おひさしぶりです!ナラウンサー

  • 原田 徹アナ
  • 古谷 敏郎アナ
  • 谷地 健吾アナ
  • 鈴木 健一アナ
  • 髙鍬 亮アナ
  • 髙木 康博アナ
  • 金子 哲也アナ
  • 栗田 勇人アナ
  • 鏡 和臣アナ
  • 大山 武人アナ
  • 北村 紀一郎アナ
  • 谷口 慎一郎アナ
  • 宮崎 浩輔アナ 荒木 美和アナ

おひさしぶりです!ナラウンサー

原田 徹アナ

奈良放送局での勤務時期
昭和62年~平成3年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
福岡放送局・「はっけんラジオ」、ニュースなど
奈良放送局以降の異動歴
奈良→福岡→佐賀→北九州→福岡→
東京(ラジオセンター)→福岡→北九州→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

・なら・シルクロード博
転勤した翌年(昭和63年)の「なら・シルクロード博」では、テレビ・ラジオの全国中継を多く担当し、楽しく充実した仕事でした。

・春・夏の甲子園での全国高校野球実況
特に平成2年の夏は、天理高校が全国制覇を達成し、大興奮の夏でした。

・大晦日の「ゆく年くる年」担当
新薬師寺(昭和63年・ラジオ)、長谷寺(平成元年・テレビ)、薬師寺(平成2年・ラジオ)と3年連続で担当。おまけに平成3年に福岡局に異動したら、その年のゆく年も担当(太宰府天満宮・テレビ)になり、4年連続。しびれました。

奈良県の皆さんにメッセージ

転勤してすぐ、奈良公園で鹿にお尻をかまれるという手荒い歓迎を受けましたが、「なら・シルクロード博」や甲子園、「ゆく年くる年」をはじめ、多くの素晴らしい仕事に恵まれた4年間の奈良勤務でした。そして、その時々で、たくさんの奈良県の皆さんとの出会いがありました。全力で駆け抜けた4年間だったように思います。もう一度、今度はゆっくりと、悠久の地を訪ねたいと思っています。


おひさしぶりです!ナラウンサー

古谷 敏郎アナ

奈良放送局での勤務時期
平成元年 ~ 平成5年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
札幌放送局「おはよう北海道・土曜プラス」担当
奈良放送局以降の異動歴
奈良(初任地)→松山→大阪→東京(アナウンス室)
→松山→東京(アナウンス室・日本語センター)→札幌

奈良放送局勤務時代の思い出

平成元年夏の甲子園、ふるさとリポーター(地元出場校に密着取材して、日々のニュース原稿出稿、企画リポート制作、試合当日はアルプススタンドリポート)として、智弁学園を担当。翌2年は天理高校。橋本武徳監督のもと、南竜次、谷口功一両投手を擁する天理チームは、全国優勝した。地方大会から優勝までの長くて暑い夏でした。両校の関係者とは、今も交流が続く。

とかく江戸時代以前の古建築が注目される奈良で、明治以降の貴重な近代建築にもスポットを当てようと、「古都の近代建築」と題してシリーズ番組を提案。取材、編集、ナレーションを一貫して務めた思い出の番組。取材したのは、奈良少年刑務所、奈良ホテル、奈良女子大学、宝山寺獅子閣、日本聖公会奈良基督教会。その後この番組が、奈良の近代史や建築史に取り組む団体などの間で教材として活用され、近代建築が注目されていく中で取り壊しの中止や重要文化財の指定の一助になったと聞き、制作者としては冥利(みょうり)。

奈良県の皆さんにメッセージ

奈良を離れて25年。実はなじみの理容室、うどん屋、居酒屋、牧場には、現在も通い続けていて、少しも「久しぶり」という気がしません。奈良とのつきあいは現在進行形です。
奈良は「芸能」の故郷でもあります。新人の頃、秋篠寺や正倉院の御物としても有名な「伎芸天」が芸能の神様と知り、面やお守りを手に入れて大事にしていました。のちに伝統芸能番組を15年間にわたって担当できたことを思うと、まさに霊験あらたかだったなぁと思います。アナウンサーとして、社会人として、初心・原点にかえることができる場所、それが奈良です。


おひさしぶりです!ナラウンサー

谷地 健吾アナ

奈良放送局での勤務時期
平成5年 ~ 平成8年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
松山放送局「四国羅針盤」など
奈良放送局以降の異動歴
奈良(初任地)→青森→札幌→東京(アナウンス室)→
仙台→東京(アナウンス室・ラジオセンター)→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

