2011年03月25日 (金)先はまだまだ見えないけれど
気持を緩めるつもりはありません。
これから、何をするべきか、
日々変わる状況の中で、僕たちの仕事は難しくなっていくことを
これまでの経験から、少しは理解しているつもりです。
地震が起きた直後のラジオ放送について皆さんからいただいたコメントを、
今日アップしました。
ほんの少しでも皆さんの力になれたのなら、よかったです。
災害時のラジオ放送について、僕には苦い思い出があります。
平成3年9月28日、台風19号が
当時僕が勤務していた青森県に甚大な被害をもたらしました。
特産のりんごのうち、収穫を目前に控えていた主力品種のふじが壊滅的な被害を受け、
人生が変わってしまった人も少なくありませんでした。
僕はその日の朝、台風の接近に備えて
日本海側の鰺ヶ沢町で中継を担当していました。
まさに台風が最接近した時間、
上空には真っ青な青空がまん丸く広がったのです。
「台風の目」でした。
その時少し離れた浪岡町や弘前市で大きな被害が出ていることに気づきもしませんでした。
中継を終え、翌日の全国ゲートボール選手権(初めての全国放送でした)収録のため、
弘前のホテルに入りました。停電していました。
数日後、停電は県内の広い範囲に及び、
多くの県民がラジオに情報を求めていたことを知りました。
地元の青森放送は夜通しラジオで停電の状況について伝えていたのです。
放送を出したか出さなかったかの前に、
僕は人々がラジオに情報を求めていることを想像できなかった。
人の役に立ちたいと思ってアナウンサーになったのに、
困っている地元の人々の行動を想像することすらできなかったのです。
それから20年が過ぎて、先日の地震。
被害の状況がある程度飲み込めたところで、
僕の頭はラジオのことを考え、
伝えられることを精いっぱい伝えました。
アナウンサーなんて名ばかりの、
思慮の浅い若造を見守ってくれた青森の皆さん、
本当にありがとう。
20年経って、少しだけ視聴者の役に立てたみたいです。
投稿者:柴田徹 | 投稿時間:13:53
コメント
柴田さん、ラジオ世代にとっては、ほんとでありがだいなです。
普段から、ラジオかげでる者にとっては、むしろテレビ<ラジオだな
です。なまらのはじまりがラジオだったように、山形の応援メッセージを被災地の皆さんに届けることができたら・・・などと思いながら
メールしています。
大将!なまらナイターズの皆様よろしくお願いします。
お国言葉ほど、ほっとするものはないなです。
酒田市民も一丸となって、支援物資や義援金を集めています。
お店には物資がなぐなてますが、皆、家庭にあるものを持ぢよて自分たちにできることをしています。
「さがだのみんな~!いまこそ、恩返しのとぎだ~!」とばかりに
「酒田大火を乗り越えられたのも、皆様からの御支援があればこそ」と官民一体となってがんばてます。
ひとつ、ひとつは小さいけれど、集まればきっと大きな力になる!
なまらナイトがそうであるように、どんどん灯が大きくなって被災地
の皆さんを明るく照らすことができますように。
投稿日時:2011年03月25日 16:01 | 酒田のおしん子
現場より・・・
ボランティア活動に参加して1週間ほどたちました。
スポセンではフロアごと「1〜3丁目」、そこにいる方々を「住民」と呼んでいます。
顔見知りの住民さんもできました。
被災当時のことや、住んでいた町の変わり果てた様子、自分の家や畑のこと・・・
想像を絶する話をたくさん聞きました。
「会社にいる間に自分自身と車以外、みな流されてしまった。家族が全員無事だったのが幸い」
「2階から津波が来るのを見ていた人たちはみんな・・・・・」
「着の身着のままという言葉は知っていたけど、意味が分かったのは今回初めて」
でも、少なくとも私たちに話をしてくれる方々は、涙を流しません。
明るさを失っていません。
主婦の方々は、エプロンを締めることで日常を取り戻そうとしています。
(差入れのエプロンは、明るい色から先になくなっていきます)
マット数枚分のスペースを、「ウヂの”マンション”の番地教えっから、遊びにきて」
そんな冗談で笑わせてもくれます。
とうほぐ弁て、ぃやんばいなコミニュケーションツールだずね〜
明るいニュースもありました。
ある住民さん一家に赤ちゃんが生まれました!
館内放送があり、みんなでお祝いしたそうです。
勇気づげらっでんのは、むしろ私の方んねべが?
いろいろな思いが交錯する毎日です。
(自分の活動が、単なる自己満足んねんだが?という自問自答も含めて・・・)
投稿日時:2011年03月25日 22:59 | 三角あだま
青森に台風がぶつかった時は
青森市内も信号がひんまがったりして・・
学校は休校でラジオなどにかなり頼りましたね
今回の地震もラジオは
大切な情報源でした
これからあまり災害にあわなければいいけど
普段何気なく聞いて視ている
ラジオやテレビが凄く重要だと思いました
投稿日時:2011年03月26日 00:06 | とっちぃ
おはようございます。
あの3月11日の地震の際は仕事で得意先回りをしていました。ラジオに地震速報が流れ、まもなくハンドルがとられはじめ、赤信号で止まると誰かが車を激しくゆすっているような状態になりました。ラジオの速報を聞きながら夕方職場に戻り、テレビを見て改めて被害のものすごさに驚きました。十勝地方では震度4、道東でも海岸沿いに大きな被害が出ました。
私は以前、南三陸町(旧志津川町志津浜地区)に国道工事で住んでいたことがあります。志津川町~歌津町~気仙沼市の間は工事車両で何度も走りました。数年前にも思い出の地をたどるドライブに出かけたのですが、当時と同じようにのんびりとした穏やかな土地柄でした。
「十勝山形県人会」も義援金を送らせていただきました。
被害に遭われた方々のご冥福をお祈りします。
投稿日時:2011年03月26日 09:22 | 帯広市のおんちゃん
台風19号の時は子供ながら覚えています。
夜明け前、強風と窓がカタカタ揺れる音が怖くて眠れなかったです。
自分が生まれて初めて経験した停電もこの時です・・・。
あの時かろうじて残っていたりんごが「落ちないりんご」として受験生のお守りになりましたね。
今回の震災を通して災害報道は落ち着いて見る(聴く)ことって大事なんだな、と思いました。
話が脱線します。青森市に本社を置く老舗デパートが民事再生法の適用を申請し、営業休止になりました。
震災に加え、青森・新町と弘前・土手町のそれぞれの一大拠点を失うのは個人的にも青森の経済にとってもダメージが大きいです。
投稿日時:2011年04月02日 20:24 | あおぞら
脱線、じゃなくてね。
あまりにも多くの悲しみが
人の手の及ばぬ災害によって一度に起きてしまったことで、
それ以外の、個々の苦しみや悲しみが、
まるで無くなったかのようにメディアに乗らなくなっています。
でも、そうじゃない。
悲しみの深さや大きさは、比べられるものじゃないですから。
投稿日時:2011年04月04日 11:22 | しばた
柴田さん、おばんかたです。
>悲しみの深さや大きさは、比べられるものじゃないですから。
んだんだずね~。(涙)比べらんねんだずねぇ・・・。
あたし、このごどば、柴田さんが書いてくれて、嬉しいっけ。
それだけなんだっけ。
季節の変わり目だがら、お体お大事にしてけらっしゃいな。
投稿日時:2011年04月06日 16:21 | ヤマガタンシズちゃん







