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2016年8月21日 / 旅の紹介 第18回 長崎へ 天正遣欧使節を感じる旅

16世紀、ポルトガルとの貿易が盛んだった九州では、大名たちは次々とキリスト教に改宗しました。
「キリシタン大名」の名代として、13歳前後の少年4人による天正遣欧使節が、ローマに派遣されます。
東西の文化を橋渡しした天正遣欧使節の面影を、キリシタン文化が花開いた長崎に訪ねます。

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長崎港。1582年、ローマ、ヴァチカンに向けて2年6か月の旅がはじまった(正確な出航地である当時の波止場は現在は陸地)。

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天正遣欧使節が派遣された当時、日本には約15万人のキリシタンがいたと言われます。

日本での布教の成果を知らせて援助を得るため、そして、現地の文明を日本人に見せるため、イエズス会巡察師ヴァリニャーノは、カトリック教会の総本山ヴァチカンに使節を送る計画を考えます。

セミナリヨ(司祭を養成する教育施設)で学ぶ、伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノが使節に選ばれました。
長崎港から命がけの航海を経て、少年たちはヨーロッパへたどり着きました。

長崎歴史文化博物館

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(左)素描「伊東マンショ肖像画」 1585年(複製)。(右)「南蛮人来朝之図」 16世紀初頭(複製)。宣教師の布教の様子も描かれている。

今回、イタリアで新たに発見されたティントレット(ヴェネツィア派の画家で肖像画の名手)作の伊東マンショ肖像画は油彩ですが、長崎歴史文化博物館には、約10年前にローマ法王の子孫の家で見つかった伊東マンショの素描が収蔵されています。

常設展示「西洋との出会い~南蛮貿易とキリスト教」のコーナーで複製を見ることができます。

ヨーロッパの市民から法王までを魅了したその姿を一目見たいと訪ねることにしました。

和服の下に、フリルの襟を付けたいでたちの伊東マンショ。静かで威厳のあるまなざしが印象に残りました。
法王メディチ家の貴婦人からダンスに誘われたなどの華やかな逸話が思い出されました。

サント・ドミンゴ教会跡資料館

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桜町小学校の一角にあるサント・ドミンゴ教会跡資料館

天正遣欧使節の一団が出港した当時の長崎には、多くの教会や病院、慈善施設が立ち並び、“東洋の小ローマ”とたたえられました。

しかし、1614年の徳川幕府の禁教令で、教会は建立から半世紀とたたずに破壊されます。

キリシタン文化華やかなりし頃の長崎の風景は、想像するしかありません。
当時の町並みは、この町の地下に眠っています。

サント・ドミンゴ教会跡資料館を訪ねました。長崎歴史文化博物館から坂を下ってすぐです。

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サント・ドミンゴ教会跡。

小学校の一角にある建物に入ると、足元には約400年前に失われた教会の遺構が広がります。

校舎の改築工事をする際に出土しました。

サント・ドミンゴ教会も、禁教令のため、建設からわずか5年後に破壊され、跡地には代官屋敷が建てられました。
石積みの地下室や井戸など、教会時代の遺構に代官屋敷の柱の跡が重なる様は、激動の歴史を見せつけます。

資料館では、教会跡の出土品に加え、十字架や聖人をかたどった「メダイ」とよばれるメダルなど、長崎各地で出土した遺物が展示されています。

市内で発掘されたヴェネツィア製のガラス杯に目が引かれました。
天正遣欧使節が旅立つ前後の時期、このガラス杯も海を渡ってやってきました。
南蛮船が寄港する国際都市として栄えた、大航海時代の長崎の栄華をしのばせます。
旅立つ前のヴァリニャーノを安土城でもてなし、世界情勢を説明させた信長。南蛮好みで知られた信長も、このようなガラス杯を傾けていたようです。

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(左)教会跡などから発掘された、キリシタン関係の建築物で特徴的な花十字紋瓦。(右)市内で発掘されたヴェネツィア製の脚付ガラス杯。

春徳寺(長崎最古の教会「トードス・オス・サントス」跡)

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春徳寺。山門の脇に長崎最古の教会跡の碑が立っている。

長崎のキリシタン文化発祥の地を訪ねてみます。

サント・ドミンゴ教会跡から東に徒歩15分ほど離れた、春徳寺です。
江戸中期に、臨済宗の寺院・春徳寺がこの場所に移転してきたのですが、実は1569年に建設された長崎初の教会、トードス・オス・サントスがそれ以前にありました。
後に、セミナリヨとコレジヨ(聖職者を養成する教育施設)も付設されたので、最盛期には学生の姿も見られたことでしょう。
また、天正遣欧使節がヨーロッパから持ち帰った技術である活版印刷の工房も一時期ここで稼働し、布教のための「キリシタン版」と呼ばれる出版物も印刷されました。

境内にある井戸と、山門の前の樹齢500年を超すクスノキの大木は、当時もここにあったはずです。

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(左)春徳寺の山門前にそびえる樹齢500年のクスノキ。(右)南島原市有馬キリシタン遺産記念館に行くと見られる活版印刷による書籍、キリシタン版『サントスの御作業』。(所蔵元/南島原市口之津史談会、複製)。

