

ダンナが手裏剣バカでして…・山下知緒さん

この不景気、みなさん生活していくのは大
変ですよ。例えばこっちの奥さん、デパ地
下でふりかけを一生懸命売ってはります。
どないです、ふりかけ。その気になったら
お米とこれだけの食費で済みますよ。
仕事が済んで片付けして、家に帰るのは毎
日9時ごろ。きょうび、夫婦共働きやとこ
の時間でも家に誰もいなかったりしますわ
な。
けどこの人の場合、ダンナさん、たいていは家にきっちりいてはります。
いてはるどころか、ず〜っとこんなことしてるんです。
「あれはシャドー手裏剣なんですよ」(妻・陽子さん)
手裏剣? 窓に自分の姿を映して、手裏剣を投げるフォームをチェックする。
今日の夕食はダンナさんの担当。下ごしらえして、奥さんを待ってたんですね。
ん、なんかすごい作り方ですよ。ゆ、指で混ぜてる!
これがホンマの“手”料理。冗談でしょ!?
山下知緒40歳、かなり変わっています。好きなことは手裏剣。将来の夢は手裏剣
を極めること。それ以外のことはマジで、ほとんど考えてません。

おうちではシャドー手裏剣でしたが、週に
一度は本物を投げます。けど、あんなもん
どこでもOKというわけにはいきません。
ダンナさん、空手クラブの一角に練習場を
間借りしました。
畳が手裏剣の的。5年でボロボロになって
しまいました。
さてみなさん、手裏剣というと星型や十字型のものを思い浮かべますが、ダンナさ
んが投げるのはもっぱらこの棒手裏剣。昔から実際に使われていたのはこっちの方
やったみたいですね。持ち方はこんな感じ、刃先を上にして構えます。

一本の手裏剣を投げることを、手裏剣を
“打つ”といいます。頭の上からパーッ!
この時、手裏剣を回転させないのがコツ。
これを直打法と言うんだそうです。
流派は験流(けんりゅう)手裏剣術です。
ダンナさんが自分で考えました。初めは
お弟子さんもとっていたらしいけど、この
数年は自分だけ。何でかと言いますとね。
「要は的がふさがっちゃうからですね。他の方がいらっしゃるとやはり優先して
やっていただくことになるんで、私のやる時間がなくなってしまうという」
弟子がいると集中できない。
ついでに手裏剣の邪魔というんで、勤めていた会社も辞めてしもたんです。
5年前のことでした。

奥さんと結婚したのは9年前。そのころは
会社員だったし、手裏剣もやっていません
でした。若い二人の運命を変えたのは、
結婚1年後にダンナさんが出会ったこの本
でした。白上一空軒(しらがみいっくう
けん)著『手裏剣の世界』。
普通の人はなかなかこういう本には行き着
きません。たとえ行き着いても読みませ
ん。
さらに言うとですね、たとえこれを読んでも会社を辞めてこの道を究めようとは
思いません。普通そうですよね、みなさん?
「やはり手裏剣は武道であるというところですね。手裏剣は剣なんだっていう。
そう言われてみれば手裏剣って“剣”って書くなあっていう。
目からウロコでした」
剣道や居合いの経験があり、元々その気があったダンナさん。手裏剣に魂を奪われ
てしもた。最近は手裏剣を自作しています。ガスコンロで鉄を真っ赤になるまで熱
し、金づちでたたいています。どないしたもんかな、これ…。