奈良は初任地です。3年間過ごしました。もともと仏像が好きだったので、休日は仏像巡り。山の辺の道もカメラ片手に歩きました。奈良漬を紹介する番組では、収録中、何度も食べるうちに酔っ払ってしまったことも。

奈良放送局勤務時代の写真

奈良県の皆さんにメッセージ

新人として赴任し、右も左もわからない中、番組や中継で奈良の皆さんには本当にお世話になりました。歴史と自然、そこに生きる人たちの紡いできた文化は本当に素晴らしく、魅力を感じます。年月を重ねるほどに味わいが増す奈良漬のように、私もまだまだ熟成中。歴史ある町並みをいつかゆっくり歩きたいですね。


おひさしぶりです!ナラウンサー

鈴木 健一アナ

奈良放送局での勤務時期
平成7年 ~ 平成10年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
東京(日本語センター)
奈良放送局以降の異動歴
奈良(初任地)→甲府→福岡→東京(ラジオセンター・
アナウンス室)→北見→長崎→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳からの生中継は貴重な経験でした。優秀な先輩の下、あまりに出来の悪い新人で、ニュースはよく噛み、中継ではコメントを忘れました。それでもあたたかく見守ってくださった奈良のみなさんには、いまも、感謝の気持ちでいっぱいです。何とかアナウンサーを続けていられるのは、奈良での経験があったからだと思っています。

奈良県の皆さんにメッセージ

歴史、豊かな自然、あたたかい人々。
やっぱり、「大和は国のまほろば」です。


おひさしぶりです!ナラウンサー

髙鍬 亮アナ

奈良放送局での勤務時期
平成8年 ~ 平成11年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
千葉放送局『ひるどき情報ちば』、ニュースなど
奈良放送局以降の異動歴
奈良→広島→札幌→帯広→東京(アナウンス室)→
大津→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

「ゆく年くる年」(テレビもラジオも担当)、ヘリコプターに乗って紅葉の奈良県内を周遊するように中継(BSの番組でヘリに3時間ほど連続で乗って若草山、談山神社、吉野山と数か所を一気に回りました)…などなど。あの頃は若かった!!!ので体力の続く限り仕事をして、あちこち取材に行き、食べて飲んで…とても楽しかった思い出ばかりです。

奈良県の皆さんにメッセージ

奈良に赴任したとき、東大寺、興福寺、春日大社…貴重な神社仏閣が“あたりまえ”のように実生活に溶け込んでいて、驚いたのを昨日のように思い出します。取材先でとても優しくしてもらった思い出ばかり。また行きたいなぁ・・・と何度も思う、そんな場所です。
私の後輩も頑張っています。これからも奈良放送局をよろしくお願いします!


おひさしぶりです!ナラウンサー

髙木 康博アナ

奈良放送局での勤務時期
平成10年 ~ 平成14年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
東京(編成局)
奈良放送局以降の異動歴
奈良→佐賀→東京(アナウンス室)→徳島→東京(アナウンス室)→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

大峰山での修験体験で、西の覗きと呼ばれる断崖絶壁から身を乗り出した、あの恐怖心。県南部のお宅で頂いた茶がゆの優しい味。圧倒的な風格漂う神社仏閣、美しく妖しい仏像の数々。種とり用のスイカ畑の独特な臭い。柳生新陰流の体験で袋竹刀が放つ音。金色に輝く曽爾高原のススキ。夏の夕暮れ、平城宮跡に数万羽のツバメが舞うねぐら入りの光景。思い出はつきません。

奈良県の皆さんにメッセージ

奈良県で過ごした4年間。社会人として、アナウンサーとしての自分を育ててくれた、かけがえのない日々でした。取材で、プライベートで、奈良の方々には、本当にお世話になりました。特に十津川村、天川村には幾度となく足を運び、優しく迎えて頂きました。そして、発展途上の私を、温かく見守ってくださった奈良の視聴者の皆さま。ありがとうございました。


おひさしぶりです!ナラウンサー

金子 哲也アナ

奈良放送局での勤務時期
平成14年 ~ 平成18年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
水戸放送局 副部長
奈良放送局以降の異動歴
奈良→東京(アナウンス室)→仙台→
東京(アナウンス室)→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

奈良局での最初と最後の仕事が高校野球だったのが、思い出深いです。特に最後の仕事になった平成18年夏の奈良大会は決勝戦をテレビで実況。天理高校VS斑鳩・法隆寺国際高校の試合は息詰まる熱戦となり、最後は天理高校が逆転サヨナラで甲子園の切符をつかみました。実況しながら思わず感極まり、ことばが一瞬出てこない不思議な感覚・感情を味わいました。

奈良県の皆さんにメッセージ

ごぶさたしてます。金子です。「ゆく年くる年」で奈良のお寺や神社が映し出されると、
あらためて荘厳さというか、歴史の重みを感じます。そして、そこで働き、暮らしていたことを誇りに思います。遊びに行きます!また!


