即位5年 “新時代の象徴” 模索の歩み

即位5年 “新時代の象徴” 模索の歩み
およそ200年ぶりとなる「退位による皇位継承」で始まった令和の時代。新型コロナウイルスの感染拡大という思いもよらない事態に直面し、国民との直接のふれあいの機会が失われる中、象徴としてどうあるべきか模索されてきた天皇陛下のこの5年間の歩みを、皇位継承の議論に関わった識者や象徴天皇制の研究者とともに読み解く。(社会部記者 橋本佳名美 島崎眞碩)

新たな時代の幕開け

令和元年5月1日。日付が変わると同時に天皇陛下は皇位を継承され、元号が平成から令和にかわった。
皇居・宮殿で行われた「即位の礼」の儀式。天皇陛下は、三権の長や閣僚、地方自治体の代表など参列した290人あまりを前に、天皇として初めてのおことばで、新たな時代の象徴として決意を述べられた。
天皇陛下
「皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」
天皇陛下は、皇后さまとともに、上皇ご夫妻から受け継いだ毎年恒例の行事で各地を訪問するなどして国民とのふれあいを重ねるとともに、年末には台風などによる豪雨で大きな被害を受けた宮城県と福島県を訪問し、被災した人たちを見舞われた。

上皇さまの退位に向けた政府の有識者会議で座長代理を務めた政治学者、東京大学の御厨貴名誉教授は、令和の時代の幕開けを振り返って、こう語った。
御厨貴 東京大学名誉教授
「国民のほとんどが退位に賛成し、それをどう形にするかをお手伝いしたが、今考えると、上皇さまの退位にスポットライトが当たっていて、新たに天皇になられる当時の皇太子さまのお気持ちや、皇太子妃から皇后になられる雅子さまのお気持ちに、私たちはほとんど無関心だった。誰も考えていなかった生前退位という形で皇位を受け継ぐことになって、さぞや大変だったと思うが、新しい時代がこれから来るんだという明るいイメージが出ていて、国民もお祝いしたし、良い形でバトンタッチができたという印象を持った」

コロナ禍での模索

令和2年2月、天皇陛下は、60歳、還暦の誕生日を前に行われた即位後初めての記者会見で「多くの人々と触れ合い、直接話を聞く機会を大切にしていきたい」としたうえで、「象徴としてあるべき姿を模索しながら務めを果たし、今後の活動の方向性についても考えていきたい」と述べられた。

しかし、この年、新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大し、天皇皇后両陛下が人々と直接ふれあわれる機会は失われた。
全国植樹祭や国体の開会式など各地で行われる恒例の行事への出席は、象徴天皇制が定着していく過程で大きな役割を果たしてきたが、戦後初めて、すべての開催が見送られる事態となった。

象徴天皇制を研究している名古屋大学の河西秀哉准教授は、皇室の活動が縮小を余儀なくされていった当時をこう振り返る。
河西秀哉 名古屋大学准教授
「これからというところでコロナ禍が始まり、ご自分たちなりの活動がほとんどできなくなってしまったので、とても難しい状況だったと思う。社会の国際化が進む中、新しい時代の公務というものが必要になるはずで、それを担える海外経験豊富なおふたりなので、コロナがなければ、この5年でそうしたこともできたかもしれない」
一方、御厨さんは、象徴として歩み始められたばかりの天皇陛下にとって、大きな意味があることだったという。
御厨貴 東京大学名誉教授
「災害が起きた時に現地に行って被災者を励ますこともできないし、これまで出ていた恒例の場所にも行けないというのは、大変だった、試練だったと思う。コロナ禍になってからしばらくは、行動する時間ではなく考える時間だった。今後どのようにふるまっていったらいいのか、天皇制や皇室というものはどのように受け継がれていくのがいいのかということを、その時間に考えられたのではないか」

オンラインの活用

コロナ禍で直接ふれあう機会がなくなる中、人々とのつながりを築き、国民の力になるために何ができるのか。新たな可能性を見いだされたのが、オンラインの活用だった。天皇陛下は、皇后さまとともに、新型コロナの対応にあたる医療現場や高齢者施設など、直接訪ねることがかなわない場所への「オンライン訪問」を重ねられた。

その場にいても、離れた場所からリモートで出席しても、式典や行事に臨まれる両陛下の姿勢は変わらない。
記者クラブの代表としてお住まいの御所でその様子を間近で取材する機会があったが、天皇陛下は、皇后さまとともに、モニターをまっすぐ見つめて遠く離れた会場にいる出席者と向き合い、ひと言ずつかみしめるようにしておことばを述べられていた。そして、会場からの話に耳を傾け、拍手を送ったり大きくうなずかれたりしていた。
さらに、令和3年と令和4年には、新年一般参賀が行えないことに伴い、元日におふたりでビデオメッセージを発信して国民に語りかけ、コロナ禍に直面する人々への思いを述べられた。

被災地訪問もオンラインで

これまで20回行われた「オンライン訪問」の中には、自然災害で被害を受けた人たちのお見舞いや復興状況の視察もあった。
初めてのケースとなった、令和3年1月の熊本県の豪雨災害被災地のお見舞い。両陛下は、お住まいと熊本県庁や4つの役場をオンラインで結んで、知事や被災した住民などあわせて15人とことばを交わされた。

