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2016年6月19日 / 旅の紹介 第11回 沖縄へ 平敷兼七を感じる旅

知られざる写真家・平敷兼七(へしきけんしち)が残した、膨大な数の沖縄の写真。
その中心に居たのは常に「人」でした。

今回は平敷兼七ゆかりの沖縄の場所を訪ね、平敷さんをよく知る親しい人々と語らいます。 

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平敷兼七ギャラリー(沖縄県浦添市)で開催中の「平敷兼七 二人展シリーズ vol.2 沖縄人人 平敷兼七×石川竜一」より平敷兼七の写真の展示。

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山羊料理店 

まず、向かったのは夜の街。那覇市モノレール安里駅から程近い「栄町」。この辺りは料理店や居酒屋が多く立ち並ぶ界わいです。

とにかくお酒を飲むのが好きだった平敷さん。何かあれば栄町の行きつけの居酒屋で古酒(くーす)を飲み、その後その近所にある山羊(やぎ)料理店に立ち寄るというのがお決まりのコースだったそうです。
こちらで待ち合わせたのは、平敷さんに撮影の仕事を依頼することもたびたびあった、元印刷会社勤務の吉見万喜子さん。平敷さんに師事して写真を学んだ教え子でもあります。もうおひとりは、このお店の常連で、平敷さんとは飲み友達だったという、知念ひろしさん。 

「へしさん(※平敷さんのこと)にはひとりの人を撮るにあたって、『望遠も使っちゃいけない。相手の息がわかる程に近づいて接写しなさい』と言われました。また『何回も通いなさい。何回も撮りなさい』と言われました。そう言われて、その人を何百枚撮ったかな。あの人ほど、被写体の人間性や、その人と自分の関係性をまるごと表現していた写真家はいなかった。ただ私、へしさんから写真教わるようになって貧乏になりましたよ(笑)」と吉見さん。

また知念さんいわく「相当などもりでね、普段はそんな話しかけてくるようなことも少なかったけれど、飲むと、逆にどもりながらよくしゃべっていたよね」。

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(左)平敷さんは歯が悪かったため、いつもジーマーミ豆腐、スクガラス豆腐など柔らかいものばかり注文していたそうです。(右)左から知念さん、吉見さん。

「へしさんはここで飲んだ後はお気に入りの山羊料理店に寄るのが常でした。あのお店のヒージャ(山羊のこと)の刺し身は、肉が柔らかいから食べれるって」

お二人に連れられて歩いてすぐのところにある山羊料理店へ。1964年開業、沖縄が本土復帰する前からこの場所で営業し続けています。お店のママさんは平敷さんと郷里が近いということもあり、気が合って大の仲良しだったそうです。「へしさんをひとことで言うなら『とにかく優しい人』。他人を傷つけるような物言いをしているところは一度も見たことがないからね」

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(左)手前の古酒の瓶は、平敷さんの写真がラベルになっている。(右)山羊料理店のママさん。

「皮なし」「皮付き」そして今日は特別に、と言いながら「睾丸刺し」も、3種類の山羊の刺し身を出してくれました。

「ウチナンチューにとっては世界一うまい肉が山羊なんさー、このちょっと癖があるのがおいしいんだよ〜」と知念さん。
そういえば、平敷兼七さんの写真が全国的に知られるようになったきっかけをつくった写真集のタイトルが『山羊の肺』でした。
「私ね、へしさんに聞いたんですよ。『なんで山羊の肺なの?』って。そうしたら『沖縄の人の魂だから』と」と吉見さん。
平敷さんの写真家としてのデビュー作は大東島の暮らしを撮った作品でした。常に彼はウチナー(沖縄のこと)としての原点を探していた、と知念さん。

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(左)平敷さんが愛したこのお店の山羊刺し。(右)山羊汁。

生まれて初めての山羊刺し。そして、山羊汁。確かにかなり癖のある味。でも平敷さんの愛した沖縄を体の中に入れている、そんな気持ちになりました。

平敷兼七ギャラリー 

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平敷兼七の写真が常に見られる。テーマを変えながら企画展が開催されている。

翌日は、那覇市のお隣り、浦添市にある「平敷兼七ギャラリー」へ。2015年、平敷さんのご家族が中心となり自宅の一部を改装、常にその作品が見られるギャラリーにしました。次女の七海(なみ)さんが隣接する美容室を経営する傍ら、ギャラリーの管理もされています。