おひさしぶりです!ナラウンサー

栗田 勇人アナ

奈良放送局での勤務時期
平成15年~平成19年、平成22年~平成25年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
徳島放送局
奈良放送局以降の異動歴
奈良→東京(ラジオセンター)→奈良→東京(ラジオセンター)→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

1度目は、奈良出身のグラフィックデザイナー・田中一光の番組制作や、「ニュースなら610」のキャスターとして、県内いろいろな場所にお伺いして、様々なジャンルで活躍する方々にインタビューさせていただきました。
2度目は、平城遷都1300年祭を通じて奈良の魅力を全国に発信しました。個人的にも1300年祭で奈良の魅力を再発見できました。また、「ならナビ」では、奈良のみなさんと画面を通じて、様々な感動や驚き、喜びを共有させていただきました。
奈良の歴史と文化の奥深さは、今の私に大きな影響を与えています。奈良に住む人々とのつながりは、今の私にとってとても大切なものです。奈良と奈良の皆様、本当にありがとうございました。

奈良県の皆さんにメッセージ

通算9年間、奈良で大変お世話になりました。多くの魅力的な方々と、忘れられないすてきなご縁を頂きました。まだまだ訪ねていない場所がたくさんあります。今度は、旅人として奈良を訪れ、奈良の魅力をさらに深く楽しみたいと思っています。開局80年の奈良放送局をどうぞよろしくお願いいたします。

おひさしぶりです!ナラウンサー

鏡 和臣アナ

奈良放送局での勤務時期
平成18年 ~ 平成22年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
名古屋放送局(スポーツ中継など)
奈良放送局以降の異動歴
奈良→広島→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

現場の大切さを学んだ4年間でした。高校野球やラグビーの取材を通じて、競技のだいご味だけではなく、指導者の哲学など、幅広く勉強させていただきました。高校野球の取材で通った橿原公苑野球場(現・佐藤薬品スタジアム)や冬の親里ラグビー場は、私にとって今につながる学びの場でした。

奈良県の皆さんにメッセージ

皆様から教えていただいたことが、アナウンサーとしての幅を広げることにつながります。どうか、これからもNHK奈良放送局をよろしくお願いします。


おひさしぶりです!ナラウンサー

大山 武人アナ

奈良放送局での勤務時期
平成19年 ~ 平成23年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
大津放送局
奈良放送局以降の異動歴
奈良→大阪→東京(ラジオセンター)→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

「ならナビ」のキャスターを3年間(平成21年~23年)、担当していました。中でも印象的なのは、平成22年の「平城遷都1300年」です。奈良の平城京に都がうつされてから1300年を迎えたのを記念して、県内各地で様々な催しが行われました。今、振り返っても本当にたくさんの人たちが全国からやってきたのだなと実感します。私は、奈良ならではの魅力をお伝え「せんと」ということで奮闘していました。その頃の写真が残っていました。天平衣装に身を包んでいます。1300年前に思いをはせているのでしょうか?本人は満足した様子ですが、似合っているのか、似合ってないのか、微妙ですね。

奈良放送局勤務時代の写真

奈良県の皆さんにメッセージ

奈良のみなさん、ご無沙汰しております。奈良放送局勤務の4年間で、仕事やプライベートで県の北から南まで様々な場所にお邪魔しました。いろんな方にお会いし、奈良の魅力の奥深さを教えていただきました。改めて御礼申し上げます。今後も、奈良の応援団の一人として、奈良の魅力を広めていければと思います。


おひさしぶりです!ナラウンサー

北村 紀一郎アナ

奈良放送局での勤務時期
平成23年 ~ 平成25年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
東京(NHK放送文化研究所)
奈良放送局以降の異動歴
奈良→山口→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

奈良局の前に赴任していた大阪局時代(平成21年~23年)を含め、通算4年間、生駒で過ごしました。仕事の上でも、大阪局にいたころから、奈良との縁が深く、2年という在任期間以上の愛着があります。吉野や奥吉野を旅した番組(『あさイチ』の「JAPA-NAVI」)では、氷の壁をよじのぼったり滝を飛び降りたりと、40歳を過ぎていろいろ挑戦させてもらいました(笑)。

奈良放送局勤務時代の写真

奈良県の皆さんにメッセージ

プライベートなことですが、奈良にいた4年間に、長女が生まれ、2歳半まで過ごしました。家族にとっても、奈良は思い出深い場所です。今は、世論調査の仕事を担当しているため、放送に出ることはありませんが、また、いつか、奈良のみなさんに、元気な姿と声をお届けしたいと思います。これからも、開局80年の奈良放送局ともども、よろしくお願いします!


