「なんだここは・・・本当に役所か」。おととし夏、名古屋に転勤し愛知県・名古屋市の取材を担当することになった私。市役所と県庁に足を踏み入れ、圧倒されました。
名古屋市役所と愛知県庁。完成から80年以上、現在も本庁舎として使われている重要文化財は全国でわずか数例です。
こんなに古い庁舎がどうして残り、使われているのか。 その秘密は庁舎の歩みにありました。
まずは名古屋市役所。正面玄関を入った人を出迎えるのが重厚な大理石の階段。柱や手すりには国会議事堂でも使用されている、山口県産の良質な石材が使われています。
4階にある貴賓室。シャンデリアや飾り暖炉など、建設当時の内装が今も残っていて、今も特別な来客をもてなす際に使われています。ふだんは立ち入ることができず、私も今回の取材で初めて入りました。
貴賓室に併設されている専用の化粧室は、美しい青のタイルで壁と床が一面覆われています。きらびやかな空間は、まるで高級ホテルに来たかのようです。
庁舎は、昭和8年に完成。二層の屋根を持つ中央の時計塔が特徴的です。
そのてっぺんには名古屋城と同じようにしゃちが載せられています。その優れたデザインと歴史的な価値の高さから、平成26年に国の重要文化財に指定されました。
すごいのは、豪華さと文化財としての価値だけではありません。完成から80年以上たつ今も本庁舎として使われている、全国でもまれな存在なんです。
「夏暑くて冬はかなり寒いが、それもまたここで働くだいご味というか」
現役の役所の本庁舎が国の重要文化財に指定されたのは全国で初めて。しかし、実は完成からすぐに、危機が訪れていました。
太平洋戦争です。市役所の完成からわずか8年後に始まり、名古屋も激しい空襲にさらされました。
度重なる空襲で名古屋城も焼け落ちてしまいました。どうしたら貴重な庁舎を守り抜けるのか。やれることは何でもやろう。大胆な策に打って出ます。
終戦から間もない時期の市役所です。GHQのスタッフによって撮影された貴重な写真。空襲から逃れるため、目立たないように庁舎の壁がコールタールで黒く塗られています。
市役所の屋上には、そのあとが一部、残っています。戦争を耐え抜いたその歴史を、今に伝えています。
市職員
「大変貴重で自慢の建物だったと思うので、複雑な気持ちもあったと思う」
一方の愛知県庁。市役所の完成から5年後の昭和13年。そのすぐ隣に完成しました。
目を引くのは城郭風の屋根。なんとも奇抜で近くにある名古屋城の天守閣を思わせます。西洋建築に和風を融合させる昭和初期の建築の潮流の代表例ともされ、市役所と同時に国の重要文化財に指定されました。
その県庁の地下1階に今も意外なものが残されています。
記者
「これ、何ですか?」
県職員
「これは、留置場のあと」
何と、昭和45年まで県庁にあった警察の留置施設のあとだといいます。
改装されて今は打ち合わせや資料を保管するための部屋になっています。
戦後、さまざまな改修が必要となった県庁。空調の整備や庁舎全体の耐震化など、行った改修工事はなんと大小合わせて30回以上。しかし、文化財としての価値を損なわないよう、建設当時の姿を大きく変えないように工事が行われてきました。
「外観はあまり変えずにそのままにして内装を絶えず改造していく感じ。できるだけ現状 を守る形で工事している」
こうして80年以上、当初の姿が守られてきた市役所と県庁。今も完成当時と姿はほとんど変わりません。
昭和史を題材にした映画やドラマを始め、今では庁舎は人気の撮影現場にもなり、数々の作品が生まれています。
名古屋市役所と愛知県庁の文化財調査や保全に携わった専門家は、改修工事の履歴を調べる中で、庁舎に注がれてきた特別な愛情を感じたと言います。
「名古屋市と愛知県になくてはならないものだという意識を暗黙の内に抱いていて、その前提で改修、メンテナンスを続けている。庁舎の管理に携わってきた人たちが、どれだけ愛着を持ってきたのかということがよくうかがえる。本来の価値をそのまま使い続けていく尊さは評価したい」
戦争を耐え抜いて、戦後の社会の変化も乗り越え、守り受け継がれてきた名古屋市役所と愛知県庁。もし機会があれば、少し立ち寄って歴史を感じてみてはいかがでしょうか。
三野啓介 記者(NHK名古屋)
2012年入局。徳島局、津局を経て、2020年から名古屋局に。愛知県庁・名古屋市役所の取材を2年間担当。
「重要文化財の建物で働いているというところで嬉しい思い」