あの日放送は何を伝えたか 第7回

2022年07月19日

【1942年7月8日「大詔奉戴日」の特別編成】
80年前の確定番組表を見ていると毎月8日は「大詔奉戴日」(たいしょうほうたいび)という記載があり、この日は通常の番組を休止して特別番組を放送したという記録が残っています。
「大詔奉戴日」は太平洋戦争が始まった1941年12月8日が「開戦記念日」であることから、毎月8日にあわせて国を挙げて戦意高揚を図る目的ではじまった国民運動です。「大詔」とは12月8日の開戦に際し天皇から発せられた「宣戦の詔書」を意味しています。それまでは「興亜奉公日」とされていたものを開戦後に戦時色を強めて置き換えたものです。
では1942年7月8日の「大詔奉戴日」の番組表から、この日にどんな番組を放送していたのかを探っていきます。

毎月8日の番組表は冒頭に「◎大詔奉戴日」と記載があります。ではこの日の番組編成はどうなっているでしょうか。まず午前6時から「大詔奉戴日体操大会」の中継放送が組まれています。この体操大会は今の「巡回ラジオ体操」のようなもので、毎月大詔奉戴日に全国各地で開催されていて、放送は毎回このうち一つの会場から中継されています。この日は東京の小石川大塚公園(今の文京区立大塚公園)からの中継でした。
1942年8月8日に大阪で開催された大詔奉戴日のラジオ体操大会の様子がNHKアーカイブスの保存映像から見ることができます。

ニュース映像 第114号|ニュース映像|NHK 戦争証言アーカイブス

最初の「大詔奉戴日」となった1942年1月8日にはじまる毎月8日の番組表を見ると、いつも6時台にラジオ体操の中継が組まれていて、その後の番組もおおむね同じような構成になっています。なぜこの日に体操大会を開いているのかというと「戦時中の国民は決戦に備え、体操で健康増進をはかるべし」という目的からだったようです。

台本の冒頭部分

中継はラジオ体操の後、「愛国行進曲」や「海ゆかば」などいわゆる軍歌や戦時歌謡の合唱が放送されています。大詔奉戴日の朝はこの放送から始まりました。次回は午後以降の番組についてみていきます。

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