第15回 島根県松江市へ 花森安治を感じる旅
「暮しの手帖」初代編集長・花森安治は神戸の生まれですが、青春時代を過ごした島根県の松江市をこよなく愛しました。
旧制松江高校に在籍した当時に編集と装丁の両方を手がけた「校友会雑誌20号」が花森安治の本作りの原点であったとも言われています。
日没の宍道湖。夕陽であたりがオレンジ色に染まる。
1964年に発行された「暮しの手帖」75号の特集は「日本紀行その4 松江」。
記事に署名はありませんが、関係者の証言により、花森安治本人が書いたことがわかっています。
「日本人の暮し方の、ひとつの原型が、ここに生きている」。花森は記事の中でそう語りかけています。
あれから52年、この記事を手がかりに現在の松江を巡ってみます。
水の町(松江城、堀川めぐり、シジミ漁、宍道湖の夕陽)
(左)国宝 松江城。(右)天守閣からの眺め。
松江城の天守閣に上って見渡せば、ここがまさしく水と共にある町だということがよくわかります。
そしてお城の周りの堀端(ほりばた)を歩くと、水の町特有のゆったりとした時間の流れ方が心地よく感じられます。
怪談「耳なし芳一」「雪女」などの作者として知られる小泉八雲の旧居があるのもお堀沿いです。また芥川龍之介や志賀直哉もこのあたりを気に入って暮らした頃があったそうですが、その理由がわかる気がしました。
堀川めぐりの船。船頭さんの良い声も魅力のひとつ。
そのお堀を小船で巡る「堀川めぐり」。船頭さんが操縦しながら、松江の歴史や風物を案内してくれます。
と、船が橋の下を通過するタイミングに合わせて、おもむろに「いず〜も〜めいぶ〜つー♪ きいて〜おかえり〜〜 やすぎ〜ぶ〜し〜♪」と美声を聞かせてくれました。
「橋の下で良いエコーがかかっているでしょ」とおじさん。
(左)堀端の花たち。(右)武家屋敷。
なお、この堀川遊覧船。今回は夏の体験でしたが、オールシーズンで運行されていて、冬には船の真ん中に置かれた「おこた」に入りながら冬景色を楽しむことができるそうです。
宍道湖で朝方に行われているシジミ漁。
また、毎週月・火・木・金の朝に宍道湖(しんじこ。松江市と出雲市にまたがる大きな湖)に行くとシジミ漁の船がたくさん出ているのが見られると聞いて行ってみました。船の上で長い竿を持ってシジミを探す漁師のシルエットが美しい。鋤簾(じょれん)と呼ばれる、くま手の先にかごをつけたような道具を使うそうですが、橋の上から眺めていても、シジミを掻くときのザザァ…ザザァという音が聞こえてきます。
宍道湖の日没。
また松江の人たちにとっては、日没を味わうことが今も暮らしの一部です。そのわけは、宍道湖が黄金色からあかね色に一面染まるのが何とも言えず美しいからです。
そういえば「暮しの手帖」松江特集のオープニングを飾るメインカットも、赤い色に染まる宍道湖の姿でした。ちなみに、宍道湖に面した島根県立美術館の開館時間は「3月〜9月は10時から日没後30分まで」。この時間が松江の人々の暮らしの大事な一部であることが、こんなところからも伺われます。
抹茶と和菓子(いしむら塗物工房、風月堂)
今回は、松江観光協会の高橋一清さんにお世話になりました。
この方、実はかつて「文藝春秋」の編集者だった方。定年退職して松江に来られ、今は松江の素晴らしいガイドブックをつくっています。
その土地をよく知る人が案内してくれるからこそ、日常の「暮らし」をのぞかせてもらうことができます。
(左)漆器や陶器も松江は充実。(右)抹茶と一緒に出された夏の羊羹「満天」。
高橋さんが最初に連れていってくださった漆器店で器を見ていたら、お店の方が抹茶を出してくれました。
「松江ではどのおうちでも、茶せんやなつめなど、お抹茶をたてる道具が置いてあると思いますよ」
別に気取ったことでなくて、お茶碗などは好きな雑器を茶器に見立てて自由に楽しめばいい、とのこと。
「暮しの手帖」の花森の記事でもこう書かれています。
「これをのむのに茶道の心得は一切いらない。コーヒーをのむように、ジュースをのむように、のめばよい。
お茶とは、本来そういうものだということを、この町の暮しが、教えてくれるのである」。
もう1軒案内していただいた老舗の和菓子店「風月堂」。こちらは「暮しの手帖」松江特集の中で花森が訪れたお店です。現在お店を切り盛りする池田恵子さんは花森と会ったときのことを覚えていました。
「何をお話ししたかは思い出せませんがスカートがよくお似合いでした。ただ、緊張した感じはなく非常にくつろがれていたので、父も母も、花森さんとは初めてではなかったのではないでしょうか」
「花森さんの奥様のももよさんは松江の呉服屋の娘さんで、うちの母とは同じ女学校で一年違いだったので、親しくさせていただきました。毎年、八雲小倉というお菓子をその季節になると東京の花森さんのところへ送るのが恒例でした。
近年、花森さんのお嬢さんの土井藍生(あおい)さんがお店に来られたときに、そのことを覚えていてくださり話に花が咲きました」
