「最後の戦犯」をより楽しむために、知っていると役立つ用語&基礎知識をご紹介します。

いわゆるA級戦犯の裁判は、東京市ヶ谷の「極東国際軍事法廷」(=東京裁判)で開かれ、BC級戦犯の裁判は横浜地方裁判所で行われていた。このドラマのモデルとなった左田野修さんも、横浜で裁かれた。昭和24年10月19日に判決を受けたが、これが国内で最後の戦犯裁判である・・。
ちなみに、神奈川の桐蔭横浜大学に移築復元されており、当時の雰囲気を今に残す・・。

- 日本陸軍は1935(昭10)年、日本を東部(東日本)・中部(中部近畿)・西部(中国四国九州)の三つの区域に分けそれぞれに防衛司令部を設置し、その後の1940(昭15)年に東部・中部・西部軍司令部と改称するも1945(昭20)年2月に廃止され、その後は第16方面軍司令部が西部軍管区司令部を兼ね九州地方を管轄した。戦時末期、日本軍は本土防衛を最優先と考えていた為、最前線となりうる九州の本土防衛軍に重点をおいていたという。

- チャールズ・アンドリュー・ウィロビーは戦時中ダグラス・マッカーサー将軍の情報参謀で、日本降伏後はGHQ参謀第2部(G2)部長として諜報・保安・検閲(特にプレスコード)を管轄した。また「アメリカの小ヒトラー」と呼ばれるほどの頑固な反共主義者として知られる。晩年は情報の専門家としてCIA設立にも関与。
終戦当時、日本警察に力はなく民衆を取り調べるにも一苦労であったがGHQのお墨付きであれば取り調べもスムーズに進むことから警察はGHQの名前をよく表に出していたという。

- 戦時中の日本政府の膨大な借入金(財政の9倍)と、軍事物資の代金を一挙に払ったことにより巷(ちまた)には通貨があふれ、急激なインフレに陥った。具体的には、1945年に20銭だった銭湯の料金が1949年には10円、郵便葉書は1945年には5銭だったのが46年には15銭、小豆1升が72銭から43円70銭、小麦粉10kgが4円から405円、白米10kg6円が149円60銭、山手線最低運賃が10銭が5円、銀行員の初任給が80円から3000円など。

指名手配発令(左田野氏の場合は昭和21年5月)から警察は逃亡戦犯の捜査に全力を挙げており、左田野家においては幾度とない訊問(じんもん)、家宅捜査などが繰り返され、盗聴器や張り込みでの監視も行なわれた。
このように進駐軍の命令ならばどんな手段も許されたというのが事実である。それを明らかにするべく、左田野氏も家族の受けた訊問の一部始終に関しての手記を残している。

- GHQの民主化政策の一つである労働組合の育成や、戦後、共産主義者や労働運動家などが活動を再開したため労働運動は活発化した。特に46年から47年にかけて全国で労働組合が相次いで結成された。このころの労働運動は、急激なインフレや産業荒廃が原因の生活条件闘争が多かった。多治見も例外ではなく、47年のメーデーには駅で1500人もの盛大な集会が行われたという。

- アメリカ側が裁判打ち切りの態度をとったのは、戦犯の捜査がほぼ終わったと認定した他に、いよいよ朝鮮戦争(勃発は25年6月)の兆しが濃くなってきた為もある。BC級裁判の終了は9月30日と定めながらも左田野氏の判決は10月にずれ込み、よって彼の裁判が最後の戦犯裁判となったのだった。

BC級戦犯として裁かれたのは原則として日本国籍を有していた者であるが、その中に朝鮮人148人、台湾人173人も含まれている。彼らは旧植民地で捕虜収容所の監視員や軍の通訳をしていたことから捕虜虐待などの罪に問われた。朝鮮人・台湾人の戦犯は、日本人が「内地送還」になる際、一緒に日本へ送還され、巣鴨プリズンに収容される事となった。

- 戦時中の国民学校を廃止し、1947年3月に改編された新しい学校の制度のこと。具体的には、6・3・3・4制の学校体制、義務教育9年への延長などである。

- 「崗田製陶所」のモデルである「加根多製陶株式会社」は、昭和20年代の当時、従業員数約100人以上、製土から成形・素焼き・絵付・釉がけ・本焼成・荷造りに至るまで全て自社で行い、構内を運搬用のトロッコが走り、80人ほどの社宅があったという大工場である。同社ではロクロと手で成形する芸術品としての焼き物ではなく、石膏(こう)型を使って均一の普段使いの食器類を量産していた。
1つの町の住民全員が同社の職人で、当時は町名が社長と先代社長の名をとって付けられていたが、現在では町名も新しくなり、工場も既になくなっている。

- 活動時にズボンの裾がヒラヒラするのを抑え、動きやすくするため脛(すね)の部分に巻くもの。将校は長靴、見習士官は革脚半、下士官布製帯状のゲートルを巻いている。ゲートルは慣れないうちは巻くことが非常に難しく、初心者が巻くとビラビラができてしまい非常に不恰好な上にズボンがしっかりと止まらずすぐにほどけてしまう。しかし、戦争をご経験された方々は暗闇の中でも巻けるという。

大正12年11月3日、福岡県大牟田市にて左田野家兄弟5人姉妹5人の五男として生まれる。しかしまもなく医者だった父が亡くなり、福岡市に移り住み、母は女手一つで一家を支えることとなる。
昭和18年福岡市西部軍四六部隊入隊、陸軍士官学校、陸軍中野学校を卒業後、西部軍に戻り、劇中にあるように、昭和20年8月10日の油山事件、同15日に終戦という経緯をへて翌21年2月24日に逃亡する。
その後昭和24年7月19日に逮捕されるまでの3年半、岐阜県多治見市の製陶所に住み込みで働く。製陶所では真面目な性格と焼き手として認められたことから徐々に人々からの信頼を得る。巣鴨プリズン入所中の嘆願書には、製陶所の人々が数多く署名したという。

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