被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート69「ノーモア・ヒバクシャ演説」長崎の被爆者・山口仙二さんは、14歳で被爆、全身に大やけどを負い、顔や首にケロイドが残りました。被爆から10年後、同じ境遇の若者と「長崎原爆青年会」を結成。その後、日本被団協の代表委員にもなり、被爆者の援護を求めるとともに核兵器の廃絶を訴え続けました。山口さんは被爆者として初めて、国連で原爆の被害の悲惨さと核兵器廃絶を強く訴えました。1982年6月、国連本部で開かれた「国連軍縮特別総会」での演説で、「わたくしの顔や手をよく見て下さい。よく見て下さい。核兵器による死と苦しみを、たとえ1人たりとも許してはならないのであります。核兵器による死と苦しみは、わたくしたちを最後にするよう国連が厳粛に誓約していただくよう心からお願いいたします」と訴えました。山口さんは、被爆者運動を象徴することになる演説をこう締めくくりました。
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」。山口さんはおととし7月、82歳で亡くなりました。世界にはいまも1万5000発を超える核弾頭が残り、「ノーモア・ヒバクシャ」と核廃絶を訴えた山口さんの願いはまだ実現していません。
前のページへ 1 次のページへ


▲ ページの先頭へ