回数 | 年度 | 概要 | 放送日 | 参加校数 | テーマ |
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1 | 1932年度 (昭和7) |
児童唱歌コンクールの発足 東京、札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本の7局から地方予選を通過した男女各1校が、リレー方式で放送し、放送と同時に審査が行われた。 |
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145 計145 |
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2 | 1933年度 (昭和8) |
参加料の徴収 今回は参加料を2円徴収したためか、参加校が減少した。 審査員の地方派遣 また、放送同時の審査によらず、中央審査員3名を地方に派遣して審査を行った。 |
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90 計90 |
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3 | 1934年度 (昭和9) |
参加料の無料化 第1回と同様に参加料を無料とした。審査方法の改善 第1回と同様に放送と同時審査とした。 ![]() 審査員の増員 審査員を20名に増員した。 |
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111 計111 |
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4 | 1935年度 (昭和10) |
府県別コンクールへの動き 各中央放送局別に行われている地方予選を府県ごとに実施してほしいと要望が出始めた。今年は、岩手県など一部の県で県内コンクールが試みられている。 |
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188 計188 |
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5 | 1936年度 (昭和11) |
課題曲を男女各1曲とする 男子、女子それぞれ2曲となっていた課題曲が、それぞれ1曲となる。 |
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221 計221 |
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6 | 1937年度 (昭和12) |
地方コンクールの新設 これまでの、中央(全国)コンクールと中央放送局別の地方予選の間に、地方コンクールを新設し、予選は各県ごとに行うことになった。以後、このコンクールは、府県における予選、地方コンクール、中央コンクールの3本立てとなる。 |
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254 計254 |
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7 | 1938年度 (昭和13) |
課題曲の一本化 男子、女子に分けていたものを一本化し、1曲に絞った。外地からの参加 この年から満州・朝鮮など外地からの参加が行われた。 |
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335 計335 |
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8 | 1939年度 (昭和14) |
全満児童唱歌コンクールの実施 前年からコンクールに参加した満州は、この年満州全域におけるコンクールを実施した。 1〜3位校の公表 これまで第1位のみを優勝校として表彰してきたが、2〜3位までの順位を公表することとなった。 |
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390 計390 |
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9 | 1940年度 (昭和15) |
紀元2600年奉祝児童唱歌大会 NHKが共同主催となる。 今回からNHK(当時は日本放送協会)が共同主催となり、名称を変更するとともにNHK選定の紀元2600年奉祝国民唱歌を課題曲とした。男女別参加の廃止 これまでの男女参加を改め各校から1チームが参加することになった。外地からの参加拡大 前年における満州、朝鮮のほか、今年は台湾、中国(北部)からの参加があり、コンクールの規模をさらに拡大した。女子中学校唱歌大会の開催 またこの年は、この大会のほかに、紀元2600年奉祝中学校唱歌大会がおこなわれた。(放送11月23日) |
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不明 | |
10 | 1941年度 (昭和16) |
第1回東亜児童唱歌大会中央大会名称の変更 前年に引き続き、満州、朝鮮、中国からの参加があり、コンクールの名称を東亜児童唱歌大会と改めた。 |
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不明 | |
11 | 1942年度 (昭和17) |
全国少国民「ミンナウタヘ」大会 ※神田共立講堂から実況中継 コンクールから合唱祭へ 戦時体制下あるためコンクールを中止。合唱祭的性格の行事に切りかえた。全国の学校では子供たちが校庭に集まり、流れてくる歌にあわせて一緒に歌った。 |
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12 | 1943年度 (昭和18) |
第2回大東亜少国民「ミンナウタヘ」大会
前年の合唱祭の発展 内容は日本放送協会会長下村宏のあいさつにはじまり、前年と同様の形式を発展させた。東京こども唱歌隊の歌、全員合唱による「大東亜の歌」、日本軍事占領下のアジア各国の子供たちの歌の録音紹介などがおもな内容である。 |
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1944年度 (昭和19) 1945年度 (昭和20) |
戦争のため中断 | ||||
13 | 1946年度 (昭和21) |
関東児童唱歌コンクールコンクールの再出発 戦後の復興が不十分であったので、関東地方だけのコンクールを行った。合唱のコンクール 自由曲の中に二部合唱、三部合唱が見えはじめる。 |
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109 計109 |
