被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

原爆ノート95「歌い継がれる『あの子』」「あの子」は、原爆で犠牲になった多くの子どもたちを悼んで作られた歌で、みずからも被爆しながら被爆者の救護活動に力を尽くした医師・永井隆博士が作詞し、長崎市議会の事務局長だった木野普見雄さんが作曲しました。この歌は、爆心地からおよそ600メートルにある山里小学校で、昭和24年11月、生き残った児童たちが体験をつづった本の売り上げなどをもとに作られた碑の除幕式で初めて披露されました。小学校の前身の旧山里国民学校ではおよそ1300人の児童が原爆で亡くなっていて、「あの子が生きていたならば」という歌詞には、友達を亡くした児童や、子どもを亡くした親などが、犠牲になった子どもたちを悼む思いが込められています。小学校では、この歌を「第2の校歌」として校内の平和行事などで大切に歌い継いでいて、8月9日の平和祈念式典でも2年に1度、児童の代表が参列して歌を披露しています。
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