おばんですいわて

【“岩手愛!”がいっぱい 柚月裕子さん(釜石市出身)インタビュー】

「柚月裕子さん」

相次ぐ芥川賞作家の誕生、宮沢賢治などゆかりの作品のヒットなど、岩手の文学が熱い今、注目の作家の1人が、釜石市出身の柚月裕子さんです。
NHK盛岡では、デビューから10年、現在50歳で、いまノリにノッている柚月さんに直撃インタビュー。東日本大震災に向き合う中での作家としての思いに迫りました。

《柚月さんの岩手とは?》

−柚月さんは、高校卒業後に、山形に移りました。主婦をしながら小説教室に通い、40歳で作家デビュー。岩手で好きな場所は、小岩井や高松の池、それに中津川沿いの自分が住んでいた場所など。いまも訪れることがあるそうですが、柚月さんにとっての“岩手”を聞いてみると。


「近いけど、遠い。遠いけど、近い。そういった距離感っていうんでしょうか。恋焦がれる感じ、それを覚える土地ですね。なんかこう、若い頃の自分って、今振り返るととても恥ずかしいことをしていたり、ただ、今だとしないのにと思うことがある年代ですよね。そういう、きっとどなたでも、なんか気恥ずかしい思い出の一つや二つはある年代だと思うんですけど。そこをにちょっと触れたいなと思う反面、やっぱり当時の自分に会いに行くのが気恥ずかしいなぁと思ったり。ちょっとノスタルジーじゃないですけれども、何かそういったうん、ちょっとこう、やっぱり、恋い焦がれるそういう思いを感じる。故郷ですね。」

「盤上の向日葵」

《注目のデビュー10年に思う》

−では、いま注目度が増している作品について聞きました。
書店員が選ぶ「本屋大賞」で第2位になった「盤上の向日葵」は、将棋と殺人事件を融合させた異色のミステリーです。
将棋の対局場所として、主人公の旅先の1つに描いた遠野市は、出身地・釜石市のお隣。やはり岩手を描く思いは強いのでしょうか。


「やっぱり、筆に力がはいりますね。そこにどうしてもやっぱ私の個人的な思いとか感情は、切っても切り離せないもので、遠野も私はご縁がある土地ですので、遠野の自然がたくさんあって、静かな町並み、遠野にしかない空気みたいなものを丁寧に文書に通ずるように心掛けました。」

「孤狼の血」

−さらに、大ヒットしている「孤狼の血」は、暴力団どうしの抗争や警察社会の闇をあぶり出しました。ヤクザか警察かわからない!? 役所広司さんの役どころでも話題を集めていますが、こうした多様な人物はどのように誕生するのか尋ねてみると。


「例えば少ししか、出てこない登場人物にでも、ちゃんとそう考える理由がある。主人公に意見を述べるでも怒りをぶつけるでも、その人物がなぜそう怒るのか、そういったところは一人一人丁寧に、考えています。だから小説には書いていませんけど、だいたい登場人物の履歴書は自分で作っています。例えば何年に生まれて、どういう出来事があって、という、ざくっとしたものですけど、それは読者の方にはお見せしない私の中での登場人物の履歴書です。それを読み返して、きっとこの登場人物なら、こういう行動をとるとか、そういうところで使い分けています。」

−それが物語のリアルにつながっているんでしょうか?


「大切なのは、登場人物、キャラクターの考え方、要は性格がぶれないことですね。お読みになった方それぞれで、きっと登場人物の考えに同意できる、同意できないとか、いろいろおありだと思うんですけど、どのキャラクターを選んでも自分でもこの立場になったこうするかもしれないと。そう、共感していただけるように、登場人物の動機とか、心の動きが丁寧に、書いているつもりです。」

「書店」

《岩手と文学について聞いてみた》

−柚月さんのようなベストセラー作家が誕生する背景について、岩手と文学、という視点で取材しています。書籍の購入額も、総務省の家計調査によると、去年は盛岡市が全国1位となりました。どうお考えでしょうか?