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14 | 1947年度 (昭和22) |
全国児童唱歌コンクール全国コンクールの再開 戦後第1回の全国コンクールはNHKと日本教育音楽協会の共同主催により、新しい名称のもとに再出発した。 参加人数の制限を15名から20名に変更した。 |
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1,187 計1,187 |
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15 | 1948年度 (昭和23) |
新作合唱曲を課題曲に 課題曲を合唱曲とし、専門家に新作を委嘱することとなった。制限人数の緩和 参加人数の制限を15名から20名に変更した。 |
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1,285 計1,285 |
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16 | 1949年度 (昭和24) |
全国唱歌ラジオコンクール中学校部門の新設 6・3制発足に伴い、新制中学を対象として中学校の部を新設し、名称を全国唱歌ラジオコンクールに改めた。参加人数は24名。 課題曲は、同声二部合唱の「希望の歌」1曲である。 |
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1,981 1,565 計3,546 |
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17 | 1950年度 (昭和25) |
中学校の部の課題曲を2曲に 前年の中学校の部の実情を見て、今年は混声用、女声用、それぞれ別個の課題曲を用意した。紅葉川中学校の優勝 変声前の男子生徒がソプラノを受け持つ東京代表の紅葉川中学校が全国優勝して話題となる。 |
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2,079 1,473 計3,552 |
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18 | 1951年度 (昭和26) |
日大二中の優勝 今年度は全員変声前の男子生徒による東京代表日大二中が優勝し、2年連続のボーイズソプラノの進出が話題となった。 |
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2,347 1,490 計3,837 |
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19 | 1952年度 (昭和27) |
全国唱歌ラジオコンクール高等学校部門の新設 従来の小学校、中学校部門に加え、高等学校部門を新設した。磁気録音テープの採用 これまでの録音盤にかわって磁気録音テープが使用されることとなった。 |
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2,347 1,508 305 計4,160 |
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20 | 1953年度 (昭和28) |
上高田小学校の優勝 全員男子で編成されている関東甲信越代表、東京・上高田小学校が優勝した。 |
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1,858 1,027 275 計3,160 |
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21 | 1954年度 (昭和29) |
東京地方コンクールの独立 関東、甲信越地方から東京都を分離し、新しく東京地方を新設した。課題曲の作曲(旋律)を一般から募集することになる。 |
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2,125 1,290 337 計3,752 |
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22 | 1955年度 (昭和30) |
放送開始30周年学校放送開始20周年記念行事 小、中、高部門の地方代表校計27校を東京に招き、NHKホールではじめて公開による全国コンクールを行った。審査はもちろん放送同時である。 ![]() 参加校数の最高記録 50年を通じて最大の4,706校の参加があった |
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2,289 1,557 860 計4,706 |
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23 | 1956年度 (昭和31) |
沖縄の参加 沖縄がはじめて九州地方コンクールに参加することになる。 最優秀校発表会の開催 全国コンクールの最優秀校、小、中、高あわせて3校を東京に招き、発表会と表彰式をラジオとテレビで放送した。 |
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2,427 1,706 474 計4,607 |
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24 | 1957年度 (昭和32) |
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2,529 1,595 525 計4,649 |
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25 | 1958年度 (昭和33) |
コンクール25回記念行事 コンクール25回を記念し、全国コンクール発表会、表彰式に各部門の最優秀校、優秀校、優良校それぞれ3校ずつを招へいした。 |
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2,260 1,356 561 計4,177 |
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26 | 1959年度 (昭和34) |
沖縄地方コンクールの分離独立 沖縄が九州地方から分離独立して沖縄地方として参加することになった。参加条件の緩和 参加人数の制限を緩和した。(小24名、中28名、高32名) |
