あの日放送は何を伝えたか 第8回

2022年08月31日

【1942年8月15日】終戦3年前の放送
80年前の「あの日の放送」、今回は終戦からさかのぼること3年前の1942年の8月15日の番組を見ていきます。開戦から9か月、日本の戦況は開戦当初の勢いは徐々に失われていましたが、まだ多くの一般庶民は戦争はじきに日本の勝利で終わるものと信じていました。さてそんな夏の一日の確定番組表を見てみます。

この年の8月はガダルカナル島の戦いで一木大佐率いる陸軍部隊が全滅するなど、戦況は日々悪化していました。ただ当時の番組表を見ると、午前中は夏休みの子ども向けの番組や、夕方以降は音楽・ラジオ劇など娯楽番組が中心の編成になっていて、まだ国内は戦時中とはいえ多くの国民には戦争の実感がそれほど大きくなかったのかもしれません。さてその中から午後9時のニュースに続いて放送された「放送劇」という番組に注目してみましょう。

タイトルは「怪談宋公館」、原作者は火野葦平となっています。旧盆の中日とはいえ、戦争のさなかに怪談をラジオ劇で放送していたというのはちょっと驚きです。作者の火野葦平は、「麦と兵隊」をはじめ自らの従軍経験をもとにした「兵隊三部作」などの作者として知られる、戦前から戦後にかけての文壇で活躍した芥川賞作家です。この作品は彼の作品の中では珍しい「怪奇小説」です。
ストーリーは中国・広東に進駐した日本軍将校たちが特殊任務のため中国の有力実業家の邸宅を接収しその屋敷に駐留していた際に経験した怪奇現象を、駐留していた軍曹の回想の形でノンフィクション的に描いた怪談です。このラジオ劇の台本が当館で保存されています。

「怪談宗公館」の台本
「朗読」は戦中戦後に活躍した和田信賢アナウンサーだった

物語は冒頭から「これから私がご披露におよぼうという怪談は、決して作りばなしではなく、でたらめでもない。(中略)またこの中に出てくる人も名も実在なのである。」とあり、いきなり「本当にあった怖い話」という演出で始まります。当時の人たちはこの夜9時からの番組に「ゾッとした」のではないでしょうか。
題材となっている「宋公館」は広東にあった実在の実業家・宋子良の邸宅のことです。実際に当時この場所で「都市伝説」のような怪奇現象のうわさが本当にあったのかどうかはともかく、物語はここでの出来事が実話のように怪談として描かれています。
なお宋家は中国の国民政府の中で大きな権威を誇った一族で、特に「宗家三姉妹」は中国の近代史の中で大きな役割を果たしました。三姉妹のドキュメンタリーは先日のNHKスペシャル「映像の世紀・バタフライエフェクト」でも取り上げられました。

台本の冒頭部分

さてこの物語の詳細はここでは省略しますが、それにしてもこの戦争のさなかになぜ「怪談話」という娯楽番組が放送されたのか?それにはいくつかの理由があるようです。
ひとつのポイントは「日本軍は幽霊にもひるまず威厳をもって任務にあたっている」というストーリーにありそうです。ある意味で軍人崇拝を意識している点です。ここにも戦意高揚につなげようという意図が感じられます。もうひとつは幽霊の中には宋家という当時の権力者によって虐げられた中国の一般庶民がいるという逸話が出てくる点です。日本が中国を統治することの正当性をこうしたストーリーの中にも盛り込んでいるともとれる内容に、この当時、ラジオ劇の怪談話も決して戦争とは無関係なものではなかったことが読み取れます。

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