被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート82被爆した捕虜」太平洋戦争中、国内各地には日本軍の捕虜になった連合国の兵士を収容する捕虜収容所があり、爆心地から1.7キロの長崎市幸町には「福岡俘虜収容所第14分所」がありました。ここには、造船所などで労働に従事させられていたオランダ人やオーストラリア人などの捕虜およそ200人が収容されていて、原爆で8人が死亡し、けがをした人は50人に上ったとされています。戦後、元捕虜の人たちはそれぞれの国に戻り、昭和32年以降は、海外に住む被爆者にも被爆者健康手帳が交付されるようになりました。しかし、平成20年までは手帳の申請や交付ができるのは国内の窓口に限られていたこともあり、長崎市によりますと、元捕虜の人で手帳が交付されたのは12人だということです。当時の捕虜の中には、長年にわたり被爆者健康手帳が交付されないなど被爆者援護の対象外とされ精神的な苦痛を受けたとして、慰謝料の支払いを求める人もいて、ことし5月にもオランダ人の元捕虜の男性が裁判を起こしています。国は、裁判を起こして裁判所が被爆した事実を認めた場合は、和解して1人につき100万円の慰謝料を支払っています。
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