとともにどうぞ。 右/屋台で簡単に買うことができます。

さて、最後に美術館や教会巡りの強い味方を紹介しましょう。トスカーナ料理が有名なフィレンツェには素敵なレストランがたくさんありますが、レストランで正式のランチをいただくとなると2時間は見なくてはなりません。

おすすめはフィレンツェ名物の屋台で買えるモツ煮込み、ランプレドットです。
その場で調理してくれてアツアツ。パニーノ(サンドイッチ)なら、お腹もいっぱいに。
おいしく、お財布にも優しく、時間も短縮できます。

ミケランジェロの、喜びとかなしみがしみついているようなフィレンツェをぜひ訪ねてみてください。

※今回の取材は、フィレンツェ在住のコーディネーターで、同地で料理教室を主宰する砂子田多美(いさごだたみ)さんにご協力いただきました。

住所/交通情報

カーザ・ブォナローティ(Casa Buonarroti)
Via Ghibellina, 70, 50122 Firenze

メディチ家礼拝堂(Cappelle Medicee) 
Piazza di Madonna degli Aldobrandini, 6, 50123 Firenze

サン・ロレンツォ教会(Basilica di San Lorenzo)
Piazza di San Lorenzo, 9, 50123 Firenze

ラウレンツィアーナ図書館
La Biblioteca Medicea Laurenziana
Piazza San Lorenzo, 9, 50123 Firenze

ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)
Piazza della Signoria, Firenze

アカデミア美術館(La Galleria dell'Accademia a Firenze)
Via Ricasoli, 58/60, 50121 Firenze