西坂

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(左)駅前から西坂に続く路地。(右)西坂をしばらく上ると聖フィリッポ教会が見えてくる。

天正遣欧使節は、長崎を出発してから8年5か月後に帰国します。

少年たちは、二十歳過ぎの青年に成長していました。

帰国の翌年、一行は聚楽第(じゅらくだい)で秀吉に謁見します。秀吉は、すでに伴天連(ばてれん)追放令を出し、宣教師の追放と布教の禁止を命じています。
250年以上にわたるキリシタン受難の時代が始まっていました。
そのような状況下、伊東マンショは秀吉に仕官しないかと誘われますが、断ります。
4人はイエズス会に入り、命がけの布教に身を投じたのです。
数年後に千々石ミゲルのみ信仰を捨てますが、伊東マンショは過酷な布教活動がたたり42歳の若さで亡くなり、原マルチノは国外退去の後にマカオで客死。中浦ジュリアンは捕らえられ、穴つりという拷問で棄教を迫られたのち殉教しました。

にぎやかな長崎駅から路地に入り、しばらく坂道を上ると、小高い丘が見えてきます。
この辺りが、中浦ジュリアン最期の場所、西坂です。

日本二十六聖人記念館

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日本二十六聖人記念館。記念館正面の作品は、彫刻家・舟越保武による「二十六聖人像」。右手の聖フィリッポ教会と共に、今井蒹次による建築。

中浦ジュリアン殉教から約30年前の1597年、宣教師ら26人が京都などから見せしめのために西坂に連れてこられ、十字架の上で処刑されました。

丘の上の西坂公園には、殉教した26人がカトリック教会に「聖人」の位を授けられたことを記念して建てられた日本二十六聖人記念館があります。
この記念館では、キリスト教関係の美術作品や文献、民俗学的資料など幅広い展示を見ることができます。

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日本二十六聖人記念館内。ザビエル渡来にはじまるキリスト教関係の資料と美術作品を展示。

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(左)和紙に描かれた「雪のサンタ・マリア」(右)「セビリアの聖母」。天正遣欧使節が持ち帰った銅版画の印刷機で刷られた。(版画家・渡辺千尋による復刻)

小ぶりな、一枚の美しい聖画に目を奪われました。金地に描かれたマリア像の表情は何とも繊細です。

この作品こそ、天正遣欧使節がヨーロッパから持ち帰ったものの結実と言えるかもしれません。
長崎県西端の外海(そとめ)町で、「隠れキリシタン」の家庭にひそかに受け継ぎ信仰されてきた「雪のサンタ・マリア」。

セミナリヨの学生たちは、教会の祭壇に飾る聖画を描くことを目標に、西洋の遠近法を用いてヨーロッパの絵画の模写にはげみました。
天正遣欧使節がヨーロッパから持ち帰った立派な聖画を手本に、原画と見間違えるほどの聖画を描ける腕前の学生が現れた、と宣教師は報告しているそうです。
「雪のサンタ・マリア」は、西洋の聖画を模写しつつも、日本の絵具と和紙が用いられ、掛け軸に仕立てられています。
東西文化の融合がうかがえる点でも貴重な作品です。

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(左)使節がイタリアの法王グレゴリオス13世に謁見したときの様子を記録した海外の出版物。(右)中浦ジュリアンがローマに宛てた手紙。1621年

天正遣欧使節についての資料を展示したコーナーがあります。

展示物のひとつ、中浦ジュリアンが潜伏先からローマに宛てた手紙は胸を打ちます。
迫害が厳しさを増す中、布教を続ける決意がポルトガル語でつづられています。
手紙の最後に、「信者が来たので、もっと安全な場所に逃れるようにと知らせました」とあります。
緊迫した空気の中、信者たちに助言するその姿が目に浮かぶようでした。
手紙が伝える状況は絶望的ですが、自分自身の使命について語る力強さに、400年近い時を越えて圧倒されます。

天正遣欧使節が命がけで守ろうとしたキリシタン文化の遺産。
静かにそれを受け継ぐ長崎の町、ぜひ訪ねてみてください。

住所/交通

●長崎までの交通【飛行機】東京から長崎空港まで約90分/大阪から長崎空港まで約60分 空港から市内まで連絡バスがあります。【鉄道】東京から新幹線と特急で約7時間30分/大阪から新幹線と特急で約5時間/福岡から特急で約90分
●長崎歴史文化博物館 長崎市立山1-1-1/路面電車長崎駅前電停から徒歩10分。
●サント・ドミンゴ教会跡資料館 長崎県長崎市勝山町30-1/路面電車長崎駅前電停から徒歩10分。
●春徳寺(トードス・オス・サントス跡) 長崎市夫婦川町11-1/路面電車新中川町電停から徒歩7分
●日本二十六聖人記念館 長崎県長崎市西坂町7-8/JR長崎駅から徒歩7分。