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2016年7月31日 / 旅の紹介 第17回 フランス、ル・メニル=テリビュ村へ メアリー・カサットを訪ねる旅

メアリー・カサットはアメリカ人でありながら人生の大半をフランスで生きた、印象派の代表的な画家のひとりです。 
 ちまたの話題になりやすい華やかなモチーフより、家族や近隣の人々などをモデルに、身近な暮らしの場面を題材としました。 
そんなカサットの面影を求めて、彼女が50代以降、亡くなるまで生活の拠点にしたパリ郊外のル・メニル=テリビュ村を訪ねます。 

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メアリー・カサットが暮らした家「ボーフレーヌ館」。美しい庭園の中にたたずむ。

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ル・メニル=テリビュ村

パリから車で北に1時間ちょっと行ったところにあるル・メニル=テリビュ村。市役所と教会以外に大きな施設もお店も見当たらない、静かな田舎町です。
住宅のほとんどがレンガ造りの一軒家。牛や馬が草をはんでいる牧歌的な風景や一面の麦畑が心を和ませてくれます。
小川を追うようにして村はずれの道を歩いていくと、その小川がメアリー・カサットのかつての家「ボーフレーヌ館(Château de Beaufresne)」の庭まで続いていました。

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ル・メニル=テリビュ村。訪れたのは日曜の朝、ひっそりとした雰囲気。

ボーフレーヌ館

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ボーフレーヌ館。現在は家庭に問題を抱える子どもたちの社会復帰施設として活用されている。

カサットは50歳のときにこの屋敷を購入し、夏はここか南フランスのグラスにあるもうひとつの別荘で過ごし、冬はパリで過ごしていたそうです。そして晩年には完全にここを生活の拠点とし、82歳のときこの地で亡くなっています。

現在この建物は、13歳から21歳まで36名の若者が生活する場所になっています。家庭に問題を抱える子どもたちを預かり、職業訓練も行っている施設です。

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メアリー・カサットのアトリエとして使われたとされる「Salon rouge(赤の間)」。窓の外には美しい庭園が広がる。

特別に中に入れてもらうことができました(事前に事務局に申請をして許可をもらえば、一般の方でも訪れることができます)。格式張ったお屋敷というより、とても家庭的でホッと落ち着く感じです。また、屋敷の中はどの部屋も光がよく入って明るい。庭園に面してふたつの部屋があるのですが、そのうちのひとつが「Salon rouge(赤の間)」と呼ばれており、ここがかつてカサットのアトリエだったようです。

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かつてのカサット家の応接間? メアリー・カサットの画集などが並んでいる。

奥にはかつてのカサット家の応接間だったのではと思われる、暖炉があって壁にゆるやかなカーブのかかったしゃれた部屋がありました。現在は会議室として使われているそうです。壁には古い白黒の写真が掛かり、メアリー・カサットがこの家で暮らしていた当時の姿を見つけることができます。

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(左)エントランス。(右)現在、子どもたちの食堂として使われている場所。

エントランスを入ったすぐ右手には食堂があります。ここはかつてのリビング? そんなことを考えていると、どこからかギターを弾く音が。ここで生活する子どもたちの存在を肌で感じることができました。

なおボーフレーヌ館の掲示板には、子どもたちがスポーツを楽しむスナップ写真と共に、カサットに関するイベントのポスターが貼られていました。今年はメアリー・カサット没後90年ということでいろいろなイベントが開催されている模様です。

ボーフレーヌ館の庭園

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離れにあるレンガ造りの小屋。メアリー・カサットは版画のスタジオとして使用した。

館のまわりは、花々や小川、池や柳の木などが心を癒やしてくれる広大な庭園。25ヘクタールもあるこの敷地にカサットは果樹や野菜、また千本のバラを植えたと言われています。

池の近くにはレンガ造りの水車小屋があります。ここをカサットは版画を制作する工房として使っていました。カサットは油絵に加え版画にも力を注いだことで知られていますが、それには日本の浮世絵版画との出会いも大きかった様子です。事実、カサットはボーフレーヌの屋敷に自分のコレクションを飾りましたが、その中にはモネ、ピサロ、ドガなどの印象派絵画に加え、100点近い日本の浮世絵が含まれていたと言います。

