トリローって何だ!?

2022年08月17日

突然ですが、この人物をご存じでしょうか?

このひとこそ戦後の日本で、戦争に疲弊した当時の社会の重い空気を軽妙な音楽と笑いで吹き飛ばしたエンターテインメントの偉大なる奇才・三木鶏郎です。彼が活躍した当時を知る人たちは親しみと敬意を込めてその名を「トリロー」と呼びます。
今回放送博物館では三木鶏郎企画研究所から当館に寄贈いただいたNHKの放送台本や楽譜などを中心に、NHKに残るアーカイブ資料と合わせて「トリロー」の世界にご案内します。

三木鶏郎の活躍の場は昭和20年代のラジオ番組から音楽、舞台、さらにはコマーシャルソングに至るまで、まさに戦後・昭和のエンターテインメントすべてに広がり、当時の日本人はその作品に夢中になりました。
とはいえ現代人にとっては「過去のはなしでしょ」「昭和のエンタメって、いまさら?」「そもそも誰か知らないし」と思ったあなた。いえいえ、そんなことはありません。たとえばこんな歌、聴いたことありませんか?

いかがでしょうか。テレビ・ラジオで一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。(コマーシャルなのでここでは深くご紹介しませんが。)

トリローが手掛けたCMソングは生涯で400曲近くにのぼります。そのうち一部は今も使われています。トリローの仕事は今も生きています。 もちろんその偉業はCMの世界の中だけではありません。そもそも三木鶏郎の名を一躍日本中に知らしめたのが、昭和20年代に始まったラジオ番組でした。それがこの音楽バラエティ番組、「日曜娯楽版」です。

「日曜娯楽版」を通じて描かれていたのは戦後の庶民の生活と、痛烈な社会風刺でした。特に番組中のコントのバラエティコーナー「冗談音楽」は当時の国民から絶大な人気を集めていきました。この時代の番組からは「僕は特急の機関士で」などのヒット曲も数多く生まれ、時を超えていまも歌い継がれている歌もあります。「日曜娯楽版」はその後「ユーモア劇場」に引き継がれ、一世を風靡します。

ラジオ出演のきっかけとなった「南の風が消えちゃった」の楽譜原本

稀代のエンターテインメントの巨人のそもそもの歴史は1946年のラジオ番組「歌の新聞」に始まります。当時のNHKにトリローは自作自演の歌「南の風が消えちゃった」を持ち込んだところ、その作品が評価され番組への出演が決まります。この歌はバラック小屋が並ぶ戦後の焼け跡の風景をうたっていますが、その曲調は決して暗いものではなくどこか明るく、厳しい時代を生き抜く人の力強さを感じさせるものでした。トリローの作品は常に大衆に寄り添い、権力にあらがう姿勢を笑いの内に秘めていました。

「ユーモア劇場」の最終回を伝える「週刊NHKラジオ新聞」(1954年6月20日号)

絶大な人気を誇ったトリローでしたが、その社会風刺の姿勢は当時の政治家の逆鱗に触れ、時の政権の圧力で「日曜娯楽版」の後継番組として放送されていた「ユーモア劇場」も打ち切られることになります。表現の自由を追求してきたトリローですがついに番組の継続を断念しました。
それでもトリローのエネルギーは絶えることなく、いよいよ多くのラジオ番組や音楽をはじめ舞台劇などを世に送り出していきます。そして冒頭でご紹介した数多くのCMソングによってトリローの名は不動のものとなります。

日曜娯楽版をはじめとした当時の貴重な放送台本

物議をかもした「ユーモア劇場 第190回『水素爆弾と成層圏気流について』」の台本

どうでしょうか?気になりませんか?ぜひこの機会に放送博物館へ稀代のエンターテイナー「三木トリロー」に会いに来てください。

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