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ドラマを2倍楽しめる!「気骨の判決」予習コーナー/「気骨の判決」をより楽しむために、知っていると役立つ用語&基礎知識をご紹介します。

素顔の吉田裁判長

吉田久は明治17年に現在の福井市に生まれます。父が事業に失敗し、小学校を中退した後、裁判所で給仕として働いたことがきっかけで裁判官を志します。このころの吉田は、時間を見つけては、裁判所の庭で法律書を読み、手のひらにペンで法律の条文を書いて勉強をしていたそうです。その後上京して働きながら大学に通い、明治38年に裁判官の試験に合格します。
苦学した経験からか、吉田は裁判官になってからも、人を差別することをもっとも嫌っていたといいます。自宅での食事では、家族はもちろん、女中さんや書生も同じものを食べていたそうです。また毎朝5時に起きて、自分で家の周りを掃除するのが日課でした。

そんな吉田の大好物はトマトでした。トマトをつまみに晩酌をするのが楽しみで、食卓にトマトがないと不機嫌になるそうでした。
大審院の判事になってからは、金持ちの息子が年老いた貧乏な母親に賠償を求めた裁判で、「わが国の孝道の見地から判断すべき」と述べて母親を勝たせる逆転判決を出すなど、いくつかの「名判決」で話題となっています。

戦後、裁判官を辞職した吉田は、大学教授として学生に民法を教えています。教え子の中には、今も弁護士などとして活躍している人が多くいますが、彼らは、吉田の印象について「まじめで厳格だけど、ちょっととぼけたところもある先生だった」と語っています。学生の間では「久(きゅう)さん」と呼ばれて親しまれていたそうです。
ただ、吉田は戦後自分の業績を語ることはほとんどなかったため学生の多くは吉田が翼賛選挙訴訟で無効判決を出していたことを知らなかったそうです。

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幻の判決文

最高裁判所には明治時代から現代に至るまで、ほぼ全ての判決原本が保存されています。いくつもの鍵がかけられ、厳重に管理されている記録保管庫の中には、明治24年の「大津事件」や明治44年に言い渡された「大逆事件」など歴史的に価値の高い判決原本も含まれています。
こうした判決原本を元に裁判所は判例集を作ります。大審院や最高裁判所はその判決に書かれた法解釈が地裁や高裁(戦前の控訴院)などに対して拘束力を有します。このため判例集は現在に至るまで、裁判官だけでなく弁護士や検察官といった人たちにとって必要不可欠なものになっています。
ところが吉田久の出した翼賛選挙の無効判決は判例集に掲載されていません。
これは判決原本が行方不明だったためだったと考えられています。

吉田が判決を出したのは昭和20年3月1日。そのわずか9日後には、東京大空襲が起きます。10万人が死亡したといわれるこの空襲で、東京中心部の官庁街も焼夷弾による被害を受けます。大審院は内部からたちまち炎上し、外壁だけを残して全焼しました。この結果、吉田の判決原本も行方不明になり、焼失したと見られていました。昭和30年代に吉田の判決について特集したある週刊誌は、”惜しや判決原本焼失”と見出しを掲げています。吉田本人も亡くなるまで判決は焼失したと思っていました。

明治以降、国政選挙の無効を命じた判決は、現在に至るまで、ただ1度しかありません。それが、戦時中に吉田が言い渡したこの翼賛選挙無効判決だったのです。
しかし判例集に載っていないため、この判決がどんな内容だったのかは、一般には詳しくは知られていません。
このため、吉田の判決は『幻の判決文』となっていたわけです。

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大審院

明治8年から戦後の昭和22年まで存在した司法裁判所のことで、現在の最高裁にあたります。ドラマの中の大審院長は現在の最高裁判所長官に相当します。大審院には民事部、刑事部があり各部は5人の判事の合議体によって構成され裁判が行われました。

現在の最高裁は「日本国憲法」によって三権分立が保障されています。ですが、当時の大審院の人事権は司法省が握っていて、さらには司法行政権は司法大臣が掌握していました。大審院は現在の最高裁と違い、地方裁判所などの下級裁判所に対して、司法行政の監督権を持っていませんでした。

当時は大審院の「司法権」が独立していたとは言えない状況でした。
(例えば、ドラマ内の吉田久(小林薫)、児玉大審院長(石橋蓮司)の人事権は 司法大臣・竹下(山本圭)が握っていたのです)

