脚本家、作家として活躍が続く内館牧子さんのインタビューです。
内館さんは秋田市出身の69歳。お父さんが盛岡市出身だということで、幼い頃から盛岡と深い縁があるということです。
小説「終わった人」は、定年退職を迎えた男性の悲哀をコミカルに描いた物語で、そのショッキングなタイトルとともに、中高年はもちろん、映画化によってその子どもの世代にも話題を広げています。
「終わった人」の誕生秘話、そして、内館さんと盛岡の関係、そして、時間の都合で、番組ではお伝えできなかった“若い人へのメッセージ”について、伊藤歌純キャスターがたっぷり伺いました。
主人公の田代壮介は、大手銀行で出世コースを歩んでいましたが、事実上の左遷を受け、そのまま定年の日を迎えます。第二の人生を、スポーツジムやカルチャーセンター、そして、淡い恋いも交えてスタートさせますが、簡単には前に進みません。こうした、仕事が人生そのものだった男・壮介の日常が、笑いたっぷりに描かれています。
映画では主人公をダンディな舘ひろしさんがコミカルに演じました。ふるさとは盛岡という設定で、各地での撮影も話題になりました。
「終わった人」主人公のふるさとを盛岡にしたのはなぜですか?
父が盛岡出身で、杜陵小学校から旧制盛岡中学だったので、小さいときからなじみはあったんです。
そして盛岡文士劇に、なんせ“看板女優”で出ておりますから、そうなるとお友達が盛岡にたくさんいて、大きくなってからも何回も盛岡来ているうちに、ここには「今の日本で失われたふるさとの原風景が残ってる地域だなー」って実感したんですね。
山でも川でも森でも池でも田んぼでも畑でも、それから人情でもね。
多くが失ってしまったり、新しく建て替えてしまった部分を古い町並みも含めて残していて、私今回の終わった人では「ふるさと」っていうのがすごく大きなテーマだったんで、彼が、ふるさとを思う気持ちとか、帰ったときの気持ちっていうものを考えるとやっぱり、盛岡以外は考えてなかったですね。
秋田のご出身ですが、舞台が秋田ということもありましたか?
秋田も大好きなんですけどね。秋田と盛岡って、同じ東北でも県民性がぜんぜん違うんですね、やっぱり。秋田はまた盛岡とはまったく違う感じです。
ふるさとの原風景っていう意味では、盛岡のほうが残ってるような気がしましたね。
私は、秋田で生まれて東京で育ったんで、ふるさとどこかって聞かれるとねえ、やっぱり東京なんですよね。だけれども、おもしろいことに、甲子園でどこが勝ったかって見るでしょ、新聞で。やっぱり秋田と岩手なの。で、必ず秋田と岩手を見てから東京は? って見るのね、だから、私の中ではやっぱり秋田、岩手っていうのは、ま、ほんとに育ってはいないけれども血が流れてるっていう意味ではすごく両方ともふるさとですよね。
「終わった人」という、どきっとするタイトルの発想はどこからですか?
私が60歳になったときから、急にクラス会とか、それからいろんなサークルの、昔のサークルの会合が増えたんですね。なんでこんなに急に増えたんだろうって思ったらみんな定年になって、幹事をやる時間ができたわけね。それで暇になったらしくてすっごく増えて。で、私も会いたいし、行ってみると、結局、みんなもう第一線から外れてるわけですよ。そうすると、昔エリートだった人もそうじゃなかった人も、昔きれいでモテてた女の子もモテなかった女の子も、みんな横一列に着地してるのね。あー、こういうことなんだな、還暦になるっていう事はっていうのをふと思ったんですね。
モデルはいるんですか?
とっても面白いことに、あの壮介のモデルはまったくいないんですよ。全部私が頭の中で作ったり、例えば、クラス会で見て、「みんな終わったな」とか、そういう感覚で作ってったモデルなんですけども、この壮介の小説を読んだね、終わった人の小説を読んだ人が出版元の講談社にいっぱい読者カードっていうのが行くわけね。そこに、あれは俺がモデルだろうって書いてくるんです。北海道から沖縄までぜんぜん知らない人が。
クラス会に行っても、「内館、あれは俺がモデルだろ?」ってすごく言われるの。だからモデルがいないのに、「モデルだろ?」って言われるっていうことはやっぱり万人に共通した思いなんだなってことを思いましたよね。
では、定年を迎えたとき、大切なこととは?
