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館長だより

2022年10月26日

放送と鉄道の深ーい関係 第3回

日本の鉄道開業150年にちなんで「放送と鉄道」の歴史を戦前の番組表をたどりながらご紹介していますが、3回目はこれまでと同じく1934年に開通した鉄道と放送のお話です。
現在の東海道線の丹那トンネルは1934年12月に開通しました。それまで東海道線は国府津から沼津まで御殿場を経由する現在の御殿場線ルートをたどっていました。この険しい山岳ルートを回避するために建設されたのが熱海・函南間の丹那トンネル(7804m)でした。完成当時は日本で2番目に長いトンネルで、複線断面を持つトンネルとしては日本最長でした。ただルート上には大量の水分を含む地層と活断層があり、工事は困難を極め、完成までには当初の計画より9年も長い16年を要しました。そして日本の放送は開通日当日、この大プロジェクトの完成をラジオ中継で全国に伝えました。

開通当時の丹那トンネル熱海口(撮影日不明)


◎前代未聞!長大トンネルを走る列車からの生中継!! 1934年12月1日

丹那トンネルの開通の約一か月前、当時の名古屋中央放送局は日本で初めて列車内からのラジオ中継を高山線で成功させましたが、今度は東京中央放送局が驚きの中継に挑戦します。それが全長約7800mもあるトンネル内を走る列車の中からの中継放送です。この初の試みについても雑誌「ラヂオの日本 1935年2月号」に記事が掲載されていました。ちなみにこの号では、その時放送で使用された中継車を載せた列車の写真が表紙を飾っています。

このように、なんと!当時完成したばかりの「放送自動車」をそのまま貨車に乗せて放送したのであります!「放送自動車」とは現在の中継車のことで、車内にはアナウンサーが座る実況席のほか送信機と送信アンテナが搭載されていました。高山線の中継では各種機材を客車に積み込みましたが、今回のトンネル中継ではこの車両をそのまま列車に組み込んで使用することにしました。

JOAKが開発した放送自動車      2段になっている正面上の窓がアナウンサー席

ただしトンネル内を走る列車から電波を飛ばすというのは、この時代かなり難しいことでした。ただでさえ電波をトンネルの外に発信することが難しいうえに、トンネル内は電化のため直流1500Vの電力線が通っているほか、トンネル内を走る他の列車の影響など、克服しなければいけない課題が山のようにありました。このため放送に向けて今回も4回にわたり試運転列車を使用して送信試験が行われました。

この記事によると、「放送自動車をチキ1000型無蓋貨車に積載し、電気機関車にてけん引する試験列車に連結して試験を行った」とあります。試験列車は毎回1日でトンネルを3往復したという記録が残っています。

貨車に乗せられた放送自動車     貨車の四隅に建てたポールにアンテナ線が張られている

送信試験には超短波1波、短波2波、中波1波の異なる4つの周波数が使われ、それぞれ受信状態を検証しました。受信基地はトンネルの熱海口から50mの場所にある工事事務所と、函南口から150m離れた変電所内に設けられました。試験の結果、中波を使用した場合が最も感度がよいことがわかり、本番では中波の1490キロサイクル(現kHz)出力約100ワットで中継が行われることになりました。 

放送車を載せた貨車を連結した試運転列車が熱海口から丹那トンネルに入る

こうして1934年12月1日10時32分、熱海駅を発車した40両編成(長い!)の貨物列車の最後部に連結された貨車の上から、史上初のトンネル内を走る列車のラジオ中継が実施されました。この日の放送はこの列車中継を中心に、三島町(当時)での開通祝賀講演の模様などが現場からの中継で行われたことが番組表からわかります。

1934年12月1日の番組表     列車からの中継に続いて開通特番が放送された

中継は丹那トンネルに入るところから始まり、その後トンネルを抜けさらに3つの短いトンネルを抜け三島駅に到着するまでの15分間にわたって放送されました。記録によるとトンネル内にはこの列車のほか3つの列車が同時にトンネル内にいたことで電波状態に支障をきたすのではないかということが危惧されたものの、ほとんど問題なく良好に実施できたとあります。

「ラヂオの日本 1934年2月号」の記事には、「松内アナウンサーによって隧道内の実況、丹那工事史についての説明があり、次いで函南駅を過ぎて前方に仰ぎ見る霊峰富士の状況など(中略)隧道内よりのわが国最初の中継放送はすこぶる良好なる成績をもって放送する事を得た」と記されています。
日本の鉄道の発達とともに日本の放送技術も次々と新しい試みを繰り返し、今につながっていることがわかります。

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