被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート53「救護所メモリアル」「救護所メモリアル」は、原爆でけがを負った人たちが治療を受けた救護所の様子を再現したもので、長崎市興善町の長崎市立図書館の1階に設けられています。もともとこの場所には、新興善国民学校がありました。昭和11年に建てられた鉄筋コンクリートの建物は、原爆の爆風で窓ガラスが粉々になるなどの被害を受けましたが、倒壊を免れたことから、救護所になりました。長崎市内最大の救護所となり、記録が残っている8月17日からの15日間でおよそ8000人が治療を受けたとされています。救護所は昭和26年12月まで長崎医科大学の病院として使われたあと、昭和27年からは小学校の校舎に戻りました。
平成15年には、長崎市が市立図書館を建設するために、校舎全体を取り壊すことを決めたことから保存運動が起きます。しかし、長崎市は老朽化が著しいなどとして校舎を取り壊しました。そして、新しく作られた図書館の中に、救護所を再現した「救護所メモリアル」が開設されました。この中では、かつて診療室として使われた旧国民学校の職員室と廊下の一部が再現されているほか、実際に使われた医療器具なども展示されています。黒板に設置された大型のスクリーンでは、救護風景や治療を受けた被爆者の体験談を収録した記録映像を見ることができるほか、廊下には、放射線の被害にさらされながら、治療にあたった医師や看護師の証言パネルなども展示され、原爆の被害の惨状と平和の大切さをいまに伝えています。
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