おひさしぶりです!ナラウンサー

谷口 慎一郎アナ

奈良放送局での勤務時期
平成22年 ~ 平成27年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
松山放送局「おはようえひめ」「俳句王国がゆく」
奈良放送局以降の異動歴
奈良→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

奈良局勤務のほとんどを「ならナビ」キャスターとして過ごしました。そのほか、野球実況に中継、ナレーションなどいろいろ担当しましたが、そのたびに、奈良の方から親切にしていただいたり、応援していただいたりして、感謝してもし尽くせません。中でも、「ならナビ」内のインタビューコーナー「まほろばラウンジ」では毎週、多くの県民の方にお話を伺わせていただき、さらに一筆コメントをいただいていました。そのひと言ひと言が、今、私にとって大切な人生の指針になっていて、今につながる思い出になっています。

奈良放送局勤務時代の写真

奈良県の皆さんにメッセージ

奈良県のみなさんおひさしぶりです。覚えていらっしゃいますか?奈良放送局80年の歴史の中、もっといえば奈良の長い歴史の中で、私がいたのはわずか4年半くらいですが、かなり密度の濃い時間を過ごさせていただきました。神社仏閣を巡りお話を伺い、壮大な夢を描く子供たちに会い、そして豪雨災害からの復興への歩みを取材するため何度も十津川村などに通い・・・、思い起こせば本当に多くの方にお世話になりました。今後も“ナラウンサー”の一員として、またみなさんにお会いできる日を楽しみにしています。


おひさしぶりです!ナラウンサー

宮崎 浩輔アナ

奈良放送局での勤務時期
平成25年 ~ 平成28年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
金沢放送局(ニュースなど)
奈良放送局以降の異動歴
奈良→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

智弁学園が春のセンバツ高校野球で優勝したとき、新大阪にある宿舎に行って、選手や監督の喜びの声を、「ならナビ」の中で、番組全体の半分近い時間をかけて中継で伝えました。当時デスクワークの仕事が中心で、久しぶりにリポートをすることになり、しかも優勝が決定したあと移動して、電車内でインタビューの流れを整理するという慌ただしさ。リハーサルもできない状況でしたが、いざ放送が始まると、熱戦の緊張から解き放たれた選手たちが、和やかな雰囲気で包みこんでくれました。

奈良県の皆さんにメッセージ

「なら845」を担当することが多かったので、よく「845の人だ!」と声をかけていただきました。テレビやラジオを通してだけではなく、会館公開イベントでは多くの方々とお話できました。私たちの仕事は、転勤するたびに“ふるさと”が増えていきます。金沢に来てからも、奈良のニュースやリポートが気になって時々インターネットで見ています。開局80年は通過点にすぎません。これからも様々な情報を発信し続ける奈良放送局をよろしくお願いします。


おひさしぶりです!ナラウンサー

荒木 美和アナ

奈良放送局での勤務時期
平成25年 ~ 平成28年
現在の勤務地・担当業務(番組名など)
東京(ラジオセンター)「NHKジャーナル」
奈良放送局以降の異動歴
奈良→現在

奈良放送局勤務時代の思い出

一番印象深い思い出は、春日大社の式年造替に関わらせていただいたことです。建設中の、桧皮(ひわだ)もまだ新しい本殿で撮影させていただいた経験や、プライベートでも春日祭やおん祭に参列させていただいた思い出は、私の人生をとても豊かにしてくれました。中継や取材が重なると、春日大社や薬師寺、西大寺、東大寺、興福寺に「出勤」しているのではないかと思うほど出入りさせていただきました。そして、忘れてはならないのが、帝塚山大学の西山厚教授とご一緒させていただいた「仏教よもやま話」。仏教に対するアプローチの仕方や、その根底にある思想を西山先生から間近で教えていただけた貴重な経験でした。

奈良放送局勤務時代の写真

奈良県の皆さんにメッセージ

今でも神社やお寺の行事に参加するために時々奈良に出没しています。見かけたら、気軽に声をかけていただければと思います。


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