あの日放送は何を伝えたか 第17回

2024年4月4日

【1944年3月15日】「勝ち抜くために旅行はやめよう」
 今回は鉄道にまつわる戦時中の放送の話題です。昨年新型コロナウィルス感染症が5類に移行したことで、国内外とも旅行客が順調に回復しているようです。今年は1月の能登半島地震の影響が観光需要の低下につながると懸念されましたが、北陸新幹線の敦賀延伸開業効果などで新幹線効果による復興に期待が寄せられています。これから春の行楽シーズンともなれば各地の観光地は一層にぎわう事だと思いますが、今から80年前の日本も国内を移動する人で鉄道は需要に追い付かない大混雑が続いていました。ただしこの時代の移動の目的は主に生活物資の調達のためでした。戦争が長引く中、食料も配給制となったため少しでも食料を調達しようと都会と地方を行き来する人たちが鉄道に殺到したのです。戦争の真っただ中で、1943年当時の鉄道輸送量は過去最高を記録しています。

混雑する鉄道利用に際して利用者にマナーを求める「写真週報 1943年9月29日号」の啓発記事
<アジア歴史資料センターJACAR(原本所蔵 国立公文書館)Ref:A06031088600>

 そこで1943年10月1日、当時の鉄道省は大規模なダイヤ改正を実施します。その内容は通勤輸送以外の都市間を結ぶ通常の旅客列車を大幅に削減し、そこに貨物列車を増発させて生活物資のほか軍事輸送を確保しようというものでした。これを国は「決戦ダイヤ」と呼び、国民に一層の国内の移動自粛を求めました。この当時、国策を国民に広く浸透させる目的で情報局が発行していた「写真週報」にはこうした戦時中の移動自粛の必要性を訴える記事がたびたび掲載されていました。

旅行自粛の必要性を訴える記事「写真週報 1943年9月29日号」
<アジア歴史資料センターJACAR(原本所蔵 国立公文書館)Ref:A06031088600>

 さてこのダイヤ改正に先立って、1943年9月30日19時30分から鉄道省の幹部による放送が行われます。それが「輸送は兵器なり」という放送です。担当したのは鉄道省のナンバー2にあたる鉄道次官・長崎惣之助でした。長崎惣之助は戦後、日本国有鉄道の第3代総裁になる人物です。

 この放送の内容は当時の日本放送協会が発行していた月刊誌「国策放送」(昭和19年11月号)に掲載されています。この中で長崎次官は鉄道による旅客輸送を減らし貨物列車を増強することがいかに戦争勝利に向けて重要かについて繰り返し述べています。 これが放送を通じて旅行の自粛を呼びかけた最初の放送でした。そして年が明けた1944年3月15日の夜に再び旅行自粛を呼びかける放送が行われます。タイトルは「勝ち抜くために旅行はやめよう」です。講話は前回と同じく長崎惣之助氏ですが、肩書は運輸通信相鉄道総局長官となっています。

 これは戦局が悪化する中、1944年2月に決定された「決戦非常措置要綱」に準じて、100キロをこえる遠距離旅行については警察署の証明等により制限されること、観光や物資の買出など不急不要の旅行は禁止することなどが閣議決定されたことを受けての放送でした。国民への移動制限が一層強化された中での放送は、戦地も銃後も深刻な物資不足に見舞われていた状況が反映されているともいえます。この「決戦非常措置要綱」ではこのほか学徒動員、女子挺身隊の増員などの一層の強化をはじめ、道路工事や災害復旧といった公共工事の停止など、国内の経済活動の制限が強化されました。結果として戦後の復興にも大きな足かせとなったといわれています。こうして放送の内容は次第に国民への負担を呼び掛けるものが目立ってきます。

(館長 川村 誠) 

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