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2,224 1,358 616 計4,198 |
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27 | 1960年度 (昭和35) |
自由曲選択条件の緩和 これまで自由曲は教科書掲載曲に限られていたが、この年からその制限を外し、どんな合唱曲でも選択できるようになった。 |
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2,041 1,385 589 計4,015 |
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28 | 1961年度 (昭和36) |
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1,856 1,470 581 計3,907 |
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29 | 1962年度 (昭和37) |
NHK全国学校音楽コンクール合奏部門の新設とコンクール名称の変更 従来の合唱中心のコンクールに合奏部門を加え、合唱と合奏の2つの部門を持つコンクールとなった。 |
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1,564 1,344 575 計3,483 |
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30 | 1963年度 (昭和38) |
課題曲歌詞の公募 昭和29年以来行われてきた課題曲の作曲の公募を中止し、そのかわりに歌詞を公募することになった。 |
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1,289 1,250 659 計3,198 |
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31 | 1964年度 (昭和39) |
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1,349 1,239 945 計3,533 |
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32 | 1965年度 (昭和40) |
課題曲作詞・作曲委嘱の復活 2年続いて行われた課題曲歌詞の公募を中止し、ふたたび歌詞・作曲とも専門家に委嘱することになった。 |
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1,198 1,135 742 計3,075 |
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33 | 1966年度 (昭和41) |
高等学校の部の制限条件を緩和 自由曲の制限時間を3分から4分に変更表彰方式の変更 第1位から第3位までの順位を、それぞれ最優秀校、優秀校(1)、優秀校(2)と呼ぶこととし、これに続くものを優良校(1〜2校)として、それぞれ表彰することになった。 |
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1,232 1,117 775 計3,124 |
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34 | 1967年度 (昭和42) |
小・中学校の部の制限緩和 1)小学校の制限人数を24名から26名に 2)中学校の制限人数を28名から30名に 3)中学校の自由曲制限時間を3分から3分30秒に変更した。コンクール課題曲集の出版 昭和23年から昭和41年までの小・中・高課題曲集が音楽之友社より出版された。(現在絶版) |
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1,198 1,212 767 計3,177 |
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35 | 1968年度 (昭和43) |
合奏部門の廃止 昭和37年から実施してきた合奏部門を切り離し、合唱部門はそのまま継続することになった。 表彰方法の変更 昭和41年からの優秀校、優良校の複数表彰を改め、第1位〜第3位をそれぞれ最優秀校、優秀校、優良校として表彰することとなった。 随意曲を自由曲と呼ぶ これまでの随意曲の呼称を自由曲と呼ぶことになった。 |
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1,187 1,157 611 計2,955 |
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36 | 1969年度 (昭和44) |
制限条件の緩和 1)小学校の制限人数を26名から30名に 2)自由曲の制限時間を変更 小学校 3分 → 3分30秒 中学校 3分30秒 → 4分 高等学校 4分 → 4分30秒 |
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1,115 1,103 474 計2,692 |
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37 | 1970年度 (昭和45) |
「現代の映像」“空がこんなに青いとは"の放送 大阪市内・工場地帯の公害問題を扱ったドキュメンタリー番組のテーマ音楽に、この年の小学校の課題曲“空がこんなに青いとは"が使用された。 |
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1,002 1,032 442 計2,476 |
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38 | 1971年度 (昭和46) |
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1,065 876 415 計2,356 |
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39 | 1972年度 (昭和47) |
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918 794 352 計2,064 |
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40 | 1973年度 (昭和48) |
