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放送博物館 所蔵資料

放送博物館に展示されている所蔵品には 展示中 と表示しています。

テレビ

テレバイザー(1931)

テレビの元祖ともいうべきニポー円板方式の機械式テレビ受像機である。

ジョン・ベアードが1923(大正12)年に30個の走査孔を開けたニポー円盤を使って、1925年初めて原始的な映像を映し出すのに成功した。右の小窓につけた直径10cmの拡大レンズで映像を見るようになっている。

サイズ
54×70×31cm
展示中

反射型 テレビジョン受信機(1939)

1940(昭和15)年に開催が予定されていた東京オリンピック大会に向けて、テレビジョンの暫定標準方式が制定され、各メーカーは受像機の実用化を開始した。

30センチブラウン管(12インチ丸型)を使っているが、全長がきわめて長い。そこで、ブラウン管を垂直に取り付け、フタの裏側にはめた鏡で反射させて見る。その後大戦により東京オリンピックは中止となり、研究開発も中断された。

サイズ
134×64×53cm
展示中

NHK試作 120ミリ テレビ受信機(1951)

1950(昭和25)年東京のNHK技術研究所からテレビ試験電波が発射されるようになった。技術研究所の石橋俊夫らはテレビ部品技術研究会(TVK)を結成し、TVK-II型からIV型までの受像機を開発した。この試作機は時代の先頭を切って作られた貴重な受像機である。

サイズ
31×46.5×51cm

TVK-II型 7インチ テレビジョン受信機(1952)

テレビ部品技術研究会(TVK)は、その後も回路の標準化・部品開発を行い安価な自作テレビキットの普及につとめた。試作されたは、富士製作所(スター)がキット化して自作派の人気を集めた。キットは5万円〜6万円で、完成品は10万円であった。こうしたキットの人気と相まって家庭用テレビの普及が進んだ。

サイズ
36×50×40cm
展示中

ハリクラフター 17-816型 テレビ受信機(1952)

通信機で有名なアメリカ・ハリクラフター社から1952(昭和27)年に発売された17インチテレビ受信機。

非常に高価で、大学卒の初任給が5千円だった当時、28万円もした。1953(昭和28)年本放送開始時、抽選で受信契約第1号に決まった家庭で使われていた受信機である。

サイズ
52×54×53cm
展示中

TVK-6型 テレビ受信機 14インチ(1955)

基本部品・テレビ用真空管の開発により低価格化が可能になり、省電力化を目指した新しい回路も画面も14インチと、大幅に広げることができた。こうして生まれたのが、TVK-6型テレビ受信機である。

サイズ
42.5×41.5×49cm

14型 試作 トランジスター テレビ受信機(1959)

1959(昭和34)年NHK技術研究所が試作したオールトランジスター式のテレビ受信機。世界初の市販トランジスターテレビはアメリカ・フィルコ製で1959年に発表されているから、この技研の試作機がいかに早い時期に作られたかがわかる。

垂直のシャーシ枠にプリント基板の回路を分散して配置した完成度の高い試作機である。

サイズ
34×39×40cm

ソニー 8-301型 トランジスター テレビ受信機(1960)

1959(昭和34)年12月に発表された日本で初めてのトランジスター ポータブルテレビである。電話機とほぼ同じ大きさで、フードをつけたスマートなデザインが人気を呼んだ。

8型ブラウン管は、90度偏向の小電力タイプ、小型で持ち運びが簡単なため、テレビ中継現場で多く使われた。

サイズ
22×21×30cm

ソニー 5-202型 ポータブル テレビ受信機(1963)

操作部を前面に配し、使い勝手が一段と良くなっている。部品の信頼性も増したため、NHKをはじめ民放各局で中継用の現場モニターとして活躍した。

サイズ
15×19.5×20cm

6CT-338型 カラーテレビ受信機(1964)

受信されたNTSCカラー信号を、3つの色信号に分け、3つの単色ブラウン管に表示させる「トリネスコープ」方式の受信機。緑用のブラウン管を見る側に正対させ、その手前下に青用ブラウン管を上向きに、さらにその手前に赤用ブラウン管を上向きに置く。緑・青・赤用ブラウン管に映し出された映像は、ダイクロイックミラーを通して光学的に合成され、視聴者にはカラー映像として見える。

サイズ
53×42×51cm
展示中

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