被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート54「山里国民学校の防空ごう」山里国民学校は、長崎市橋口町にある現在の長崎市立山里小学校の前身で、爆心地から北におよそ600メートルの場所にありました。太平洋戦争末期、学校には空襲から子どもや地域の人を守るため18か所の防空ごうが掘られました。原爆が投下されたとき、山里国民学校は夏休み中で児童は登校していませんでしたが、校長や教職員など32人が出勤し、グラウンドの崖に防空ごうを掘る作業などが行われていました。この防空ごうに一瞬の差で飛び込んだ4人の職員は助かりましたが、ほとんどの教職員は強烈な爆風や熱線のため命を落としました。学校には当時、およそ1600人の児童が在籍していて、そのうちおよそ1300人が自宅やその周辺で亡くなったと見られています。学校の防空ごうには、原爆投下の1か月前、児童の成績が記された「学籍簿」などが収められていたため被害を免れ、犠牲になった子どもたちの貴重な資料として、学校に大切に保管されています。山里小学校では、今も3つの防空ごうが残されていて、在校生が平和について学ぶほか、修学旅行生などが多く見学に訪れ、原爆の悲惨さと平和を伝える場所となっています。
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