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昭和17年の衆議院総選挙と東條英機

昭和16年10月、東條英機は陸軍大臣のまま内閣総理大臣となります。そして、12月にはアメリカとの戦争が始まります。東條は、戦争施行の為には、物質的な面だけではなく、全ての国民が精神的にも政府(≒軍部)に従順である事が必要だと考えました。
その一環として、国策に全面的に賛成する議会の確立を目指しました。戦争遂行に異を唱える国会議員の排除を目指したのです。その為に、衆議院を解散し総選挙を行う事にしました。

選挙戦は、「翼賛政治体制協議会」(=翼協)による選挙妨害・干渉が激しく、政府の息がかかった候補者が8割も当選しました。

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翼賛政治体制協議会(=翼協)

昭和17年2月、東條英機は一部の議員、陸海軍の幹部、財界や大政翼賛会の幹部などを官邸に招き、来る衆議院議員選挙に向けての協力を依頼しました。その結果、結成されたのが「翼賛政治体制協議会」です。会長には、元首相の阿部信行陸軍大将が就任。全国の道府県に支部を作り、支部長には軍関係者が多く含まれました。

その目的は、(1)「有為な人材」を選出するという美辞の下、政府にとって好ましい候補者を推薦する事。 (2)その「推薦候補者」の当選の為、支援活動を行う事・・でした。
「翼協」は、全国で議員定数と同じ466人を「推薦候補」として推し、全国の道府県の支部を通じて、市町村から町の小さな会に到るまで、選挙協力を呼びかけました。一方、自分達が推薦しなかった「国策に沿わぬ」と判断した候補者を「非推薦候補」として、その選挙活動を徹底的に妨害、干渉したということです。

選挙は、昭和17年4月30日に行われましたが、「翼協」が推薦した候補者が8割も当選し、当初の目的は達せられました。その後、議会は完全に政府のコントロールに置かれ、東條内閣は、戦争遂行の為の法律を、何の異論もなく通す事が可能となりました。

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当時の県知事と内務省

内務省は、明治時代から終戦直後まで設置されていた中央官庁です。

内政の中心として、地方行政のみならず、警察、土木、などを所轄していました。長である内務大臣は内閣総理大臣に次ぐ副総理の格式を持ったポストとみなされていました。又、内務省の次官、警保局長、警視総監は「内務省三役」と称された重職で、退任後は約半数が貴族院の勅選議員に選ばれたといいいます。

ちなみに、当時の県知事は、内務省の官僚が人事異動で就くもので、選挙で選ばれるものではありませんでした。県知事とはいえ国家公務員なのです。ドラマの中の鹿児島県知事・木島(篠井英介さん演ずる)は、鹿児島県知事から警視総監になったという設定ですが、これは内務省内でもかなりの出世コースだといえます。

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特高

特別高等警察の略称。

社会運動の取り締まりのためつくられた組織で、「思想警察」とも言われました。当時の内務省から直接指揮を受けて活動しました。
ドラマ上では小市慢太郎さん演じる佐久間が特高の刑事で、吉田家を昼夜問わず見張っていました。
なお、実際の吉田久裁判官も特高に見張られていたそうです。

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当時の法廷と法衣

法廷は戦前の大審院(今の最高裁)の写真をもとにして、NHK名古屋放送局内のスタジオにセットを建てて再現しました。

机やイス、調度品などもなるべく当時のものに近いものを用意しました。裁判官が着ている法衣については、当時使われていたものを刺繍や色も含めて再現しました。

この法衣は明治時代にヨーロッパの法服をもとに、和洋折衷のデザインで作られたものです。
刺繍の色は、裁判官が深紫、検事が深緋、書記が深緑、弁護士が白です。

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トマト(食事)

小林薫さん演じる吉田がおいしそうに食べるトマト。実際の吉田さんもトマト好きだったそうです。当時のトマトは実が小さくて皮が厚いものでした。ドラマの中に出てくるトマトは愛知県内の農家が無農薬で育てたもので、形がややいびつで、皮が厚い小ぶりのものを選びました。当時のものになるべく近いものを用意したのです。

また、吉田家の食事にもこだわっており、ドラマの当初では食卓には白御飯に立派な鰯、豆味噌の味噌汁のほかに何品か並んでいましたが、戦況が悪化するにつれてご飯は麦ごはんになり、鰯もちっちゃいのが一匹、麦味噌の味噌汁と漬物というシンプルなものに変わっていっています。

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