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「真実」は一つではない。そして時間が記憶を美化し歪曲させ、「真実」を増殖させる。戦争についての「真実」も又、同じである。「真実」があちらこちらに無責任に転がっている。
経験せず、当然だが記憶もない我々世代が戦争を描く時、まず頼るのは教えられた「真実」だ。戦争の反動で施された反戦平和教育だ。お題目のように聞いてきたあの「真実」だ。教育的なものは必ず嘘の匂いがする。しかしそれが正反対に振れて自虐史観だ、民族に誇りをと言われても鼻白むばかりだ。
一体我々の「真実」はどこにあるのか。。
吉本隆明がかつて壺井繁治を「戦争体験を主体的にどううけとめたか、という蓄積感と内部的格闘のあとがない」「時代とともに流れてゆく一個の庶民の姿があるだけ」と痛罵したが、私は壺井の転向から見える「真実」に強く魅かれる。皇軍の侵略に熱狂した人々が、終戦後力道山の空手チョップに熱狂したのだ。