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912 856 314 計2,082 |
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41 | 1974年度 (昭和49) |
伴奏楽器にギター使用を認める 高等学校の部では、ピアノのほかにギターの伴奏を認めることになった。 参加校数の最低記録 昭和30年をピークとして、その後漸減を続けてきた参加校数が、遂に2000校を割り込み、昭和30年以後における最低の数字となった。 |
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900 748 349 計1,997 |
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42 | 1975年度 (昭和50) |
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961 873 407 計2,241 |
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43 | 1976年度 (昭和51) |
テレビによる課題曲の紹介 従来ラジオ放送で行ってきた課題曲の紹介をテレビ放送でも行うことになった。 ![]() 審査員に課題曲作曲者 各部門の課題曲作曲者を審査員に招いた。 |
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883 988 438 計2,309 |
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44 | 1977年度 (昭和52) |
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990 1,057 466 計2,513 |
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45 | 1978年度 (昭和53) |
沖縄を九州地方コンクールに 昭和34年以来、独立の地方代表を全国コンクールに参加させていた沖縄県が、九州地方コンクールに吸収された。 |
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1,008 1,155 510 計2,673 |
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46 | 1979年度 (昭和54) |
全国コンクールのFM移行 従来、中波のラジオ放送によって行われていた地方コンクール、全国コンクールをFM放送に移した。 これによって、2つのコンクールはステレオで放送されることになった。 |
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1,126 1,201 518 計2,845 |
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47 | 1980年度 (昭和55) |
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1,184 1,214 550 計2,948 |
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48 | 1981年度 (昭和56) |
全国コンクールのテレビ化 これまでラジオあるいはFMで放送してきた全国コンクールをテレビ放送することになった。 |
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1,244 1,312 590 計3,146 |
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49 | 1982年度 (昭和57) |
第50回コンクール記念課題曲歌詞の公募 昭和58年に第50回を迎えるのを記念して、課題曲歌詞を公募した。募集は小・中・高の3部門。〆切が9月30日だったので、その審査は全国コンクールに平行して行われた。中学生・高校生などの参加が半数を超え、3部門の入選作を中学生・高校生が独占して話題となった。 |
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1,284 1,384 503 計3,171 |
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50 | 1983年度 (昭和58) |
うたごえ50年の放送 コンクール50年の歴史が日本の歌唱教育50年の発展にどのように寄与したかを“うたごえ50年"の題名のもとに年始特集として放送した。(放送:58年1月1日〜3日/午後0時〜1時/ラジオ第2放送) |
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1,275 1,343 462 計3,080 |
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51 | 1984年度 (昭和59) |
課題曲はA・B2曲に Aは新曲、Bは既成曲の選択制 関東甲信越コンクール一都六県に 一地方として独立していた東京都が関東甲信越地方コンクールに組み込まれ、以降、同地方代表校は2校となる。 全日本音楽教育研究会が共催に加わる。 |
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1,331 1,416 477 計3,224 |
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52 | 1985年度 (昭和60) |
表彰方式の変更 昭和43年からの第1位〜第3位をそれぞれ最優秀校、優秀校、優良校として表彰するのを改め、金賞1校、銀賞2校、銅賞6校とし、全国コンクールは全て入賞となる。 |
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1,363 1,499 462 計3,324 |
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53 | 1986年度 (昭和61) |
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1,341 1,535 452 計3,328 |
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54 | 1987年度 (昭和62) |
