被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート1「長崎に投下された原爆」1945年、昭和20年8月9日、日本の南東2400キロの太平洋にあるテニアン島の飛行場を未明に離陸したアメリカ軍の爆撃機B29「ボックス・カー」は、長崎市松山町の上空9600メートルで原子爆弾を投下しました。長崎に投下されたプルトニウム爆弾「ファットマン」は、広島に投下されたウラン爆弾「リトルボーイ」の1点3倍の破壊力があるもので、午前11時2分、上空503メートルで爆発しました。原爆によってもたらされた熱線と爆風、それに放射線は爆心地の浦上地区から広がり、周辺の人々は▼熱線で焼かれたり、▼爆風で倒壊した建物の下敷きになったりしたほか、▼放射線による障害で、昭和20年だけで7万人を超える人たちが亡くなりました。また、けがをした人を含めると被害にあった人は、長崎市の当時の人口およそ24万人の60%にあたる、およそ15万人にのぼるとされています。さらに、被爆直後には目立った外傷がなくても、当時受けた放射線によってその後、白血病やさまざまな臓器のがんなどの病気になった被爆者もいて、影響はいまも続いています。
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