被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

原爆ノート93「二重被爆者」昭和20年8月6日の広島と、3日後の8月9日の長崎、両方の街で原爆の被害にあった人は「二重被爆者」と呼ばれています。被爆者であることを示す被爆者健康手帳には、被爆した場所が記載されますが、通常、広島か長崎のどちらか1か所で被爆したことしか書かれないため、二重被爆者であることは確認しにくくなっています。こうしたこともあり、長崎市によりますと、平成27年現在、生存が確認されている二重被爆者はわずか18人となっています。このうち、2度にわたって直接被爆したことが被爆者健康手帳に記載された数少ない二重被爆者が、5年前、93歳で亡くなった山口彊さんです。長崎市の造船所に勤めていた山口さんは、出張先の広島市で被爆し、その後、列車に乗って戻ったふるさと・長崎でも被爆しました。山口さんは原爆症に苦しみながら、みずからの被爆体験を語る活動を行い、記録映画にも出演したほか、アメリカ・ニューヨークの国連本部でも核兵器廃絶を訴えました。山口さんの被爆体験や核廃絶を訴え続けた平和活動は、娘や孫が紙芝居などを使って語り継いでいます。被爆者の平均年齢が80歳を超え、被爆体験を直接聞くことができる機会が少なくなる中、2度も原爆の壮絶な被害にあいながら、いまだに多く語られていない二重被爆者の体験を記録し、伝えていくことが求められています。
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