あの日放送は何を伝えたか 第4回

2022年04月12日

【1942年4月18日「ドーリットル空襲」~戦時下の情報操作が始まる①~】
今回は今から80年前の4月18日の放送に注目します。
1942年4月18日(土)、日本人の多くが前年の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争の戦勝ムードに沸き返っていたそのさなか、日本は初めて米軍の爆撃機16機による空襲を受けました。日本が初めて経験したこの本土空襲は、米軍の指揮官の名をとって「ドーリットル空襲」と呼ばれています。この空襲では東京をはじめ名古屋、神戸など複数の都市が目標となり、軍事施設だけでなく市街地も無差別爆撃の被害を受けました。東京では学校も空襲を受け、全国で当時の小中学生など一般市民を含む87人が亡くなっています。 ドーリットル空襲を実際に体験した方の証言はNHKアーカイブスの「戦争証言アーカイブス」から聞くことができます。
音声はこちらから→ 【堀川 喜四雄さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス】

ではまずその日、1942年4月18日の東京放送局の番組表を見てみます。

正午のニュースの後、「四月十八日 后〇.二九より同五.五〇まで空襲警報発令中に付放送中止」との記述があり、予定されていた番組に×印がつけられています。このあとの番組にも取り消し線が手書きで残っており、放送が再開されたのは午後5時以降だったことがわかります。
ただこの日は空襲警報で放送中止となった以外は、その後の番組は予定通り放送されており、番組表を見る限り特に空襲を伝えるような臨時ニュースの記録は見当たりません。

4月18日 東京放送局の番組表(夕刻以降)

東京放送局の放送は午後10時の「今日の戦況とニュース」と同時刻に「ニュースにつづきタイ音楽とニュース」という記録があるだけで番組表が終わっていて詳細は不明です。

しかし同じく空襲を受けた神戸などの放送をカバーしていた大阪放送局の番組表には午後10時の「今日の戦況とニュース」のあと、中部軍管区司令部発表の「本日の中部軍管区内の空襲状況について」と大阪府警察部長による「今次の空襲について府民各位に望む」という特設番組が放送されたことが記録されていました。

大阪放送局 4月18日番組表

中部軍管区とは今の中部地方西部から近畿地方、中国地方東部を管轄していた旧陸軍の管轄地域のことで、この地域の防空をはじめ徴兵などの軍政を担っていました。

旧大阪市立博物館(1986年撮影)

なお司令部の建物は戦後、大阪府警本部などとして利用されたのち、長らく大阪市立博物館として2001年まで使われ、現在も複合施設「ミライザ大阪城」として現存しています。
では次回はこの日の放送が何を伝えたのかを探っていきます。

なお「ドーリットル空襲」についてはNHKアーカイブスのホームページに、先ほどの戦争証言をはじめ当時の日本ニュースなどをまとめた詳細なページがありますので是非ご覧ください。

こちらから→【 太平洋戦争ヒストリーマップ|NHK 戦争証言アーカイブス】

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