被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート48「旧長崎医科大学門柱」旧長崎医科大学は、爆心地の南東500メートルから700メートルほどの小高い丘の上にあった現在の長崎大学医学部と薬学部の前身の大学で、原爆が投下された当時は、およそ900人の学生が在籍していました。原爆によって、76棟あった校舎などの建物のうち、木造の65棟が倒壊して火災で全焼するなどし、学長をはじめとする教職員や学生あわせて897人が亡くなりました。この長崎医科大学での原爆の被害をとどめるのが、「旧長崎医科大学門柱」です。門柱は、当時の大学の正門にありました。石造りの門柱は、現在の長崎大学医学部の南東側の入り口近くに保存されています。門柱は1メートル20センチ四方、高さが2メートル10センチで、台座の上にまっすぐ建っていましたが原爆の爆風で9センチずれて傾き、台座との間に最大で16センチの隙間ができました。門柱は、戦後、原爆の被害を調べた文部省の学術研究会議の調査の際、原爆の爆風の圧力の推定に大きな役割を果たしました。おととしには、「旧城山国民学校校舎」などほかの3つの被爆遺構とともに、「長崎原爆遺跡」の1つとして国の文化財、「登録記念物」となっています。
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