「岩手は宮沢賢治、井上ひさしさん(岩手関連代表作「吉里吉里人」作)、そして、高橋克彦先生(岩手関連代表作「炎立つ」)、ここ数年だと芥川賞作家の方々、活躍されていますが、私から見ると、非常に自然な流れだと感じています。それだけ岩手にはその文学に関する歴史とかそういった感性が育まれる土壌がありますので、そういう意味ではいろいろな書き手の方がご活躍、されていることに私は何ら不思議には感じません。やはり岩手にいるからこそ執筆、というんでしょうか。描きたいものを素直に文字に起こせる。そういったことも、少なからず皆さんおありなのかなと。そういった文学を受け入れてくれる街というか、人々がきっと周りにたくさんいらっしゃると思うんです。そういった中で自分が書くこと。またそれはひいては他の人の作品を読むこと、そこの抵抗というのでしょうか、それが、きっと少ないのかな。これはやっぱり、読書量っていうんですかね、そこが、1位になるそういった背景は無関係ではないと思っています。」

−柚月さんにもその原点があるといいます。


「自分のことをちょっと話すと、私、転校が多かったんですが、新しい学校に行くとまず図書館に、行っていたんですね。結局その新しいコミュニティーに馴染むまでなかなか教室に居場所がないとか、いろいろそういう時期もあったので、そういったときによく図書館で、時間をつぶすというか、していたんですけど、図書館に行くと郷土の本が、置かれてますよね。そこに宮沢賢治、必ず置いてあって、子供ですから、何を選んでいいかわからないといったときに、ぱっと棚から宮沢賢治が置かれているで読む。優れた作家ですね、優れた作品が常に手に取れる場所にあるという環境がそういった、岩手の文学に関心がある人が多くいる理由の一つかなと。私自身やっぱり宮沢賢治が大好きで、手元において繰り返し読んでいるので、私が本好きになった根っこというのは岩手にあると思っています。」

宮古の被災地

《東日本大震災と向き合う》

−柚月さんにとっての東日本大震災は? どう向き合ってこられたのか聞きました。


「震災で私も両親を失っていますが、私の中で震災を過去のものとして、受け止めるだけのまだ、気持ちの整理がついていないのが本当のところで、あの出来事はいったい何だったのか。両親の死をはじめ、多くの方がつらい思いをしたそれは一体何の意味を持つのかとか、まだちょっと、自分には見えていないんですね。 自分の中で、実は時間軸が二つあって、一つは今過ごしている現実の時間ともう一つは震災で止まってしまっている時間。今でもふとした拍子に、実家にいる両親に電話しなければてふっと思って、すぐにあぁもういないって、思うこととか、でもその中で、日々日常がその時間軸が交差するときがあるんです。
ただ一つ言えるのは、岩手を訪れたときに、そこの土地に住んでいる方、特に、あの、子ども少年少女とよばれる、子どもたちが、笑いながらこう過ごしている景色、見ることがあるんですよね。
ああ今時間は過ぎているし、特にあの時、どうしていいか分からない。もしくは、記憶にない、当時幼かった子どもたちが、しっかりと成長して、うーんいる姿というのは、これからの被災地の未来というんでしょうかね。そこがすごく思いをはせるというか、頑張っている人びとがいる中で私も、何かしら、少しでも前に進まなければいけないすごくこう、励まされます。」

柚月さん

《柚月さんの今後は》

−東日本大震災から7年以上がたつなか、柚月さんの創作活動にさらに期待が寄せられます。


「筆が途中で止まっていますが、震災直後を描いた作品、今、手元に持ってこれは、もうだいぶ長く手元に置いている作品で、もう足かけ5年ぐらい、お待たせしているでしょうか。ただそれも震災後ではなくて本当に震災からわずか2週間の間のそのときの気持ちのまま書いていますが、なかなかちょっと執筆すると、当時の記憶がどうしてもよみがえってくるので、なかなか筆は進まないんですが。これはいつか必ず完成させて上梓したいと思っています。福島から始まってずっと北へ向かい、岩手のラストシーンは宮古市だと思っています。」

−震災と岩手、改めて、その思いを伺いました。


「両親の死を考えたときに結局あの震災ですべてが無くなって、形あるものが本当に失われてしまったんですが、その中で、じゃあ私の父から両親から受け継いだものってなんなんだろうって思ったときに、形がないものを私は受け取ったんだなと。今私がこうして話している考え、もしくは物事に対する価値観。それが両親のもとで暮らしたものが土壌になっているわけで、まだ今現在私がここにいること自体が両親もここにいることになるんだなと。そのように受け止めましたし、そういった意味で、とても大切にしなければいけないことは目に見えないものにこそあるのかな。岩手はすごく山があって、海があって、さまざまな歴史があるそういったところで、私は岩手に生まれて見て聞いて感じてきたことを書ける。なにか、モチーフでしょうかね。それは常に、探しています。」


−長時間のインタビュー、ありがとうございました。