夫婦仲は悪くないんです。むしろラブ
ラブ。今日は久しぶりのデートです。
「何やってんの?」(陽子さん)
「手裏剣の射程距離を測ってるの。その
灯籠までが3間(けん)だよ。これでだい
たい1間だろ、ほらぴったりだよ。こうい
うのは測ればだいたい畳何枚分だってわか
るけど、ぱっと見てわかる。いつも打って
いる水平方向だと比較的わかるけどね。
たとえば高低差。この下は何間あるかっていう遠近になると、またこれが測りづら
くなるとかさ。そういうこと考えて歩くだけでも修行なんだな」
「修行…。今日はデートだよ、修行じゃないよ」(陽子さん)
ランチはコリアンレストラン。
ご飯食べる時くらいは、脱・手裏剣できると思いましたが…
「これ刺さるな。ピタっと納まる。こういう構えで体の中心からピッっと落ちる
ような…鉄製だから破壊力あるな。これ、なかなかいいよ」
「それ手裏剣じゃないから、お箸だからね」(陽子さん)
ダンナさんが言うには、手裏剣は手に納まるものなら何でも剣にするという武術。
そやから、手に納まるものは何でも試してみたくなるんです。

日々修行するうちダンナさんは夢を見まし
た。夢に出てきたのはカメ。親ガメの上に
子ガメが乗ってる。
「夢で見たんですけどね、例えば親ガメが
一歩前に出るじゃないですか。そうすると
その上に乗っている子ガメたちも自動的に
動いていますよね。その子ガメがまた動い
たとすると、その上に乗っているカメも自
動的に動くわけですよね。
こうやってどんどん動いていったら動きが集積していくわけですよ。例えばこのカ
メを人体に見立てれば、足腰が沈んだり前へ出る。と、その上にのった胴体が自然
に動く、そして胴体が動けば最終的に手裏剣を打ちだす小手が、ほとんど動かして
なくても同時に自動に動いている。大事なのは一番上にある手裏剣を打ちだす手、
これが親ガメ子ガメの下のカメから落ちないで、うまくバランスをとって動きが連
なっていく。そのバランスさえとっていれば、もう瞬時に手裏剣はパーって飛び出
すというこのイメージが…! わかんないですかね?」

カメから極意を授かったダンナさんは新た
なテーマに挑戦します。
「これは本当に普通のつまようじなんです
けど。的を発泡スチロールにして、どっか
飛んでいっちゃうとわかんなくなっちゃう
んで、座打ちで練習してるんですけど。一
つの究極として、小さい短い軽い。それで
どこまで手裏剣として刺すことができるか、
という練習を最近ちょっと始めまして」
つまようじを手裏剣にできれば人が褒めてくれるかというと、絶対褒めてくれませ
ん。しかもダンナさん、こんなん無理ですよ。
刺さるわけないから、ほら。

奥さんが帰ってきて、あの手料理があって
11時ごろ何をしているかというと…。
ダンナさん、手裏剣入門書を執筆していま
す。このすごい武術を広く世の中に知らし
めたい。で、考えたタイトルが『難しすぎ
る手裏剣術』。入門書なのに?
ダンナさん、スーツを着ると結構見栄えし
ます。
この日は手裏剣本の売り込みに出版社にやってきました。
編集者さん、時代は手裏剣ですよ、手裏剣!
「なんかタイトルもそうなんですけど、『難しすぎる手裏剣術』ってなっちゃう
と、ユーザーを突っぱねているところがちょっとあるような気がするんですよね。
正直、今のままでは本の企画としては間口が狭すぎますね」(編集者さん)

これまで50社以上の出版社に断われてきま
した。世の中にはこんなにいっぱい本が
あるのに残念なことです。例えば手裏剣マ
ニアのダンナさんとの生活をコミカルに描
いたエッセイ…。え、これ奥さんが書いた
本やん! しかも平積み!?
済んだことは気にせず今日もつまようじを
打ち込むダンナさん。
なにしろ、座右の銘は宮本武蔵の『千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす』。
みなさん、1万日って言ったら約30年ですよ。
奥さんはふりかけを売ったり、本を書いたりしてがんばってはります。
は〜、今日もよう働いた。奥さんホンマは思ったことあるでしょう、手裏剣やめて
くれへんかなって。けどしゃーない、ほれたほうが負け。
「おっ、来た!!」
おーっ! 刺さった!