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流れこんだ小川が敷地内で池になっています。

メアリー・カサットの絵といえば、女性の日常の何気ないシーンやあどけない子どもの姿がすぐ浮かびます。彼女は女性の地位向上や子どもたちの救済を祈るように描いていたのではないか。この場所に来てそんなことを思いました。

そしてこの屋敷には子どもたちを大切に思うメアリー・カサットの信念が受け継がれているように感じ、胸が熱くなりました。

カサット家の墓

ル・メニル=テリビュ村の入り口に近い場所にある、こじんまりとした集団墓地。その入り口にカサットのお墓を紹介する立て札があります。
カサット家の墓碑は入ってすぐの左手。最近修復されたらしくひときわ墓石が白く映えています。

このお墓から感じ取れることは少なくありません。まず、メアリー・カサットの名前と合わせて父母の名も彫られています。それからメアリーの絵にたびたび登場したモデルでもあり、パリの街に出かけるときは必ずといってよいほど一緒だった姉・リディアの名も見つけることができます(これには、女性がひとりで出歩くことが社会的に良しとされなかった19世紀の時代状況も関係しています)。

驚くのは、13歳で亡くなった弟ロバート(愛称ロビー)の名も墓碑銘にあることです。実はアメリカ人のメアリー・カサットが家族でヨーロッパを訪れたのは7歳のとき。病弱だった弟のロビーの療養が目的でした。しかしパリに滞在した後ドイツに移り、この地で亡くなったロビーはドイツに埋葬されました。なのに、ここにその名がある。メアリー・カサットがなきがらをドイツから運んでお墓に入れたということが言われています。

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村の集団墓地。ここにメアリー・カサットとその家族が眠る。

メアリー・カサットは21歳のときに画家を志して単身パリに渡りました。その後、父母や姉が相次いでパリに移ってきて一緒に暮らし始めました。しかし家族はことごとく体を悪くし、カサットより先にこの世を去っています。家族の世話にあけくれた彼女は、家族の誰かが亡くなるたびに、しばらく絵をまったく描けない時期を過ごしました。

いかにメアリー・カサットにとって家族が重要な存在であったか。このお墓の碑銘を見ても伝わってきました。

また、お墓の脇に「ムーラン・ヴェールの同窓生より親愛なるメアリー・カサットへ」とメッセージが書かれた文字板が捧げられているのを見つけました。それからお花も添えられており、そこには「Les Amis de Mary Cassatt(メアリー・カサット友の会)より」と記されていました。

ここでいうムーラン・ヴェールとは、メアリー・カサットと親しくしていたル・メニル=テリビュの村民や、その子孫を指すとのことです。また「メアリー・カサット友の会」も同様の、地元の方の関わりが深いグループで、会長はル・メニル=テリビュの村長が務めているとか。

カサットは、庭師や家事手伝いといった仕事で地元の人々を雇用したり、絵のモデルにもなってもらったり、子どもたちには毎年クリスマスプレゼントを贈ったり……、地域の人たちから非常に愛される存在であったようです。お葬式にもたくさんの地域の人が参列したそうです。

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カサット家の墓碑。添えられているお花や碑文などを見ると、メアリー・カサットが地域の人々から愛されていることがわかる。

メアリー・カサットは、フランスにおけるアメリカ人として、また男性社会の中で女性画家として、成功を収めました。また最晩年には、まだ芸術文化が発展途上にあった祖国アメリカでも名声を得ました。

けれども、ル・メニル=テリビュ村を訪れ歩くと、メアリー・カサットが大事にしたものはそうした名声よりも、家族、子ども、隣人……、身の回りの人たちの等身大の幸せであったのではないか。そんな気がしてきます。

そんなことに思いを巡らす、フランスの片田舎ル・メニル=テリビュへの旅はいかがでしょう。

今回の取材は、フランス・ルーアン在住の現代美術作家・犬丸 暁さんにご協力をいただきました。またメアリー・カサット友の会からも情報提供を受けています。

交通

パリからル・メニル=テリビュまでは公共交通機関では行くのが難しく、車で行くのがおすすめです。
国道A16号線経由、パリから約1時間10分(約73km)