この年の春には、東日本大震から10年にあたり、岩手、宮城、福島の東北3県の被災地も「オンライン訪問」された。

天皇陛下は記者会見で「オンライン訪問には、感染症対策としての利点以外にも、複数の場所にいる人々に同時に会うことや、離島や中山間地域など、通常では訪問が難しい場所でも訪問ができるという利点もあるように思いました。オンラインには、オンラインなりの課題もあるでしょうが、引き続き、状況に応じた形で活用していきたいと思います」と述べられている。
御厨貴 東京大学名誉教授
「皇室で新しい取り組みが現実になるには時間がかかるものだが、コロナの問題があって直接の接触ができない中でオンラインでやるというのが、皇室の中で急速に進んだ。ビデオメッセージという形で国民の前に姿を現されるなど、コロナ禍をむしろ逆手にとって、国民との間接的な接触を増やそうとされていた。どれだけのことをオンラインでやって、どれだけのことを直接接触でやるのか、このバランスをどうするかが、これから課題になってくるのではないか」

心待ちにされていた ふれあい

令和4年秋になると、両陛下が心待ちにされていた国民と直接ふれあう機会が戻ってきた。

2年8か月ぶりの地方訪問となった国体開会式出席のための栃木県訪問では、感染対策のため皇居から車で移動して現地に入られたが、会場近くの沿道などには両陛下を一目見ようとおよそ5000人が待ち受けていた。その姿に気づいた両陛下は、車の速度を落とし満面の笑みで応えられた。側近によると、多くの人に温かく迎えられ、直接交流できたことに心から感謝し、感動されていたという。

令和5年には、3年ぶりに新年一般参賀が行われ、春と秋の園遊会も5年ぶりに開催。
6月には、即位後初めて東日本大震災の被災地を訪ね、国際親善のためインドネシアを公式訪問された。

被災地に心を寄せられて

令和6年は、再び大きな困難と向き合われる年となった。
元日に能登半島地震が発生。翌日に予定されていた皇居での新年一般参賀は、被害状況に心を痛められている両陛下のお気持ちを踏まえてとりやめとなった。

天皇陛下は、64歳の誕生日を前にした2月の記者会見で、学生時代から何度も訪れてきた能登地域への思いに触れたうえで、「現地の復旧の状況を見つつ、被災者の皆さんのお気持ちや、被災自治体を始めとする関係者の考えを伺いながら、訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております」と述べられた。
そして、3月下旬に石川県の輪島市と珠洲市を、4月中旬に穴水町と能登町を訪問し、皇后さまとともに被災した人たちに直接お見舞いのことばをかけられた。
河西秀哉 名古屋大学准教授
「両陛下がおふたりそろってひざをつくなどしながら被災者と話されている映像を見て驚いた。被災者と同じ目の高さにという上皇ご夫妻のスタイルを受け継いでいたが、被災者が段ボールベッドやイスに座っていたので、もはや両陛下の方が低い位置になっていた時もあった。国民と近い距離でありたいという思いを感じた」

新たな取り組みも

コロナ禍に伴う行動制限が緩和され、日常が戻ってくる中で、両陛下の発案による“新たなおもてなし”が始まった。
外国からの賓客に日本の文化を知ってもらいたいと、伝統的に西洋料理のコースを提供する皇居・宮殿での昼食会に、「和」の要素が取り入れられるようになったのだ。
去年11月のキルギス大統領夫妻との昼食会では、初めて、手まりずしなどの和食の前菜が出され、その11日後に開かれたベトナム国家主席夫妻(当時)との昼食会では、伝統工芸品の「江戸切子」のグラスを使って、初めて日本酒による乾杯も行われた。
広報室を新設し、ことし4月からSNSを活用した情報発信に乗り出すなど、宮内庁も、皇室に関する正確な情報を積極的に発信していくための新たな取り組みを始めた。

次の世代を担う若い人たちにも皇室への理解をより一層深めてもらうのがねらいで、外国王室との相互フォローも始まり、運用開始から3週間でフォロワーは100万人を超えた。

象徴としての“これから”

最後に、専門家2人に、これからの天皇陛下に何を期待するか聞いた。
御厨貴 東京大学名誉教授
「昔と違い、皇室の動向に無関心な国民が増えていく中で、そうした人にどのように訴えかけていくか。これは大変だと思う。社会の分断が進む中で貧困にあえいでいる人たちに対してどのようなふるまいをされるかが課題となるだろう。能登半島地震が示したように、過疎化が進み、変わっていく地域に、天皇陛下がどのように関わられるかというのも大事な話だ。東京から見ているだけでなく、その場に行って状況を見てどういうことばを発し、過疎の町の人たちにどのように寄り添われるか。オンラインも大事だが、これまで以上にいろいろな地域を回って見ることが増えるだろうし、増えたほうがいいと思う」
河西秀哉 名古屋大学准教授
「親近感があれば特に若い人たちは身近に考えてくれるだろうし、活動する姿を国民に広く見せることで皇室を知るきっかけになるので、インスタグラムでの発信は良い選択だ。私たちと同じように悩み、喜び、笑う人が、象徴天皇をやっているという姿を見せることで、雲の上の存在ではなく近しい存在だと感じられる。そこでどういう反応があるか、それを受け止めて、ではどうしようかと考え、ご自身がやりたいことと国民が求めていることをすりあわせて、キャッチボールされる必要があると思う。私たちが忘れかけているものに光を当て、目を向けさせてくれるのが天皇皇后という存在で、そこに気づくことができるおふたりだからこそ、今後そういった活動にも期待したい」
(4月30日 ニュース7などで放送)
社会部記者
橋本 佳名美
2010年入局
国税、司法担当などを経て、3年前から宮内庁担当
社会部記者
島崎 眞碩
2016年入局
京都局、大阪局を経て、昨夏から宮内庁担当