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南渓にも矛盾や身勝手な部分があります[南渓和尚役・小林薫さん]

直虎への思い

南渓は僧侶という立場上、自分自身が政に関わることはありません。あくまで直虎を押し立てて井伊家を守っていくしかないんです。ですから、なだめたり、うそをついたりしながら、直虎個人よりも井伊家の存続を第一義とし、物事を推し進めてきたんだと思います。

ただ、南渓の直虎に対する思いは生々しい政治的な立場でとらえる部分と、肉親的な感情の両方があると感じます。そのために南渓自身も直虎を翻弄し、個人の将来や幸せを犠牲にしてしまったことを憂いているのではないでしょうか。

南渓がどうのこうの言っても、直虎自身の気持ちや考え、時代の要請もあって、すべてが思惑通りには動いていません。また、南渓も人間ですから、矛盾しているところや、自分勝手なところもあって・・・。子ども時代から、直虎とのやりとりを楽しんできたというのもあるんですよ。だから彼女が城主になったときに、その成長を実感して頼もしくも、寂しい感情になった・・・。自らが導いておきながら、ずいぶんと身勝手ですよね(苦笑)。

南渓を演じる難しさ

南渓を演じていて難しいと思うのは、発言の先に人の生死が関わっている場合の表現方法。同じ脚本でも10人いれば10通りの解釈がありますが、やはり生死に直結する発言をする場合はあまりふざけられないなと思っているんです。
もしかしたら、破戒僧みたいな感じで「それでもいいや」と演じれば、もっと豪快で人物の大きなお坊さんになれるのかもしれないですが、僕の場合はどうしてもブレーキがかかってしまう。脚本や演出は「もっと遊んでもいいよ」って信号を飛ばしているかもしれませんけどね。

年をとってからは「これだ」という確信を持って役と相対することがなくなりました。人って場面、場面で見え方が違ってくるものですから。例えば、身内に不幸があって悲しんでいるシーンがあるとして、その人はずっとそうやって生きているわけじゃないですよね。違う瞬間を見たら、無関係にゲラゲラ笑っているかもしれないでしょう。そうなってくると、誰かを演じるときにその人を表現し尽くすことって不可能ですよね。だから、役作りの上ではほとんど一周まわってわからなくなっているところがある。

南渓を演じる上でも、もう少しくだけた表現があるかなと、今もぎりぎりのラインを手探りしながら向き合っています。

井伊の終えん

野球に例えると、直虎にとって南渓は監督のような立場だったかなと思っているんですよ。今回、井伊家を終わらせるという決断に至ったのも、南渓が直虎の背中を押したことが大きかったわけですから。例えば、ピッチャーがマウンドで孤軍奮闘していて、ある種の限界に近づいているのに降りられないシチュエーションってあるじゃないですか。そんなとき、監督が声をかけて投手を代えなくてはならない。直虎の場合もそんな状況に似ていると思うんです。

周りの大きな力や運命に飲まれ戦争に逆らえない状況の中で、政次という片翼を亡くしながら、家を守ろうとする直虎はあまりに痛ましすぎました。ですから、これまで井伊家の存続を第一に考えてきた南渓も満身創痍の直虎の姿を見て、自分が押し上げたのだから、降ろすのも自分だと感じたのではないでしょうか。

もちろん将棋の盤面が刻一刻と変わっていくように、周囲を囲まれて追い込まれることもあれば、チャンスを見つけて強気に転じ、王手攻めをしかけることもある。そうやって生き延びてきた井伊家なので、南渓としては「あれはもう殿ではない。ならば従わねばならぬ道理もないということじゃ」と今度は虎松とのやりとりを楽しんでいる節があります。数々の南渓の言葉が直虎を導いたように、虎松にどう響いていくのかも楽しみです。