
ドラマをご覧頂き有難うございます。
皆さんはどのような感想を抱かれましたか?
掲示板等々で、ご意見を頂ければ・・と思います。
それはさておき、ドラマは昭和20年3月21日で終わります・・。
その後の、吉田久さんは、どのような道を歩まれたのでしょうか??
終戦まで、吉田さんは中央大学で講師を続けていました。国家の方針に逆らう 判決を出した吉田さんは、終戦までは危険人物と見なされ、特高の監視も継続していたと思われます。
ドラマにも出てきた長女は、吉田の故郷の福井の男性の元に嫁いでいましたが、昭和20年7月19日の福井大空襲で亡くなります。遺骨を引き取った吉田は、最愛の娘を失って、妻と二人でつらい日々を送っていたようです。
このころの吉田についてある人は、「吉田さんは、自宅の庭で考え込むようにじっと空を見ていることがあった。そんな時の吉田さんには、声をかけづらかった」と話しています。
ようやく戦争が終わると、迫害を受けたかつての非推薦候補たちは、戦後の日本再生のために活動を始めます。
そんな彼らは、戦時中に唯一選挙無効判決を出し、追われるように裁判所を去っていた吉田のことを、忘れていませんでした。
吉田は戦後、自由党が作った「憲法改正特別調査会」に委員として招かれます。そして憲法改正の立案に加わる事になります。そこで吉田は、「裁判の独立」を憲法案に盛り込む事を強く主張していました。
結局、憲法は、GHQ案を基に制定される事になりますが、その76条には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と明記されました。
吉田さんは、この時、どのような表情をされていたのでしょうか?
さぞかし、喜んだのではないか・・と想像されます・・・。
昭和21年には、学識者の一人として、貴族院の議員に勅選されます。遺族の話では、これも、吉田の戦時中の判決が評価されてのことだったそうです。
そして、新憲法が施行され、昭和22年に貴族院が廃止されると、再び大学に戻り、教授として学生に法律を教え続けました。
朝5時ちょうどに目を覚まし、自分で家の周りを竹ぼうきで掃除し、靴も自分で磨き・・と戦前からの生活習慣を続けていました。
大学に出かけるときはいつも背広に帽子、ステッキという身なりでした。自宅近くの商店街で店の主人たちから「先生、おはようございます」と挨拶されると、一人ひとりに帽子を取り、「おはようございます」と丁寧に頭を下げていたそうです。
戦後も、この「翼賛選挙無効判決」に関しては、自分から口にすることはありませんでした。人に問われて答える時も「あれはもう、東京大空襲で、焼けてしまったからねえ」としみじみ語っていたそうです。
昭和46年9月20日、87歳でお亡くなりになりになりました。 今は、青山墓地に眠っています。
ドラマでも紹介しましたが、吉田本人も焼失したと思い込んでいた、選挙無効の「判決原本」が、東京大空襲の直前に、心ある書記たちの手で大審院から運び出されていました・・。
吉田さんの想いが、今につながっている・・と実感する、事実の重さだと思います。