あの日放送は何を伝えたか 第3回-3

2022年04月12日

【1942年2月22日~「勝利の記録」というプロパガンダ(3)~】
ここまで「勝利の記録」が戦況を伝えるうえで、実況録音によって臨場感を放送に反映させることに力を入れていることをご紹介しました。当時の社団法人・日本放送協会の、この番組に対する意気込みを感じられる文章が、この時代、日本放送協会が発行していた雑誌「放送」の「放送局だより」という記事の中に残っています。「放送」は戦時中の放送がどのような役割を果たしていたかを知る上で貴重な資料です。

「放送」1942年5月号の表紙は戦艦

街頭録音の企画記事グラビア

「放送」昭和17年(1942年)5月号の「録音放送の話」という記事には「勝利をきざむ録音放送」というグラビア記事と合わせて、シンガポール攻略戦などの戦況録音放送について「血のにじむこの勝利の歴史の録音は、聴くものをしてそぞろに皇軍の労苦をしのばせ、前線と銃後の心を一体に結ばせずにはおきませんでした」とあります。
当時の放送の役割と放送局員たちの戦時下における使命感がどのようなものであったかが推測できます。

ところでこの時代の録音機材はフィルム式、磁気式、円盤式の3種類ありましたが、最も一般的だったのが円盤式、いわゆるレコード盤に記録する方式です。当館のヒストリーゾーンには玉音放送の録音の際に使われたのと同じ形式の円盤録音機が展示されています。

戦後登場した磁気テープ式の録音機に比べると、レコード盤を削って信号を記録するという大掛かりな機械のため、重量もかなりものだったようです。この録音機を戦場までもっていくというのは確かに命がけの仕事だったのかもしれません。

「放送」1942年5月号から 円盤録音機を使った街頭録音の風景

次回は戦時中のラジオ番組編成について探っていきます。

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