【2014年3月26日(水)放送 ラジオ「防災特集」より】
2011年3月12日、震度6強の地震に見舞われた栄村。
今年、大震災から丸3年が経過しました。
今年に入って、栄村のある集落では全世帯から聞き取りを行い、震災直後の証言が集められました。
Q:どんな方が証言をまとめたのでしょうか?
A:
栄村に生まれ育った、樋口正幸(ひぐちまさゆき)さん、55歳です。
震災当時は村役場に務めていました。地震から3年たったのを契機に震災直後、集落の人がどのような行動をとったのかを聞き取りを行い、まとめました。
Q:樋口さんが聞き取りをした集落というのは?
A:
震災で大きな被害を受けた地区の一つ、栄村小滝(こたき)地区です。
震災当時、17世帯・39人の人が暮らしていました。
そのうちの半数近くが65歳以上の高齢者世帯です。
この地区では、震災直後、大規模な雪崩が起きました。
村の中心部に繋がる1本道が遮断され、一時孤立を余儀なくされてしまいました。
そのような状況の中、死者は0、被害を最小限に抑えることができました。
Q:証言を集める樋口さんに同行して取材をしたということですが、どんな証言が寄せられていましたか?
A:61歳の中澤謙吾(なかざわ・けんご)さんからは、重機で道を除雪し、住民の避難を手助けしたという証言がありました。
震災直後は余震の危険がありました。そのため集落の人たちは、家の外へと避難しようとしました。
ところが当時、道路は地震によって雪の壁が崩れてしまってとおることができなかったといいます。
Q:当時の積雪はどれくらいだったのですか?
A:3月上旬だったので、まだ雪は溶けていませんでした。
樋口さんは、人の背丈をゆうに超える2メートルちかくの雪が積もっていたと言っていました。
中澤さんはみなさんが集まる場所までの道を除雪し、住民の避難経路を作りました。
Q:そのほかにはどんな証言があったのですか?
A:なかには、同じ集落に住む人のおかげで、家族の命が救われたという人もいました。
栄村小滝地区の中澤義忠(なかざわ・よしただ)さん、62歳です。
当時、妻と80代後半の両親の4人で暮らしていました。
地震の直後、家族みんなで家の外へ避難しようとしました。
しかし、地震によって家が傾き、玄関の扉が開かなくなってしまったのです。
それでもなんとか人ひとりが横になって通れるぐらいの隙間を見つけて家の外に出ることができました。
ただ中澤さんの家族の力だけでは、寝たきりの母親を外に運び出せずにいたと言います。
そこにやってきたのが、5、60代の近所の男性たちでした。
2人がかりで寝たきりの中澤さんの母親を担ぎあげ、外に無事救出することができました。
Q:集められた証言から見えてきたことは?
A:証言から明らかになったのは、住民同士の強い繋がりでした。
この栄村小滝地区では、震災直後に全戸で隣近所での声賭をおこなっていたということがわかりました。
自分の家の安否が確認できたあと、まっさきに近所の人の心配をしていました。
Q:とっさにそうした行動がとれた理由は?
A:証言をまとめた樋口さんは雪深い栄村の風土がお互いを支え合う意識を培ったといいます。
豪雪地帯で雪に閉ざされる地域だからこそ、お互いに手を取り合って助け合いながら生きてきた普段の繋がりが、震災の時に発揮されたといえると思います。
自分の家の安否が確認できたあと、まっさきに近所の人の心配をしていました。
Q:この証言はどうされますか?
A:証言集としてまとめました。
編集作業は今月中に終了しました。来月集落全体に配布される予定です。
Q:今後どのようなことが期待できますか?
A:証言をまとめた樋口さんは、震災以降栄村や小滝地区を支援してくれた人たちにこの証言集で恩返しをしていきたいとおっしゃっていました。
栄村小滝地区の人が体験したことを日本中、世界中の人に伝え、次なる地震の備えにしてもらい、何か役に立って欲しいと思っています。
今後多くの人に見てもらえるようにインターネット上に証言集の内容をアップし、閲覧できるようにしていく予定です。