あの日放送は何を伝えたか 第10回

2023年1月19日

【1943 年 1月7日】“声の慰問袋”、「前線へ送る夕(ゆうべ)」放送開始①

80年前の「あの日」、当時の放送(ラジオ)はどんな放送を流していたのかをたどっていますが、今回は太平洋戦争が始まって2度目の新年を迎えた 1943年1月7日の放送に注目します。戦争は長期化の様相を深め、いよいよ泥沼化しつつありましたが、多くの国民はまだそのような空気を感じていない新年を迎えたこの日の夜8時、東京放送局から戦地の兵士に向けた特別番組が放送されました。それが「前線へ送る夕(ゆうべ)」です。

「前線へ送る夕」はその名の通り、日本から音楽や演芸などを通じて戦地の兵士を国際放送の電波を通じて放送で慰問すると同時に、兵士の家族が戦地に向けてメッセージを送るという、戦争の前線と本土をつなぐ番組として放送されたものです。まさに戦地と「銃後」をつなぐ番組として、国を挙げて国民が戦争への協力を当然の責務として認識させることを目的としていた番組といってもいいでしょう。

では当日の確定番組表を見てみます。

番組の内容を見ていくと、この日の放送は日比谷公会堂からの中継となっており、まず現在の「NHK交響楽団」の前身である当時の「日本交響楽団」による管弦楽曲「艦隊勤務」の演奏から放送がはじまりました。そして会場からの管弦楽の演奏に続いて、いったん当時の東京放送会館(内幸町)のスタジオから「前線将兵の皆様へ」という項目が続いて放送されています。この日の内容については台本などが残っていないので、詳細をたどることができませんが、この番組の紹介が当時の日本放送協会発刊の雑誌「放送」1943 年2月号の「放送番組のお知らせ」の中にありました。

この紹介記事には「声の慰問袋として演芸音楽の特別番組を月に2回(7日と24日の夜)お送りして前線の兵隊さんに日本内地の皆様とご一緒に聴いていただきます」とあります。また番組に際しては中国・南方戦線の兵士たちからのリクエストに基づいて番組を制作していくという説明もあります。

「放送」1943年2月号より

なおこの頃になると「放送」の内容も、戦争の「正義」を力説する軍幹部の記事や戦時下における国民の心構えなど、もはや「放送番組」をテーマにした紙面とは思えない、かなり異質なものになっています。表紙のタイトル上にも「今日も決戦、明日も決戦」とあります。
何だか現在の世界情勢に思いを至らせらずにはいられませんが、今から80年前の日本がまさにそういう時代でした。
さてこの日から始まった「前線に送る夕」は、この記事によると毎月7日(1943年8月からは9日に変更)と 24日の月2回放送することになり、うち1回は日比谷公会堂などの会場に出征兵士の家族を招き、公開番組として行われました。

では次回は現存する資料を基に番組の詳細をたどっていきます。

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