宮崎 高鍋町 ギョーザと歴史のグルメ旅 神谷一鷹アナウンサー
- 2023年03月03日
NHK宮崎アナウンサーの神谷一鷹です。今回のふれあわない旅は「高鍋町」。高鍋町は、石井十次など数多くの偉人を輩出した町で「文教のまち」とも呼ばれています。街を歩くと、今も高鍋町に息づく人財育成の教えと、歴史を愛する人たちの思いを感じることが出来ました。
まずはギョーザ!
腹が減っては旅はできぬということで、まずはエネルギーチャージ。腹ごしらえです。先日宮崎市が、総務省の家計調査で2年連続、ギョーザの支出金額・購入頻度で日本一になりました。実はここ高鍋町もギョーザの老舗が多い町なんです。
うかがったお店で一番人気のギョーザ定食!焼き色がきれいなきつね色ですね。
高鍋町産のキャベツを使っていて、甘みがあるギョーザ。皮も薄く、サクサクした食感でした。
高鍋町ではギョーザの持ち帰り文化があり、お祝い事では必ずと言っていいほど食卓に並ぶそう。取材に伺った日も持ち帰り用のパックにギョーザを詰めていました。
歴史をたどる
お腹もいっぱいになったところで、高鍋町の歴史を感じる旅のスタートです。
高鍋町の歴史について伝える活動をしている、観光ガイドの臼山元義さんと一緒に町を歩きます。
待ち合わせの場所は舞鶴公園。元々高鍋城のあった場所で、当時の様子が残されています。
なぜ高鍋町が「文教のまち」と呼ばれているのか。その答えが公園の中にある看板にありました。
高鍋藩の藩主であった秋月家。中でも七代藩主の種茂公は「国づくりは人づくり」という思いから、当時の学校である「明倫堂」を設立しました。後にこの明倫堂から、多くの孤児を救った石井十次など、郷土の偉人が輩出されました。
今も息づく明倫堂の教え
公園を出て住宅街を案内してもらいます。
臼山さんと高鍋農業高校に向かいました。
見えてきたのは、「明倫堂」の文字。明倫堂がこの場所にあったことを示しています。
今でも高鍋農業高校には”明倫”の文字を取って「明倫寮」という学生寮があります。
ここに来るまでにも、温泉施設や保育園などに「めいりん」の文字が多く使われていました。
それだけ明倫堂の教えが高鍋町の人に受け継がれているんですね。
人の道というものをしっかり教えていく藩校であったというところが、私が明倫堂の教えで最もひかれるところですね。
高鍋町が文教のまちと呼ばれる理由がよく分かりました!
明倫堂の心を子どもたちにも
高鍋町の歴史を若い世代に伝えていこうという動きも出てきています。
高鍋町の歴史を活かして、子どもたちにふるさとの良さを知ってもらおうという取り組みをしている岡本貴光さんです。
高鍋農業高校から540mにわたってのびているお堀で、岡本さんにお会いしました。実はこのお堀、宮崎県で唯一水をたたえているお堀で、市や民間が景観を保つために定期的に手入れをしている場所です。
岡本さんは子どもたちに、お堀に親しんでもらおうと、フォトコンテストなどのイベントを企画しています。
親子でお堀で写真を撮ってもらうことで、普段何気なく歩いていた場所が違った視点で見えるので、新しい魅力の発見に繋がるのではないかと思います。
岡本さんが行っているアプローチは他にも…
お堀沿いに、変わり種の自動販売機を設置しています。
リンゴアメなど甘いものが買えるようにしています。
リンゴアメの自動販売機!初めて見ました!
ここで買ったものを、子どもたちがベンチに座って、お堀を見ながら食べてもらい、親しんでもらえたらと思います。このお堀だけでなく高鍋町の歴史を含めて楽しみながら学べる場所を作っていきたいです。
文教のまち高鍋で、新たな「人材育成」が始まっているんですね。