被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート58「雅子斃れず」「雅子斃れず」は、14歳で被爆した石田雅子さんの手記をまとめて昭和24年に出版された本で、戦後まもない時期に書かれた貴重な被爆体験記として知られています。雅子さんは、父親の転勤のため、原爆が投下される4か月前に東京から長崎高等女学校に転校し、学徒動員されていた三菱兵器大橋工場で被爆しました。本には、頭に大けがを負った雅子さんが自宅まで1日かけて帰る道中で目の当たりにした炎に包まれる町の様子や、熱線に体を焼かれて苦しむ人々の姿が克明に描写されているほか、雅子さんを助けた人々との交流についても記されています。また、被爆の数日後から白血球数の急激な低下や高熱に襲われた雅子さんの闘病生活も記され、原爆が爆風や熱線だけでなく、放射線障害によって人々を苦しめたことも伝えています。当時、日本はアメリカの占領下にあり、原爆に関する本の出版は制限されていましたが、娘の体験記を世に送りだそうと力を尽くしたのが、雅子さんの父、壽さんです。壽さんは、戦前、外交官から総理大臣となり、戦争回避に努力したとされる広田弘毅に秘書官として仕え、原爆が投下された当時は長崎の裁判所の裁判官でした。壽さんは、「雅子斃れず」の出版に、広田が実現できなかった平和への思いを込めたのではないかとも考えられています。
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