2009/10/22/18:47たいき君物語⑥ ~たいき君ロボット その2~
たいき君ロボットはもう1台ありました。
山形市のわたるママさんからのお便り。
山形県立産業技術短期大学校にたいき君ロボットがまだあると思います。昨年はありました。動くかどうか不明です。当時、国体PR用に学生と製作し県庁ロビーに飾られたものです。主人が故障の際、よく修理にいっていたそうで自分の子供のように可愛がっていたことを思い出していました。ただ、昨年、主人が久しぶりにたいき君に会った際、まだあることにビックリ!それよりもかなり汚れもあったようで、 残念がっていました。まだあるといいのですが・・・
ということでこちらも行ってまいりました。
こちらも当時関わられた先生方にお話を伺いました。
こちらのロボットは学生たちが作ったというのが売りで、
モニター画面がロボットの隣にあり、クイズが出題されたり、
国体のテーマソングの徳永英明さん(当時の表記です)「風の言葉」の
音楽が聞くことができて、それにあわせてたいき君が動くというものでした。
学生たちと先生が一緒になって作り上げた力作で国体の約1年前から、
1年半にわたって、県庁のロビーに展示されて、電光掲示板により
開催前は「国体まであと***日」、開催後は「ただいま**町で**開催中」などの情報を表示していたそうです。

当時のたいき君
提供
県立産業技術短大
たいき君ロボットは、学校の中で国体後ずっと置かれていました。


(右の写真は当時の学生が文化祭の展示に作った壁紙です)
実はこのたいき君ロボット、電源を入れてみると、少しだけしゃきっと動きました。
当時の動きをすることはできないのですが、名残は見られました。
ちょっとうれしかったです。
放送上はこのたいき君ロボットは台座が大型で固定されていて輸送が簡単でないこともあり、番組の生宣伝「やまがたニュースアイ」のなかでパネルで紹介することにさせていただきました。

歴史を感じさせるたいき君ロボット。
こちらも多くの人々の思いを背負って生まれたものにちがいありません。
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2009/10/22/16:28たいき君物語⑤ ~たいき君ロボット その1~
今回は放送後の反応でもとても評判のよかったたいき君ロボットについてです。
みなさんの頭の中で、プロジェクトXでかかっていた、中島みゆきさんの
ヘッドライトテールライトをかけてお読みいただければと思います。
取材中に当時の新聞記事でたいき君ロボットがあるというのは知っておりました。
NHKの映像でもロボットの映像が発見され、このロボットが国体にやってくる人々を歓迎するために作られたもので「しゃべって、握手ができる」ということは分かっていたのです。
(NHK平成4年1月10日のニュースから)
ただ、誰が作ったロボットなのかが分かっていませんでした。
そうしたら、山形の待機パパさんから、県の工業技術センターが作ったという情報を頂きました。
早速電話してみたら、あっさりと、たいき君ロボットありました。
もちろん、テレビ屋として、「なんとかして少しだけでも動きませんか?」と
すぐに聞いたのですが、バッテリーがないし、動かしていないので、
それはもう無理だろうという即答でした。
とにかく、実際に見に行かせてもらいました。
この時点で、柴田さんとも、スタジオでロボットが動いてしゃべったら、大きな山場になると話していました。
でも動かないなら、どうするかな・・・・
実際にセンターに行ってみました。
当時の担当の方々数人とお話をして当時の苦労の凄さと
そして何より倉庫に眠るたいき君を見て、
思った以上にぴかぴかで、なんともいえない愛らしいボディを見てしまって、
たとえ動かなくてもスタジオで見せたい!と思いました。
(工業技術センターでたいき君と高橋さん)
柴田さんが「プロジェクトY」でいこう!と決定したことで話が加速、
さらに当時の担当者の方々が昔の写真資料やビデオを発掘してくださいました。
(工業技術センター提供の資料写真)
当時の山形県の工業技術の粋を集めて作った一大プロジェクト。
当初工業技術センターが進めようとしていた自立ロボットプロジェクトを
国体を盛り上げるために!と白羽の矢が立ち、国体の開幕に間に合わせると
納期がぐんと早まって、4人から11人にプロジェクトメンバーが拡大されたこと。
とにかく子供に愛されるかわいいロボットを作るというためのデザインチーム、
FRP加工ボディへの圧倒的なこだわり。
期間を間に合わせるために12台のPC(まだwindowsの前の時代です)を
連結して動かすことにしたが、同期・制御が難しかったこと。
150キロのボディのロボットが自立走行することをめざして、センサーも
装備されていたけれど、完全自立は安全面への配慮から見送ったこと。
さまざまな、バグをつぶすための戦い。
1回目のお披露目は県でのお披露目で1月10日だったため、
正月返上で泊り込んで、何日も徹夜を重ねたこと。
お披露目の当日の朝(!)になんとか動くようにはなったけれど、
それでも「たいき君です」としゃべらせたらフリーズしてしまう。
仕方がないので一計を案じて、「中身も見ていただこうと」ふたを開けて
リセットボタンを押すという苦肉の策だった。
などなど、10分も15分も伝えたい面白い話を、泣く泣く5分のシーンに押し込みました。


動かないものの、幸いにして当時の特注の台車が存在していたので
開発を担当した一人の高橋さんに押して出ていただきました。
ロボットで感動した!、もっと見たかった!という声が多かったのは
多くの人々が必死で作り上げた、たいき君ロボットのすごさが
その姿だけでも伝わったからだと思います。
もうひとつ、とっても感動したのは
中山町のゆらゆらさんからいただいたメールでした。
「たいき君ロボットの事なら、どうしても話したいです。肩書きの無い主人に、ロボットのボデイ製作依頼が来たのは、国体の前の年でした。毎日のように県の職員さんが来られ、大きさ、形、サイズ、色、そして数知れぬ手直し、時間も忘れて語り合い出来上がった。たいき君は、可愛くってまるで子供のようでした。でも色々な場所で、皆さんに愛され、無事に役目を果たしてくれました。そして、何よりも大変だったのは、すべてを担当した工業技術センターの方々ですね」
技術センターのチームでFRPのボディ制作に携わられた奥さんからでした。
今でもゆらゆらさんのうちの工房には、たいき君のFRPの型元(ぬけがらと呼んでらっしゃいましたが)が大事に残っているんだそうです。
そして写真も送っていただきました。

「私は、オリジナルセーターを子供三人に作り、国体会場に着せていきました。
会場では、「それ何処で売ってるのや」って何回も聞かれたのを、
うれしく思い出しました。」
みんなの思いが詰まったたいき君ロボットに会えてなまらナイターズも
NHKのスタッフもとても喜んでいました。
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