「父とお付き合いのあった方たちは口をそろえて『あんな優しい人はいなかった』と言いますが、家族からすれば逆。とても厳しく、気軽に話しかけられるような人ではなかった。写真の置いてある父の部屋も、生前は勝手に入ることはできませんでしたし」。2009年に亡くなってからしのんで訪ねてくる人が相次ぎ、その思い出話から初めて知った父の仕事も多かったといいます。このギャラリーを始めたのも、「家族自身が父の写真のことを『知りたい』と思ったのが大きかった」と七海さん。

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(左)ギャラリーを管理する當間七海さん。(右)写真家・石川直樹さんによる平敷さんのポートレート。

「小さかった頃は他のおうちがうらやましかったです。父と遊びに行った思い出も、撮影先で、ついでで遊ばされた記憶ばかり。あるときも、海に連れて行かれてここで泳いでなと言われて海に入っていたら、変な物がぷかぷか浮かんで流れてくる。何?と思ったら向こうの方で、山羊を食べるために解体して洗っている人たちが見えて。その横でお父さんがその山羊の写真を撮っているわけですよ(笑)」

七海さんは『山羊の肺』の題名にもなった、山羊の写真を見たとき「あー、あのとき撮影してたやつだ」と思ったそうです。

また、平敷さんには5人の子どもがいましたが、写真の収入だけでは食べれなくて一家の生活が厳しかったこともあったとか。 
「実際、母はお父さんに『もう写真を止めたら』ということを何回も言ったらしいですけど、『僕はカメラがないと生きていけない。写真を止めてしまったら死んでしまう』と。さすがに死なれたら困るから食べるのを我慢しようと思ったと、言っていました」

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(上)ギャラリー内部の風景。(下)石川竜一さんの写真展示の様子。

ギャラリーを訪れたときは平敷兼七さんと、番組でもご登場いただいた若手写真家のホープ、石川竜一さんの2人展が行われていました。同じように「沖縄」「人」を見つめながらも、写真が語りかけてくるものは随分異なり、2人展ならではの面白味がありました。

沖縄の写真家たちが集まるカフェ 

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(左)浦添市の港川外人住宅街にあり、写真家たちが集う。(右)写真家でありお店も切り盛りするタイラジュンさん。

同じ浦添市にある、写真家のタイラジュンさん・真寿美さん夫妻が経営しているカフェへ。ここは沖縄県内だけでなく県外からも写真家たちが集まるお店として知られています。また、平敷さんは生前若い写真家たちと積極的に交流し、また応援もしていたようです。タイラさんもそのひとりでした。

「平敷さんとは写真関係の会で知り合いになったのが最初で、それ以来ほとんど毎日お店に来てくれていましたね。亡くなる3日前までここで飲んでいました。写真について語るということは格別なかったけれど、いつも気にかけてくれて。亡くなったときも葬儀の場で『あなたがタイラさんか。浦添にいいお店があるから一緒に行こうよ、ってへしさんから誘われたんだよ』といろんな人から言われました」

今年5月からは昼中心の営業に変わりましたが、それ以前は夜の営業のみで、平敷さんはいつも夕方になると歩いて通ってこられていたそうです。亡くなった今も平敷さんが仕込んだ古酒の甕(かめ)と、平敷さん愛用のおちょこがお店に置かれています。

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(左)平敷さん愛用のおちょこ。(右)この日も石川真生さんや中川大祐さんといった沖縄の写真家が来店。

今は自らの写真の仕事、お店の運営に加えて、平敷兼七ギャラリーの展示のアドバイザーもしているタイラさん。ランチのヤギハンバーグをいただきながら、平敷さんの奥様から聞いた話を教えてくれました。

「若いときは撮影現場にも付いていかれていたそうなんです。そして奥様いわく、いつも夫はどうでもいいようなところの写真を撮っていたと。『なんで、そこを撮るの?』と聞いたら『みんなが撮るのは撮らなくていいんだ。僕は、他の人が見ていないものを撮る。僕が撮らないと残らないから』と」。

本土ではなかなかその写真を見られる機会が多くありません。あなたも平敷兼七の写真に誘われて、ウチナーを旅してみませんか?

情報

・「平敷兼七ギャラリー」 沖縄県浦添市城間1-38-6