ドラマを2倍楽しめる!「最後の戦犯」予習コーナー[ENCYCLOPEDIA] ドラマのキーワード 厳選30+α

「最後の戦犯」をより楽しむために、知っていると役立つ用語&基礎知識をご紹介します。

1.油山事件
1945(昭20)年8月10日に福岡市の郊外油山で実際に起きたB29のアメリカ人搭乗員を斬首処刑した事件である。同年6月の福岡大空襲と広島・長崎の原爆投下に対する報復的処刑の意味合いもあり、「大多数の日本人を爆撃で殺した」捕虜を処刑するのは当然だと考えていた軍関係者も多かったという。西部軍における捕虜処刑は、他に6月20日と8月15日、合わせて3回あったという。

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2.捕虜
敵国に捕らえられた軍人のこと。国際法では、捕虜を殺すのは禁じられていたが、日本国内では一般国民に対し爆撃攻撃をした敵国搭乗員は処罰されなければならないという規定があり、軍律会議において無差別攻撃か否かを判定した後に処罰するということになっていた。「油山事件」を裁いた横浜軍事法廷では、アメリカ兵捕虜の処罰を決定するに当たり軍律会議を行なったのかどうかが、裁判の焦点の一つとなった。欧米の軍人たちにとっては捕虜になることは生き残る為の当然の権利であるが、日本人にとっては捕虜になることは最大の恥、捕虜になるくらいならお国の為に死を選ぶという考え方が当時あった。それは「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓による軍人教育によるものであろう。

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3.軍律会議
軍隊による裁判の一種で、軍の作戦地域や占領地で、司令官が布告した軍律を犯した自国民・敵国民その他を審判する会議。軍人が軍人の犯罪を裁く軍法会議とは異なる。厳密には軍法会議は「裁判」、軍律会議は「審判」と区別される。

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4.見習士官(軍人の階級)
ドラマの主人公吉村修は陸軍の見習士官であった。陸軍士官学校や陸軍予備士官学校等の卒業者は、部隊に配属され少尉に任官するまでの間、見習士官として勤務する。襟に曹長の階級章を付けるがそれと並んで、見習士官を示す特別徽章も付けるので見分けられる。

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5.戦争犯罪人(A級戦犯・BC級戦犯説明含む)
一般的にA級戦犯は平和に対する罪、B級戦犯は通例の戦争犯罪、C級は人道に対する罪であるがこれらは連合国がナチス・ドイツの残虐行為を裁く為に作られたものであるため必ずしも日本軍に当てはまるものではなかった。そのため、実際日本ではA級戦犯が命令系統にいた人々、BC級戦犯はその下の階級にいた人々とした。

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6.玉音放送
1945年8月15日の正午、第二次世界大戦の終結を昭和天皇みずから国民に伝えたラジオ放送。内容はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏するというものであった。玉音放送が行われるにあたって終戦反対派の陸軍による抵抗があったが、予定通り15日の正午に放送された。

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7.復員証明書
怪我や病気になった兵士を母国に帰還させる証明書として戦時中から存在していたが、終戦に伴い「戦時」から「平時」に戻すために復員令が発布され復員証明書が配られた。復員証明書は汽車の無料チケットも兼ねており、書かれた内容は日付、氏名、所属部隊名、そして上陸支局の証明印という簡単なもので支局に勤めている者なら偽造は簡単にできた。吉村修は偽造復員証明書を使い逃亡した。

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8.多治見市
吉村修が逃亡先に選んだのは岐阜県多治見市。土岐・瑞浪などと並んで古来より美濃焼の産地。美濃焼といえば黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部などが有名である。明治・大正期を通じて工場で大量生産化された陶磁器(新興美濃焼)作りが盛んとなる。輸出産業としても成長し、国内でも美濃焼の和洋食器類は全国の総生産の6割近くを占めるまでになる。当時は多治見駅までの運搬手段として、笠原鉄道という運搬用の鉄道があったほどである。
戦災の被害も比較的少なく、駅前通りの陶器市では、戦後すぐ、安い陶器を買い求める客で賑わっていたという。進駐軍の立ち入りも少なかったようで、左田野氏が多治見を選んだのも頷ける。
現在では2006年に日本国内の最高気温となる40.9℃を観測し「日本一暑い町」としても知られている。

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9.エンゴロ(匣鉢[さや])
吉村修が陶器工場で働き始めたとき、初めて教わったのがエンゴロの使い方である。エンゴロとは「本焼成」の際に焼き物に灰がかっかたり、溶けた釉薬(ゆうやく・うわぐすり)により焼き物同士がくっつくのを防ぐためのもの。陶器は、エンゴロ(耐火素材の鉢)の中に入れられ、積み上げて焼かれる。わざと灰がかかるのをそのままにし、そのムラを良しとする焼成法もあるが、当時の多治見での産業化された窯業では、品質が均一のものを大量生産する必要があったために、エンゴロが必要不可欠であった。

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10.闇市
戦後の物資が不足した状況における、非合法に設けられた市場のこと。戦中も闇市があったが、公然と市場が並んだのは戦後。終戦後1ヶ月には大きな駅周辺などに闇市が氾濫(はんらん)した。
始めは露天市だったが、1946年春ころからはバラック長屋の見世形式ができ、ありとあらゆる消費物資がここに集まった。中古の日用品、野菜や穀物・イモなどの食糧など、各人が勝手に持ち込んだ品を売っていた。法外に高い価格で物品や食糧が取引きされたが、庶民はどうしても必要なものはそこで手に入れるしかなく品物は飛ぶように売れた。

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