2010年2月10日 9時33分更新
明日香村で、およそ1400年前の飛鳥時代のものと見られる石敷きの広場や溝の跡が見つかりました。
近くにある日本最初の本格的な寺院、飛鳥寺の施設と向きが異なり、別の時期の土地区画に設けられたと考えられることから、専門家は古代の飛鳥地域の開発の様子がうかがえる貴重な資料になると注目しています。
奈良県立橿原考古学研究所が飛鳥寺の南門跡から南におよそ40メートル離れた地点を発掘したところ、人の頭ほどの石を敷き詰めた部分や石組みの溝の跡などが見つかりました。
これらは出土した土器や瓦の年代からおよそ1400年前の飛鳥時代のもので、これまでの調査で確認されている幅20メートル、長さ70メートルの石敷きの広場の一部と広場に隣接した施設の跡と見られています。
広場などは、飛鳥寺に伴うものと見られていますが、寺の施設が中国の思想を取り入れて、東西や南北の方角にそろえて配置されているのに対し、広場や溝は斜めの方向に広がっていました。
このため、寺と広場があった土地はそれぞれ異なる時期に区画された可能性があるということです。
飛鳥時代の遺跡に詳しい研究所の菅谷文則所長は、「飛鳥寺より前に広場の区画があって、寺をつくる際に取り込んだのではないか。当時の開発の様子を考える貴重な資料になる」と話しています。
今回の調査成果について2月14日に現地で説明会が開かれます。