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ピアニスト亀井聖矢さん(20)国際コンクール優勝 その先の未来へ―

2022年12月22日

ピアニスト亀井聖矢(かめい・まさや)さん、20歳。11月にフランスで行われたロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝し、一躍注目を集めた。

愛知県一宮市出身。県立明和高校から"飛び入学"で桐朋学園大学に進学し、17歳で日本音楽コンクール第1位とピティナ・ピアノコンペティション特級グランプリを獲得。20歳になった今年、いよいよ国際コンクールに挑戦し、栄冠に輝いた。

帰国した亀井さんをNHK名古屋に招き、コンクールへの道のり、演奏家としての"原点"などを聞いた。

快挙を振り返って

ロン・ティボー・クレスパン国際コンクールは、若手音楽家の登竜門として知られ、1943年の創設以来、数々の名手を世に送り出してきた。

亀井聖矢さんがNHK名古屋を訪れたのは、受賞から約3週間後の12月5日。インタビューの冒頭、快挙を振り返って、こう語った。

「もう3週間もたつんだ、という気持ちです。光栄な賞をいただいて、もちろんすごくうれしいですけど、ひとつの通過点です。自分の中で向き合うことは変わりません。受賞したときは夢のようでしたけど、今は現実的にひとつひとつの本番を頑張っていくという感覚ですね」

国際コンクールでの"勝因"

亀井さんは今年、初めて海外のコンクールに挑戦。1回目は3月にスペインで行われたマリア・カナルス国際ピアノコンクールで、第3位に入賞。2回目は6月にアメリカで行われたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、セミファイナルに進出した。これらの経験が、3回目の結果につながったという。

「今年3つの国際コンクールを受けてきて、最初はやはり『結果をどうしても取らなくては』という気持ちがありました。

スペインでは、第3位という光栄な結果でしたが、自分としては思う様にいかず、力んでしまって、気持ちをうまく調整できないところがありました。

アメリカでは、そういった気負いは克服できましたが、海外のオーケストラとの合わせ方の難しさや、時差への対応など、新しい課題に直面しました。

今回は、今までのどのコンクールよりもさまざまな壁にぶち当たり、『どうしたらこれを打開できるんだろう...』というスランプが何度もありました。その度に、いろんな先生にアドバイスをいただきながら、精神的・技術的な持って行き方を、最後ぎりぎりで調整できたかなというふうに思っています。

スペインとアメリカでの経験がなかったら、気持ち的な面で飲まれていたんじゃないかなと思いますね」

ファイナルで弾いた"勝負曲"

亀井さんが今回ファイナル(本選)で演奏したのは、サン・サーンス作曲 ピアノ協奏曲 第5番。エキゾチックな魅力を持つ作品だが、チャイコフスキーやラフマニノフの人気曲と比べると知名度は低く、コンクールではあまり選曲されない。それをあえて選んだ理由を聞いた。

「これは僕が一番大好きな作品です。3年前のロン・ティボー・クレスパン国際コンクールの前回大会が開催されたときに、初めて知りました。実はこの時は予備予選を通過できなかったのですが、ファイナルの課題の中にサン・サーンスの5番があったんです。

初めて聞いたとき"一耳惚れ"してしまって、『自分で弾いてみたい!僕が味わった感動をたくさんの方に共有したい』という気持ちが強く芽生えました。

コンクールではあまり選ばれない曲なので、先生方には反対されたりもしましたが、この曲が好きだという気持ち、心振るわされた感覚を信じていました。それで2019年に、日本音楽コンクールとピティナ・ピアノコンペティションで選曲し、どちらも1位をいただくことができました。

そして3年越しで今回のファイナルで弾くことができて、本番は本当に幸せな気持ちでした。前回受けようとしていなかったら、サン・サーンスの5番を選ぶことはなかったと思います。本当に自分の人生を変えてくれたコンクールであり、作品だったと思います」

"好き"を尊重してくれた最初の先生

亀井聖矢さんの"原点"についても聞いた。4歳から中学生の頃まで指導を受けた最初の先生が、亀井さんの音楽家としての土台を築いてくれたという。

「正直、4歳の記憶はないですけれど... 小さいころは、外で遊んだりとかあんまりせず、鍵盤のおもちゃでずっと遊んでいたようで、それを見た親が「ピアノが好きなのかな」と、近所の先生に習わせてみたのが、ピアノを始めたきっかけだったみたいです。

