あの日放送は何を伝えたか 第9回

2022年12月8日

【1942年12月7日】「開戦から1年~有線放送が始まった日①」
今から80年前、放送は何を伝えたのかをたどってきましたが、今回は太平洋戦争開戦からちょうど1年たった1942年の12月8日の番組表から見ていきます。

番組表を見ていくと、このシリーズの中でたびたび登場した毎月8日の「大詔奉戴日」の記載が大阪放送局版には載っていますが、なぜか東京放送局版にはありません。番組の編成は、朝7時から賀屋大蔵大臣による「感激の朝、一億国民の責務を思ふ」という演説にはじまり、午前10時30分から奈良の樫原神宮で執り行われた「大東亜戦争一週年記念 戦捷(せんしょう)祈願祭」の実況中継、午後は靖国神社での「大東亜戦争一週年記念国民大会中央大会」の実況中継などの特別番組が並んでいます。

ただ一日の番組を見ると、開戦直後のような国威発揚をあおるような内容をうかがわせるものは少なくなっているように見えます。その一方で軍の幹部による「長期戦の新しい様相」という番組が午後8時から放送されています。戦争が当初の思惑から大きく外れて戦況も悪化する中で、放送の中身も国民に我慢を強いるような内容が増えてきます。

実はこの前日、1942年12月7日から戦時下に対応した新しい放送システムが始まりました。それは通常の電波による放送ではなく、市中電話回線を利用した有線放送です。当時の日本放送協会発行の「放送研究」1943年1月号には小さく「有線放送いよいよ開始」という記事が掲載されていました。

以前は地方自治体や地域の情報提供手段のほかBGM放送として一般的だった有線放送ですが、実はこれが日本で初めて実用化された有線放送でした。
次回は日本初の有線放送がなぜこのタイミングで生まれたのか、その経緯を当時の貴重な史料や受信機などを通じてご紹介します。

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