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1,321 1,585 419 計3,325 |
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55 | 1988年度 (昭和63) |
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1,364 1,527 417 計3,308 |
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56 | 1989年度 (平成元年度) |
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1,321 1,478 384 計3,183 |
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57 | 1990年度 (平成2) |
課題曲はA・Bを廃止し、1曲に。 | ![]() ![]() ![]() |
1,268 1,385 350 計3,003 |
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58 | 1991年度 (平成3) |
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1,314 1,398 365 計3,077 |
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59 | 1992年度 (平成4) |
第60回コンクール記念課題曲歌詞の公募 1993年度 (平成5)に第60回を迎えるのを記念して課題曲の歌詞を公募した。〆切は9月25日。応募総数は小・中・高あわせて1515本。 地方コンクールという名称を、ブロックコンクールに改める。 |
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1,219 1,377 316 計2,912 |
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60 | 1993年度 (平成5) |
第60回コンクールを記念し、中学校の部と高等学校の部をNHKホールで公開実施。 小学校の部は従来どおり、スタジオでテープ審査。 |
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1,137 1,354 323 計2,814 |
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61 | 1994年度 (平成6) |
表彰方式の変更 ブロックコンクール、全国コンクールの入賞校を、金賞1、銀賞1、銅賞2とし、その他の学校には出場記念賞を贈る。 |
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1,108 1,287 303 計2,698 |
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62 | 1995年度 (平成7) |
全国コンクール(中・高の部)の公開化 放送開始70周年ということもあり、全国コンクールをNHKホールにて公開で実施する。小学校の部については、例年どおり、スタジオでのテープ審査とする。 |
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1,012 1,212 294 計2,518 |
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63 | 1996年度 (平成8) |
全国コンクールすべての部門をNHKホールで公開実施。 | ![]() ![]() ![]() |
930 1,095 275 計2,300 |
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64 | 1997年度 (平成9) |
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908 1,068 300 計2,276 |
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65 | 1998年度 (平成10) |
全国コンクール小学校の部をはじめて生放送で実施した。 | ![]() ![]() ![]() |
861 1,033 258 計2,152 |
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66 | 1999年度 (平成11) |
全国コンクール中学校の部もNHKホールでの生放送化。 東北ブロックコンクールがブロックコンクールでは初めて、全部門参集方式で開催する。 |
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855 975 290 計2,120 |
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67 | 2000年度 (平成12) |
全てのブロックコンクールを参集化。 全国コンクール全部門をNHKホールで公開生放送。 全国コン出場枠にシード枠を設定し、各部門10校で実施。 |
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821 1,073 292 計2,186 |
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68 | 2001年度 (平成13) |
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810 991 309 計2,110 |
個が輝く時代 | |
69 | 2002年度 (平成14) |
伴奏者は学校外でも出場できるよう参加規定を変更。 各種学校の参加可能を規定に明記。 新増沢方式をNHKコンクール方式という名称に統一。 第70回コンクール記念課題曲歌詞の公募。 第70回を記念して、課題曲の歌詞を全国の小・中・高校生から募集した。応募総数は小学校588作品、中学校1581作品、高校774作品。 |
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797 1,048 293 計2,138 |
環境 |
70 | 2003年度 (平成15) |