松江には和菓子の老舗が多い。「風月堂」。
「暮しの手帖」松江特集のときに花森自身が撮った写真を今も風月堂さんはお持ちでした。
恵子さんは直接お会いになっていないそうですが、“とと姉ちゃん”暮しの手帖社・社長の大橋鎭子さんも何度かお店に来られたそうです。
島根大学附属図書館 (旧松江高校跡)
(左)花森安治が装丁と編集の両方を手がけた「松江高校 校友会雑誌 20号」。(右)真ん中上の19号、その右の21号も装丁は花森安治。
島根大学附属図書館で昭和7年(1932年)に松江高等学校校友会文芸部が刊行した「校友会雑誌」20号を見せていただきました。
冒頭に書いたように、花森安治が装丁・本文デザイン・編集の全部をひとりで手がけた本。花森は昭和5年に同校に進学した後、文芸部に入り校友会雑誌の制作に携わっていました。
20号は編集後記も花森が書いています。「本号の責任はすべて僕にある。この編集はまったく僕によって、その独断のもとになされた故に――」とあります。それまでの号とは違い、正方形に近い形に変えられ、紙も質感にこだわって選んでいます。さらに正方形の図柄が活版印刷で、銀色のインクを使って刷られています。そのとき試したかったことを全部実行したかのように、こだわりにあふれています。
思い切って余白を大きく取った1段組の本文組。
けい線を効果的に使った、シンプルだけれどアクセントの利いたレイアウト。
編集後記も「暮しの手帖」のそれを直接連想させる。
言葉だけで、花森安治の編集/デザインの原点は松江にあり、と言われても正直ピンと来ないかもしれません。しかし、この本の実物に触れると実感します。確かに「暮しの手帖」に直結する花森安治の世界がここにあります!
現在「島根大学」の札がかかる門柱は、松江高等学校から引き継がれたもの。
ちなみに、なぜ島根大学の図書館にこれがあるのか?
現在の島根大学はいくつかの学校が合併してできたのですが、その前身校のひとつが旧制松江高等学校だからです。高等学校という呼び名ですが、現在にあてはめると大学の教養課程にあたります。それで松江高等学校の資料が島根大学附属図書館に保管されているというわけです。
そして実は島根大学は松江高等学校跡地に建てられています。
現在その面影は、正門の柱にしか直接には残っていませんが、
今からおよそ90年前、ここに花森安治が通っていたと思うと、感慨深いです。
(左)島根大学所有ではないが、今回の旅の道中では他にも花森安治が松江で手がけた本の装丁に出会った。森川辰郎句文集 『松江』。カバーには松江市内の実際の町名が、花森による書き文字で見事に配置されている。(所蔵/岡部康幸)(右)朝日新聞松江支局編『旧制松高物語』。「暮しの手帖」の誌面デザインを連想させる。(所蔵/今井書店)
花森が生きた時代から長い年月がたち、「暮しの手帖」で花森が説いた松江の美しい街並のうち、失われてしまったものも正直たくさんあります。
けれども今も、日本人の心に安らぎを与えてくれる暮しの美を発見することができる町です。
花森安治のルーツとも言える松江、訪ねてみませんか?
住所/交通
●松江までの交通 【飛行機】東京から出雲空港まで約85分 /東京から米子空港まで約80〜90分 /大阪から出雲空港まで約55分/福岡から出雲まで約65分 いずれも空港から市内まで連絡バスがあります 【鉄道】東京から新幹線・特急やくも 約6時間/大阪から新幹線・特急やくも 約3時間30分/福岡から新幹線・特急やくも約4時間30分
●松江城 松江市殿町1番地5
●堀川めぐり 乗船場所が3箇所あります。
●宍道湖のシジミ漁 毎週月・火・木・金の午前6〜7時から午前10~11時に行われています ※季節によって異なります
●いしむら塗物工房 松江市殿町318
●風月堂 松江市末次本町97
●島根大学附属図書館 松江市西川津町1060
展覧会情報
◎「とと姉ちゃん《花山伊佐次》 花森安治さんは、松江が大好きだった なつかしい昭和の松江」
2016年8月4日(木)~9月30日(金)
会場:松江歴史館 (松江市殿町279)
◎ 島根大学ミュージアム・附属図書館ミニ企画展「旧制松江高校出身の異才編集者 花森安治と田所太郎」
<第1期>2016年7月16日(土)~8月28日(日)
会場:サテライトミュージアム島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高校外国人宿舎)
<第2期>2016年8月30日(火)~9月13日(火) 〔9月3日(土)~8日(木)、10日(土)~11日(日)は休館〕
会場:島根大学附属図書館本館 展示室
主な展示物
・旧制松江高校『校友会雑誌』19~21号
・花森装本『旧制松高物語』今井出版 1968年
・『暮らしの手帖』創刊号ほか
・田所太郎著『出版の先駆者』光文社 1969年