私はねやっぱり終わったことをまず認めることだと思うんですね。たしかにまだまだできると思うの。体力的にもね、それから、経験値も豊かなわけだし。で、若い人にはまだ負けないっていう思いがあるっていうのが事実だろうからまだまだできるとは思うんですけれども、やっぱりね、定年とかあるいはフリーランスだったら、仕事が減ってきたとか、そういう状態のときって言うのはもう終わった年齢、年代なんですよね。だから私はまず、そこをきちっと認めて、「あ、俺は終わったな」と。そこから次のことを考えるっていうほうがよっぽど建設的な気がしますね。
認めるのはね、楽しくはないですもんね。結局、「あ、終わったな俺」って。まだ生きてるのにね、「終わったなー俺」って思うのは嫌だし、だからそれは小説の1行目に書いた「定年って生前葬だな」っていうことなんだけど、認めたくはないけれども、認めないと私は次にねビビットに、上っていけない気がするのね。だからやっぱり認めることって大事じゃないかな、それが一番。
盛岡文士劇の“看板女優”の内館さん 今回は映画に初出演でしたが…
私はやっぱり書いてる時間が一番好きですね。書くのはもちろん、そんなにさらさらね、書けるものでもないし、あのつっかえたりつっかえたり、困ったりっていうことは多いんだけれども、やっぱり書いてる時間があるからほかの事をやっても楽しいんです。
文士劇でもね、で、これ文士劇の女優で生きてたらそれは大変ですよね。だから、やっぱり本職がきちんとやれる時間があって、他のことが面白いっていうのはありますね。
(映画では、スポーツジムで血圧測定をしている場面などに出演)
ロケで俳優さんがやってるところを見てるときは、やっぱり私の原作をやってるっていうよりかもね、もう単純にミーハーになるのね。舘さん、かっこいいとか、黒木さんきれい、とかそういう感じでやっぱり見ているしそれだけに、すごく面白かったしね、だけれども、自分が演じてるときってのは、演じてるったって、ただこうやって血圧を測ってるだけですから、ただやっぱり現場の空気の中にいられて、それが自分の原作だったっていう幸せ感はすごくありましたよね。一流の俳優さんが出て、一流のスタッフが作ってくれてっていうね。
映画をきっかけに作成されたロケ地マップを見てもらいました。
ほとんど行ったことがありますよ、高松の池でお花見してるし、だいたいシーズンになると電話が来るんです、盛岡の友達から、池に集まるよって。それから佐藤写真館はもちろん知ってるし、南部藩長屋酒場も行ってるし、一ノ倉邸も行ってるし。桜山神社通りなんてもう、ほとんどわたしの庭のようなものです。
私この中で、原作よりもずっとよかったって思ったのは最後のほうで舘さんたちがさんさ踊るシーンがあるでしょ?長屋酒場で。あれはね、やっぱり見ていてね、試写室で見ていて、ちょっとうるっときましたよね。もちろん原作にもあのシーンは書いたんだけれども、実際に太鼓が入ってね、で舘さんたちがサッコラサッコラって狭い座敷で踊ってるのを見たとき、すごくよかった、これは原作を超えたなっておもいましたね。
内館さんが感じる盛岡の魅力とは
岩手山は、もう誇る山ですよね、誇るべき山で、それは宮沢賢治から石川啄木からあれだけ書いてるでしょ、あの文豪が。それから北上川も中津川も、鮭が帰ってくるってなると子どもたちがみんな“おかえり”ってやったり、流したりね、稚魚を。そういったことっていうのはやっぱりこれは都会ではできないことですからね。それから盛岡の場合は、鉈屋町だとか、そういったことも含めて、町屋なんかも全部残してね、古い路地を残して今に生かして使ってるって、湧き水なんかもすごくあるでしょ。やっぱりどんなに外国で働いていようが東京で働いていようがね、帰ったときに、幼い頃と同じだっていう安らぎがあると思いますよね。
映画の最後も盛岡の場面でしたね
舘ひろしさん演じる主人公は、最後の最後に盛岡に帰るわけです。あんなエリートだった俺が、尾羽打ち枯らしたところをふるさとに見せたくない、っていうのはあるから、ずっと帰らなかったけれど、最後に帰って、それでも友達の前で見え張ってるわけよね。だけど最後に“見え”をかなぐりすてたっていう意味ではやっぱふるさとの力とかふるさとの友達って言うのは大きいと思いますね。
今の人は言わないのかもわかんないけど、私たち団塊の世代のころは、ふるさとの学校に行くこととか、どっか地方の学校に行くことを「都落ち」って言ったわけですよ。
私は高校が東京だったので、東京の高校から東京の名前の聞こえた大学に行く人はいいんだけれども、そうじゃない人は都落ちって言う言い方があったのね。
「それはなんとか大学だってさ、都落ちだよ」って、「俺も都落ちしかできないからさ」っていうのがあったんですね。だけど今、その感覚は随分なくなってきててどこの大学も個性があってね、なおかつ、私のころよりかも地方の力っていうものをみんなが認めてるから、だから随分違ったと思うんですけれども、それでもやっぱり、勉強のできるなになにちゃんで育っているとね、あの、都ですごくいい仕事をしてた人がね、また都から戻ってくるとね、「あいつ失敗したんじゃないか」とか言われるって言うのは今でも聞きますよね。
でも、結局、いろんなことがあったときに、最後に自分が癒されて、受け入れてくれて、そして自分もここのために何かできることはないかって考えるってするとそれはやっぱり、見知らぬ土地ではないのよね。やっぱりふるさとだろうって。
それは、いくつになってから戻る戻らない別として、また東京にいながらふるさとのためにやるっていうこともできるわけだから、そういった意味で、つらいときにふるさとっていうのがあるっていうのは大きいなあっていうことで、それでふるさとをかなりテーマのひとつにしたんです。
盛岡への愛情、そして、作品に込めた“ふるさと”への思いがあふれるインタビューを、ありがとうございました。