2校合同参加を認める。 全国コンクール、中学校の部・高等学校の部で、参加校へ審査投票を審査員匿名で公開する。 70回記念課題曲応募詩、優秀作品集「希望」を出版。 |
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848 1,067 310 計2,225 |
希望 |
71 | 2004年度 (平成16) |
全国コンクールの演奏順を、出場校の直接抽選により決める方式に改める。 全国コンクール、全部門で審査投票を審査員匿名で公開する。 |
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859 1,100 349 計2,308 |
信じる |
72 | 2005年度 (平成17) |
ステージ配置・ピアノの蓋の開閉の規定を緩和する。 | ![]() ![]() ![]() |
861 1,046 356 計2,263 |
はたらく |
73 | 2006年度 (平成18) |
全国コンクールへの出場校数を各部門11校に増加、前年度銀賞校にもシード枠。 全国コンクールで銀賞校が3校に。 審査の結果、銀賞3校が全くの同評価となったため、3校が同時に銀賞を受賞した。 コンクールを通して参加校の日常に密着したドキュメンタリー番組「出会い見つけた〜課題曲に挑んだ8万人〜」を放送。 NHK職員審査枠を原則廃止とした。 |
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888 1,091 355 計2,334 |
出会う |
74 | 2007年度 (平成19) |
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871 1,113 381 計2,365 |
つながる | |
75 | 2008年度 (平成20) |
75回記念大会。 全国コンクールが3日間開催(生放送)となる。 |
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895 1,170 398 計2,463 |
そして☆ 未来へ |
76 | 2009年度 (平成21) |
ETV50の記念大会。 課題曲発表を公開収録で実施。 ブロック大会3会場で、ライブストリーミングを実施。 |
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906 1,221 409 計2,536 |
ジャンプ! |
77 | 2010年度 (平成22) |
ブロック大会全8会場で、ライブストリーミングを実施。 | ![]() ![]() ![]() |
918 1,226 422 計2,566 |
いのち |
78 | 2011年度 (平成23) |
全国コンクールの開催順を高・小・中学校の部に変更 | ![]() ![]() ![]() |
909 1,233 454 計2,596 |
仲間 |
79 | 2012年度 (平成24) |
高等学校の部 課題曲が2曲からの選択制 | ![]() ![]() ![]() |
909 1,206 466 計2,581 |
ひかり |
80 | 2013年度 (平成25) |
第80回記念「いっしょに歌おうプロジェクト」として小学校の部課題曲「ふるさと」の動画を募集。 | ![]() ![]() ![]() |
965 1,199 447 計2,611 |
スタート! |
81 | 2014年度 (平成26) |
主催団体が全日本音楽教育研究会とNHKの2団体に。 | ![]() ![]() ![]() |
940 1,214 423 計2,577 |
ゆうき |
82 | 2015年度 (平成27) |
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898 1,234 444 計2,576 |
ピース♪ | |
83 | 2016年度 (平成28) |
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898 1,212 454 計2,564 |
力(チカラ) | |
84 | 2017年度 (平成29) |
![]() ![]() ![]() |
885 1,171 492 計2,548 |
夢 | |
85 | 2018年度 (平成30) |
85回記念大会。特別企画「青春のそばにNコン」として、投稿を募集。 全国各地の参加校の舞台裏に密着したドキュメンタリー番組「青春はハモりだ!~Nコン全力合唱物語2018~」を放送。 |
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831 1,135 504 計2,470 |
一歩 |
86 | 2019年度 (令和元年度) |
高等学校の部が、台⾵19号の影響で延期となり11⽉28⽇開催。 85回に引き続き、ドキュメンタリー番組「青春はハモりだ!~Nコン全力合唱物語2019~」を放送。 |
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769 1,072 501 計2,342 |
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87 | 2020年度 (令和2) |
新型コロナウイルス感染症の影響でコンクールを中止。代替企画として、学校ごとに課題曲を歌う動画や写真をHP上で募集、公開した「みんなのハモり場かたり場」、小・中・高の最終学年によるリモート合唱企画「Nコン2020スペシャルメドレー」を実施。これらの企画は11月23日に公開生放送した特集番組「Nコン2020みんなのコンサート」内でも紹介した。 | みんなのハモり場かたり場 参加数 ![]() ![]() ![]() 計341 |
とびら | |
88 | 2021年度 (令和3) |
舞台上の歌唱人数を25人までに制限して距離を確保、不織布マスクを着用するなど、新型コロナウイルス感染対策をとりコンクールを実施。感染状況を鑑みて、事前に収録された演奏を会場に流しての「音源審査」も取り入れられた。全国コンクールは11月6・7日、東京の府中の森芸術劇場で開催。感染対策の徹底のため生放送ではなく収録で実施し、11月下旬に放送。12月25日・26日放送の特集番組「Nコン2021 みんなの〝足跡〟」内でも演奏を紹介。 | ![]() ![]() ![]() |
379 838 405 計1,622 |
とびら |
89 | 2022年度 (令和4) |
前年に引き続き、新型コロナウイルス対策を徹底しながらコンクールを実施。3年ぶりに全国コンクールをNHKホールで開催(生放送)。 | ![]() ![]() ![]() |
387 859 409 計1,655 |
声 |