その先生が本当に優しく僕の"好き"という気持ちを尊重しながら伸ばしてくれる先生でした。10歳のとき、リストの「ラ・カンパネラ」を弾きたいと言ったんです。普通だったら「もうちょっと大きくなってから勉強するべき曲だよ」と言われるかもしれないところを、その先生は「大きくなったらまた違う世界が見えてくると思うけど、今"好き"という気持ちを大事にしよう」と言って、どんどん好きな曲に挑戦させてくれました。僕がピアノを今でもずっと好きで続けられているのは、本当にその先生のおかげだなと思っています」

その先生にも話を聞くことができた。当時の亀井さんは、課題を与える前に自分の弾きたい曲を持ってきて、それを次々にクリアしていったという。演奏技術だけでなく、音楽理論なども教えてみると、それもどんどん吸収していく。とにかく利発で好奇心旺盛な子どもだったそうだ。

ちなみに、難曲「ラ・カンパネラ」を演奏した10歳のころの動画は、当時「謎の天才少年」と話題になり、今では再生回数が187万回を超えている。

亀井さんの「ラ・カンパネラ」は2023年1月4日「まるっと!」で放送予定 NHKプラスでも配信します。

愛知県立明和高校での2年間

地元の公立小学校・中学校に通った亀井さんは、愛知県立明和高校の音楽科に進学。高校2年生を終えた時点で"飛び入学"で桐朋学園大学に進むことになった。短い高校生活だったが、かけがえのない2年間だったと振り返る。

「明和高校の音楽科への進学は、自分で決断をした最初の道だったかなと思います。普通科に行く道ももちろんあったし、考えていました。周りの大人たちにも「ちゃんと勉強しておいた方がいいんじゃないか」と言われたんですけれど、やっぱり音楽の歴史を学んだり、分析したり、いろんな角度から音楽を学んで深めていきたいと強く思っていました。高校の時点で音楽科に進もうと決めたのが、自分でした最初の決断だったかもしれません。

高校でもすばらしい恩師に出会うことができました。音楽に対する向き合い方など、いろんなことを教えていただいて、そこで得られたものは本当に大きかったと思っています。それが"飛び入学"をさせていただく土台となりました。本当に濃い2年間だったと思っています」

インタビューを行った日、亀井さんは4年ぶりに母校を訪ねた。再会を心待ちにしていた教師たちは、華奢だった亀井さんが、身長も伸びて大人びた雰囲気になっていたことに驚いていた。

音楽科は1学年40人。ピアノだけでなくさまざまな楽器の生徒が集まる。亀井さんの一番の思い出は、2年生の文化祭でクラスの仲間と教室全体を使って「脱出ゲーム」を作ったこと。その教室に久しぶりに入ってみて、何度も「懐かしい...」とつぶやいていた。

この日、亀井さんを一目見ようと生徒たちが集まっていた。音楽室にいざなわれた亀井さん。「迎え入れられた僕が弾くの?」と笑いながら、後輩たちに「ラ・カンパネラ」の演奏をプレゼントした。至近距離で亀井さんの演奏に接した生徒たちは大感激で、「憧れのスーパースターのような存在です」と夢見心地の表情だった。

がむしゃらに頑張ってきた大学時代

"飛び入学"で桐朋学園大学に入学した亀井さん。実は、それ故の苦労もあったという。

「1学年上の人が同級生になるのは、やっぱりやりづらかったですね。周りはそんなに気にしてないんですけど、やっぱり1年って高校生にとっては大きい差なので、同級生とも敬語でしゃべっちゃったり。急に大人たちの世界に放り込まれたみたいな感じで、がむしゃらにピアノを頑張りながら、ちょっとずつ友達を作って... と、探り探りの大学1年生でしたね。

すでに活躍している方もたくさんいる学校で、それこそ日本音楽コンクールの優勝者が何人いるんだっていうような環境に一気に放り込まれて。その中で、身近なところから刺激をたくさん受けて、自分も頑張らなきゃって思いましたし、大学でもすばらしい先生に出会うことができました。今までは感覚で弾いていたのを、ちゃんと頭で考えて音楽にしていくという過程を、大学での勉強の中で学ぶことができました」

2023年への抱負

最後に2023年への抱負を聞いた。

「世界への階段が少しずつ見えて来たかなというふうに思うので、日本国内にとどまらずに海外に行きたいです。本場ヨーロッパの文化をもっと学んでみたいという気持ちもありますし、そういうところでの演奏活動もずっと夢だったので、世界へ向けた挑戦の1年にしていきたいです。

そして、ずっとどのステップでも思っているのですが、1年後、2年後、5年後、10年後...、今の僕には想像できないところにいてほしいなって思っています」

筆者

吉田英司 ディレクター(NHK名古屋放送局)

平成11年入局 兵庫県出身
クラシック音楽の番組を長年担当してきました。
名古屋に来て半年、まだあんかけスパは食べてません。
年に3回くらい断食します。